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ルッカは、ずきずきとした痛みで目を覚ました。見慣れぬ天井に、ここがまだカリガート領であると理解する。無意識にルッカはなくなった左腕をさすろうとし、傷口に触れて激痛に絶叫する。
「うあぁあぁぁぁぁ……!」
……そうだ。もう左手はないのだ。ルッカはぼろぼろと大粒の涙をこぼした。痛みによる生理的な涙なのか、亡失による悲しみの涙なのか、ルッカには分からない。精神魔法で己の痛覚を誤魔化しながら、右手だけで涙を拭う。
騎士として、致命的だ。剣をろくに握る事のできない騎士など、ただの魔法士ではないか。
「――これから、どうしよう」
ルッカの口から出てきた声は、思ったよりも弱々しく、かすれていた。
左腕が半分なくなっただけだ。死んだり歩けなくなったりするよりは、はるかにましだ。それに、ルッカのその左腕だけで一人の人間の命を確実に救ったのだ。たいしたものではないか。
ルッカはそう言い聞かせながら、痛みを消した左腕を撫でる。透き通って己の腕が見えるようだ。だが、ルッカの左手は近くのサイドテーブルの上にぽつんと置かれている。
魔法具が正常に働いている為、左手の処分に困った末に放置されたのだろう。氷漬けになった左手は、手の届く場所にあるというのに、もうルッカの一部ではないのだ。
動かぬ左手をこのまま見つめていたら、気が狂ってしまうかもしれない。ルッカはぽたりと一滴の涙をシーツにこぼした。
「ルッカ、調子はどうだ? 目が覚めたと聞いて来たんだ」
「ジュード」
穏やかな笑みを浮かべる男がゆったりとした動きで部屋に入ってきた。ルッカが守った命だ。一緒に撤退した記憶はあるが、だいぶ曖昧で、彼がどうなったのか、彼の顔を見るまですっかり忘れていた。
どうやらジュードはあの後も大きな怪我をする事なく、一緒に戻ってこれていたようだ。
「ルッカに礼を言う余裕がなかったから、少しでも早く言いたかった。
俺を助けてくれてありがとう」
「……二人とも助かったのだから、結果良しね」
ルッカはジュードを責める気はなかった。左腕の件は、ルッカの対応が甘かったのだ。別の人間と一緒に行動していて同じ状況になったとしても、きっとルッカは助けようと動いただろう。そして、今と同じように左腕を失っていただろう。
喪失感は半端ではない。この気持ちを叫び出したい衝動だってある。だが、もう元には戻れないのだ。
「――俺は、素直に喜べない」
ジュードはベッドのそばにある椅子へ腰掛けるなり、眉尻を下げた。無理矢理に穏やかな笑みを保とうとしているように見える。
「しばらく、俺をルッカの左腕にしてくれないか。リハビリも必要だろうし、せめて騎士として復帰するまで、俺に手伝わせてほしい」
「……私、騎士を続けて良いの?」
じわりと目元が滲む。どう考えても隻腕の騎士なんて、あり得ないと思っていた。
「ルッカが眠っている間、ずっと考えていたんだ。今回の戦争で、俺はルッカの魔法具がどれほど優秀なのかを間近で見ていた。
だから、ルッカならば、失った左手の代わりになる魔法具を作れるんじゃないかと思ったんだ」
「魔法具の義手……?」
そんな事、考えもしなかった。失われたものを思い、しんみりとしていただけだった。
「ルッカ。俺は……俺を守る為に奪われた腕を、別の形として取り戻してやりたい。そして、一緒に騎士として再び国を守る為に力をふるいたいんだ」
「……騎士に」
「もう騎士が嫌だと言うのならば、引こう。騎士をやめて魔法具を作る職人になると言うのならば、その左手の代わりとして俺をそばに置いてくれ」
ジュードはルッカの右手をきゅっと握った。
「再び騎士として立ちたいのなら、俺はあらゆる手を尽くし、その願いが叶うまで支え続けよう。あなたの騎士としての価値は、俺の命よりも重い」
「……騎士としての価値」
ジュードが何を言おうとしているのか、ルッカは何となく理解した。ジュードは、自分の命の価値がルッカの腕一本分でしかないのだと言っているのだ。
命は命だ。腕と比べるなど、馬鹿げている。ルッカはそう思ったが、そんな皮肉が口からこぼれ出る事はなかった。騎士としての価値など、どうでも良い。
ジュードが騎士として活動する道を示してくれたのだ。そちらの方が重要だった。
「……私、騎士でいたい」
「そうか」
「魔法士でも、魔法具職人でもなく、オリジナルの魔法具を使いこなして周囲をあっと言わせるような、魔法騎士が良いの」
ルッカの視界は歪んでいた。流しきったはずなのに、まだ余分な水分は残っていたらしい。鼻の奥はずしっと重く、鈍痛を与えてくる。瞬きをすれば、頬を伝って涙が落ちていくのが分かった。
「……魔法具の義手を使いこなしたら、相当カッコいい魔法騎士になれるだろうな。それに、体の一部を失って不便な日常を送る元騎士や一般人を大いに勇気づける事になるだろう」
ジュードに涙の跡を丁寧に拭われた恥ずかしさを紛らわせる為に鼻をすする。
「ふふ……確かに、その通りだわ」
そう小さく笑うルッカの涙は、すっかり引いていた。
2024.9.5 一部加筆修正




