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鬼八三代記

作者: flat face

タイトルの元ネタは『田村三代記』です。

 かつて八洲やしま筑紫島つくしのしま鬼八きはちという鬼が住んでいた。

 鬼は伊邪那岐いざなぎ伊邪那美いざなみの夫婦神が地上の世界である葦原中国あしはらのなかつくにに生きとし生けるものを生んだ際、人と共に生じた。

 しかし、鬼はものを生む産霊むすびの力を人よりも多く被り、神に匹敵する力があった。


 鬼八も自在に霜を降らせる力を持ち、体を切り刻まれても死なない生命力を誇った。

 そのことから鬼八は己を神に等しい者と見なした。

 彼は筑紫島にいた女神たる大山祇おおやまつみに対し、彼女の娘である開耶さくやを嫁に欲しいと頻りに頼んだ。


 開耶は美しい女神として有名で、地上の神々たる国津神の己貴なむぢと婚約していた。

 大山祇は山の神々である山祇の女王で、己貴は葦原中国に大国を築き、大国主おおくにぬしと呼ばれていた。

 開耶と己貴の婚約は釣り合いが取れていた。


 だが、己貴が後継者争いでその王国を崩壊させ、天上の神々たる天津神に国を譲って隠居すると、開耶との婚約も解消されてしまった。

 そこで、鬼八が名乗りを上げたのだが、大山祇は大国主と婚約した娘を鬼へ嫁がせるのに難色を示した。

 しかしながら、無下に断るには鬼八の力が侮りがたかったので、大山祇は一夜にして岩の御殿を造ったのならという難題を出し、相手が諦めることを期待した。


 ところが、鬼八の力は大山祇が予想していた以上で、彼は日向国ひゅうがのくに西都原さいとばるに一夜で御殿を建ててしまった。

 困った大山祇は難題を成し遂げた鬼八が疲れ果てて眠り込むと、その間に石を一つ取って遠くへ放り投げた。

 そして、目を覚ました鬼八に告げた。


「この御殿は石が一つ欠けているから開耶は嫁がせられない」


 大山祇は鬼八が難題を成し遂げれば、絶対に開耶を嫁がせるという誓いを立てていた。

 その誓いは裏を返すと、鬼八が難題を成し遂げられなければ、彼は絶対に開耶を娶れなかった。

 誓いが持つ力には鬼八といえども抗えなかった。


 鬼八は大山祇を深く恨み、彼女がいる筑紫島に霜を降らせた。

 筑紫島は空が霜を降らす雲に覆われ、真っ暗になって凍て付いた。

 すると、天上の世界である高天原たかまがはらから瓊々杵(ににぎ)が天津神のお伴たちと共に日向国に天降ってきた。


 知鋪郷ちほのさと二上山ふたがみやまへと降り立った彼が昼でも夜のごとく暗いのに困っていると、大鉗おおくわおよび小鉗こくわという土着の民がそれを見掛けて助言した。


「天孫が携えている高天原の稲穂から籾を抜き取り、四方に投げましたら稲の霊力によって明るくなるでしょう」


 瓊々杵は天津神の女王たる天照あまてらすの孫で、彼が言われた通りにすると、雲が晴れて昼は太陽が、夜は月が光輝くようになり、霜も溶けていった。

 それから、瓊々杵は大隅国おおすみのくに高千穂峰たかちほのみねに移った。

 瓊々杵が降臨したのは己貴の開拓できなかった国土を拓くためだった。


 薩摩国さつまのくに竹屋村たかやのむらに来ると、瓊々杵は笠沙岬かささのみさきで開耶と出会い、彼女を見初めて求婚した。

 大山祇は相手が天孫で、彼女自身も天津神を夫としていたため、開耶ばかりか彼女の姉である磐長いわながも瓊々杵に嫁がせた。

 これを聞いた鬼八は怒り狂い、瓊々杵の心に霜を降らせた。


 心が凍り付いた瓊々杵は、開耶ほどの美女ではない磐長を醜女として親元に帰し、鬼八は彼女の心も凍り付かせた。

 磐長は瓊々杵の子を身籠もっていたが、彼を呪いながら深い淵へと身を投げた。

 それにより磐長の呪いは強固かつ永続的なものとなり、瓊々杵は神としての永遠の命を失った。


 そのことが瓊々杵の心を更に凍り付かせ、開耶から懐妊を告げられると、喜ぶよりも疑いを抱いた。


「一夜しか契っていないのに、妊娠したなど私の子ではなく、国津神によって孕んだのだろう」


 瓊々杵は己貴のことを暗に仄めかした。

 己貴は女好きとして有名で、子供が百八十人もいた。

 不貞を疑われた開耶も、鬼八に心を凍り付かされており、怒って瓊々杵にきっぱりと身の潔白を宣言した。


「もし国津神の子でしたら無事に産まれず、天孫の子なら無事に産まれることでしょう」


 開耶は産屋に籠もると、土で戸口を塗り固め、自ら火を放った。

 火中で産まれた二人の男子は瓊々杵の子だったので、誓いの力で死ななかったが、開耶の方は燃える産屋ごと煙を上げる桜島さくらじまとなった。

 瓊々杵は開耶を疑ったことを悔い、後悔の念に苛まれながら死に、大山祇も娘たちと娘婿を失ったことを嘆いた。



 復讐を果たした鬼八は、凱歌を上げて再び霜を降らせ、雲で日月を遮り、筑紫島を暗闇に覆わせた。

 しかし、瓊々杵には饒速日にぎはやひという兄がいた。

 饒速日もお伴の天津神たちともども出羽国でわのくに鳥海山ちょうかいさんに天降り、己貴が開拓しなかった日高見ひたかみの国土を拓いていた。


 大和国やまとのくに鳥見山とりみやままで来ていた饒速日は、瓊々杵が死んだと聞き付け、暗闇に覆われた筑紫島に急行した。

 瓊々杵が高天原の稲穂を携えて降り立ったように饒速日も十種神宝とくさのかんだからを持参しており、それは死者を蘇生させる力を有していた。

 だが、天孫のごとく強力な存在を蘇らせることは叶わなかった。


一二三四五六七八九十(ひふみよいむなやこと)布留部ふるべ由良由良止ゆらゆらと布留部ふるべ


 それでも、十種神宝の大祓詞を唱え、筑紫島に日月を蘇らせることは出来た。

 ただ、天孫ほどではなくても日月を蘇らせるのは難事で、饒速日の生命力を奪い、弟と同じく永遠の命を失わなければならなかった。

 しかしながら、国土の開拓を委ねられた饒速日は、その一部であろうとも闇に沈むことを潔しとせず、自身の生命を犠牲にして筑紫島に再び日月を取り戻させた。


 彼はそのせいでやがて寿命を迎えたが、鬼八も無事では済まなかった。

 霜を降らす力を二度も打ち破られ、極度に衰弱した鬼八は、雌伏を余儀なくされた。

 長き時を経て彼はある程度まで力を回復させたが、時代は既に神の時代から人の時代へと移り変わっていた。


 鬼八は二上山の乳ヶ岩屋(ちちがいわや)に住み、山を下りた「あららぎの里」にも鬼ヶ岩屋(おにがいわや)という拠点を築いた。

 そして、女人にも興味を示すようになり、鵜目姫うのめひめなる美人に目を惹かれた。

 鵜目姫には祖母に七ヶ池(ななつがいけ)に棲む祖母岳明神そぼだけみょうじん、母に稲穂姫いなほひめがいた。


 大山祇に誓約の裏を掻かれた鬼八は、家族の許しを得ようなどとは思わず、鵜目姫を誘拐して妻とした。

 けれども、鵜目姫には神の末裔としての力があった。

 彼女は乳ヶ岩屋に囚われていながら、七ヶ池の水鏡に自身の姿を映して助けを求めた。


 それに応じたのが御毛沼みけぬで、彼は瓊々杵の子孫だった。

 兄弟たちが食糧難から新天地へ向かったのに対し、筑紫島に残っていたのだが、それ故に助けを求める鵜目姫の声に気付けたのだ。

 水鏡に映った鵜目姫に 御毛沼は誰かと問うた。


「私は鵜目姫という者で、鬼八なる賊に攫われて悲しんでいるのです」


 鵜目姫に一目惚れした彼は、鬼八を退治することにし、四十四人の家来を引き連れて乳ヶ岩屋を攻めた。

 御毛沼は鬼八を退治してその体を三つに切った。

 助けられた鵜目姫は自身のために命を懸けてくれた御毛沼を夫に選び、彼の妻となって八人の子供を産んだ。


 ところが、事態はそれで一件落着と行かなかった。

 鬼八は体を切り刻まれたが、その生命力によって死なずにいられた。

 もっとも、瓊々杵たちの時とは違い、直接に危害を及ぼされていた。


 それ故に鬼八は復活こそ出来たが、その力を更に衰えさせていた。

 霜を降らすことは出来たが、筑紫島の空全体を雲で覆うようなことはもう無理で、相手の心を凍り付かせることも不可能だった。

 力は衰えようとも恨みの消えることはなく、瓊々杵の一族に復讐する機会を鬼八は虎視眈々と窺った。



 当初、鬼八は御毛沼たちに復讐しようとしたが、人である御毛沼たちは鬼八が復活する前に寿命を迎えた。

 彼が復活した時、筑紫島には健磐龍たけいわたつが来ていた。

 健磐龍は御毛沼の弟たる若御毛沼わかみけぬの孫だった。


 若御毛沼は食糧難から新天地を求め、大和国に渡って新しい王権を築いたが、筑紫島のことを忘れてはいなかった。

 その大和王権は筑紫島との繋がりを保つため、健磐龍を伯父の日子八井ひこやいともども遣わした。

 健磐龍と日子八井は一族郎党ともども大和国から故地の知鋪郷に向かい、五ヶ瀬川(ごかせがわ)に沿って阿蘇国あそのくにに移った。


 日子八井は草部くさかべまで来ると、健磐龍の助けもあり、そこの池を荒らしていた大蛇を退治した。

 彼は池を埋め立て、そこに館を造り、娘の阿蘇津姫あそつひめを健磐龍に嫁がせた。

 日子八井は筑紫島における大和王権の長官で、健磐龍はその後継者となった。


 彼は田を作るため、阿蘇山あそさんの湖水を排水しようとした。

 健磐龍は排水のために阿蘇山の外輪山を蹴破ろうとしたが、峠が二重になっているために破れず、その隙間を蹴破ることで排水を成功させた。

 排水で数匹の鹿が流され、山の破片である土塊や小石が落ち、健磐龍も尻餅を突いた。


 水が引く途中、大鯰がそれを堰き止めたが、健磐龍によって退治された。

 この間に息子の速瓶玉はやみかたまが産まれ、健磐龍は正に前途洋々だった。

 その傍らには美しい阿蘇津姫が寄り添った。


 そのような健磐龍を鬼八は群衆に交じって目にした。

 美しい妻に寄り添われる英雄の健磐龍は、鬼八に御毛沼と鵜目姫を思い出させた。

 また、阿蘇津姫は鬼八には遠い祖先たる開耶に似ているように見えた。


 鬼八は健磐龍を破滅させ、阿蘇津姫を略奪することが最も甘美な復讐であろうと確信した。

 しかし、力の衰えた鬼八は、人並みより優れた膂力を誇り、霜を降らす力は残っていたが、天孫の系譜を引く英雄に正面から戦って勝てるとは楽観できなかった。

 そこで、健磐龍の懐に潜り込み、その寝首を掻くことにした。


 鬼八は走建はしりたけると名乗り、人の振りをして健磐龍に従った。

 健磐龍は弓の達人で、よく往生岳おうじょうだけに腰を下ろし、北の外輪山にある大きな石を的として百本の矢を放っていた。

 その矢を回収する役に志願した鬼八は、持ち前の膂力で素速く拾い、健磐龍の信頼を得た。


 そうして健磐龍が鬼八を信用するようになり、隙を見せるようになると、鬼八は健磐龍に牙を剥いた。

 彼は健磐龍が放った矢を九十九本まで拾ってきたが、百本目において足で蹴って返し、その首を狙った。

 だが、蹴り返した矢は健磐龍の首ではなく、足を貫いて命を奪うには至らなかった。


 怒った健磐龍は逃げる鬼八を追い掛けた。

 鬼八は力の衰えた状態で英雄たる健磐龍に正面から追われる恐怖に八度も放屁し、遂に捕まって首を斬られた。

 力が衰えていた鬼八は、復活するか霜を降らせるかのどちらか一方しか出来なかった。


 そして、彼は霜を降らせることを選んだ。

 健磐龍が復讐の対象として絶好の獲物だったからだ。

 彼に復讐する機会を逃せば、たとえこの先、どれだけ長く生き延びようともその生に意味など見出せそうになかった。


 斬り殺される前に鬼八は死ねば荒振神あらぶるかみとなり、霜を降らせて五穀に害を与えると誓った。

 鬼や人であってもその霊は魂魄からなり、肉体を成り立たせる魄が死によって機能しなくなっても魂は活動できた。

 寧ろ肉体による彼我の差別を捨てた分、他者の畏れという精神的な養分を吸収し、神に等しい力を得られた。


 死ぬ前に復讐を宣言したことで人々を畏怖させ、鬼八は神になり、健磐龍が作った田を霜の害によって悩ませた。

 それに悩まされた健磐龍は、阿蘇津姫を巫女とし、鬼八の首を抱き留めさせ、霜で冷えるのを暖めさせた。

 それが鬼八の心境に変化をもたらした。


「首を暖めてくれる限り霜の害を控えよう」


 既に鬼八は嫌がらせしか出来ず、その惨めさゆえに阿蘇津姫の慰めが身に染み、開耶や鵜目姫を思い出させる美姫に抱かれながら、成仏して後に鬼八法師きはちほうしと称された。


典拠は以下の通りです。


人と共に鬼が生じる:『九鬼文書』

大山祇が女神であって天津神に嫁ぐ:『日本書紀』

鬼が大山祇に娘を乞い、御殿を一晩で建てられたらと言われ、西都原に築くも石を一つ抜かれて断られたため、恨みに思って祟りをなす:石貫神社の社伝

開耶が己貴と婚約する:『播磨国風土記』

二上山に天降った瓊々杵が大鉗と小鉗から助言され、高天原の稲穂から籾を抜き取り、四方に投げて闇を晴らす:『日向国風土記』

瓊々杵が日向国の知鋪郷から大隅国の高千穂峰に移る:本居宣長『古事記伝』

薩摩国の竹屋村に来た瓊々杵が開耶との間に二人の男子を儲ける:『薩摩国風土記』

磐長が瓊々杵の子を身籠もる:『大三島記』

我が身を嘆いた磐長が深い淵に身を投げる:米良神社の社伝

開耶の焼いた産屋が火山になる:『先代旧事本紀大成経』

桜島が開耶に由来する:五社大明神社の社伝

瓊々杵が開耶を疑ったことを悔い、後悔の念に苛まれながら死ぬ:『富士宮下文書』

瓊々杵の死で地上から光を失われる:藤原浜成『天書』

饒速日が瓊々杵の兄とされ、大和国の鳥見山におり、十種神宝を弟のために捧げて死ぬ:『先代旧事本紀』

饒速日が出羽国の鳥海山に天降る:『物部文書』

鬼八が二上山の乳ヶ岩屋に住み、鵜目姫を誘拐して妻にするが、四十四人の家来を引き連れた御毛沼に退治される:高千穂神社の社伝

健磐龍が阿蘇国で日子八井の娘である阿蘇津姫を娶り、阿蘇山の外輪山を蹴破って湖を排水する:『阿蘇郡誌』

鬼八が弓の稽古をする健磐龍の矢を拾い、百本目で蹴り返してその足を貫くが、彼に首を斬られる:阿蘇神社の社伝

首を斬られた鬼八が荒振神となり、霜を降らせて五穀に害を与えたので、健磐龍が巫女に慰めさせる:霜宮神社の社伝


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