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ルッカが部屋のまともに外へ出られるようになるまで、一週間かかった。腕を切断されたというのは、かなり消耗する事らしい。ジュードと会話をしたあと、またすぐに熱が上がり、寝込んでしまったのだ。
熱が下がって数日部屋の中で様子を見て、それから聖者の許可が下りたのだった。
「ルッカ、調子はどうだ?」
ルッカはジュードから声をかけられ、振り向こうとしてバランスを崩した。少しばかり左右の比率が変わっただけなのに、重心が取りにくいのである。十何年もそのバランスで生活してきたのだ。
比率が変わってからは十日ほどしか経っていないのだから、体が慣れていないのも仕方のない事だった。
「大丈夫か」
「この状態に少しでも早く慣れたいのだけど、慣れてしまったら魔法義手を着けたら体が混乱しそうだわ」
一気に距離を詰めて抱き留めてくれたジュードに、ルッカは皮肉混じりに苦笑した。あまり左腕について言うのは悪いと思うけれど、つい口からでてしまうのよね。
ジュードに非はない。だからこそあまり気にしないで生活してほしい。そう思う一方で、完全には消化しきれていない感情が漏れ出てしまうのだ。
「そうか。俺ができる範囲でなら、全力でサポートするから遠慮なく言ってくれ。細かい作業は苦手でもないし、きっとそういう意味でも力になれると思う」
「……ありがとう」
「当然の事だ。それよりも食事に行くつもりなんだろう? 一緒に行こう」
ジュードがぱっと身を離して腰に手を添えた。移動中、すぐに助けられるようにとの心遣いがルッカの心にさざ波を立てる。命を助けられたからといって、その代わりに左腕を失わせてしまったからといって、こうして付き添ってくれるのはありがたい。
だが、ジュードはそれで疲れやしないだろうか。
常に気を張って行動する事が必要となる相手と一緒にいて、疲弊しないわけがない。ルッカの方は、感染症にはまだかかっていないし、痛みは精神魔法でごまかせるとなれば、ただ左腕が半分になって不便になっただけである。
他人よりも少しばかり転倒しやすくて、荷物が持ちにくい。それだけである。本当はもっと細かな不便はある。髪を結えないだとか、文字を書くには文鎮が必要だとか、食事は種類によっては切ってもらわないと食べられないだとか。
それらの不便は、発生したら対処するだけだ。ジュードはそれを発生しないように対処してくれる。事態の発生を予測して動き続ける事は非常に難しい。
彼は、それをやろうとしてくれているのだ。
手間をかけさせて申し訳ない気持ちと、これくらいしてもらうべきだという気持ちがせめぎ合い、ルッカの心に波を起こさせる。ジュードはルッカとは反対の方向から同じような事を思い、付き添ってくれているに違いない。
そう思うからこそ、より複雑な気持ちになるのだった。
「ルッカ、これうまいぞ」
「え?」
ジュードがルッカの皿に、己の食事――今日はポークソテーらしい――を一切れ二切れ乗せてくる。茶色っぽいソースが乗った、甘くて香ばしい香りがルッカの鼻に届いた。
「ルッカは鶏肉や牛肉ばかり食べるからな。たまには豚肉も食べた方が良い」
「……別に、意識しているわけではないわ」
軽い偏食を指摘された気分になり、ふいっと顔を逸らす。もともと、好き嫌いはない。その代わりに、すごく好きな食べ物も、すごく嫌いな食べ物も存在しない。
ルッカには、好き嫌いというよりは「好んで食べる」と「出されれば食べる」の二種類だけが存在していた。豚肉に関して言えば、出されれば食べるの分類に近い。
フォークをポークソテーに突き刺し、口に運ぶ。このソースは少しパンチが効いている。甘めなのだが、独特なスパイスが口の中ではじけていった。なんと表現すれば良いのだろうか。辛みと酸味のバランスが絶妙で、くせになる味だ。
ルッカは置かれていた二切れ目を口に放り込む。おいしい。
「それ、何とも言えない美味さだろ」
「……ええ」
「もっと食べるか?」
「……」
物欲しそうにしているように見えたのだろうか。ルッカは気恥ずかしさを覚えつつ、小さく頷いた。
「いっそ、皿ごと交換するか」
「え?」
ポークソテーを選んだのはジュードである。そんな、横取りするような事をするのは気がはばかる。だが、ルッカが動揺している内に、彼はさっさと皿を交換してしまう。
「よし。交換しよう」
「あっ」
「はは、ルッカは食べる量が減ったな。俺は増えたぞ」
ジュードはしてやったり、と笑う。食べたかったんじゃないのか。そうルッカは思ったものの、彼が本当に嬉しそうにルッカの食べかけを頬張り始めるものだから、どうでも良くなってしまった。
「お。こっちはあっさりしてて美味いな。ルッカは食べ物を選ぶセンスが良い。それに油分が少な目だから健康的だ。時々は、ルッカに見習った方が良さそうだ」
にこにことルッカが頼んでいた鶏肉の塩レモンソテーを食べながら、感想を話す。さっきまでルッカの中でもやもやと漂っていたジュードは気疲れしないのか、などという題材は彼の笑顔によって霧散していった。
2024.9.6 一部加筆修正




