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王都へ戻ると、一週間の休暇が与えられた。エルフリートはその半分を本来の姿で過ごす事に決めた。ロスヴィータは何も言わず、本物のエルフリーデと楽しく過ごすそうだ。
羨ましくなんてないもん。話を聞いたロスヴィータが一瞬だけ嬉しそうにきゅっと口角を上げたのを見て、エルフリートは自分の決めた事ながら後悔したのだった。
しかしこれは重要な事なのだ。エルフリーデはボルガ、ガラナイツと二連戦となったいきさつなどを詳細に知っておく必要がある。だから、エルフリートとロスヴィータ両方の話を聞いて、情報の刷り合わせをしなければならなかった。
分かってはいるけれど。
エルフリートは自分が男の姿でいるのも忘れて唇を尖らせる。執務室だから気が抜けているのだ。彼のそんな姿を見咎めるように見つめているのは、一対の琥珀。ヘーゼルにも見える複雑な色合いのそれは、飼い猫のリッターの目である。
リッターはエルフリートとエルフリーデがどんな姿をしていようとも、どちらなのか分かるらしい。彼は親しい人間しかいなくなると、がらりと態度を変える。
リッターの優先順位はエルフリーデ、レオンハルト、エルフリート、アデラ、アーノルドである。悲しい事に、リッターはエルフリートよりもレオンハルトの方が好きらしい。
確かにリッターとレオンハルトはそっくりで、まるで兄弟のようである。親しみも湧くのだろう。だが、エルフリーデそっくりのエルフリートにはあっさりとした絡み方をするばかりで、甘ったるく寄ってくるような事は滅多にない。
エルフリートのかまい方がまずかったのだろうか。エルフリーデを見習って、頑張ったつもりだったのだが。
「うぅ……そんなに見つめないでくれないか」
エルフリートが情けない顔でリッターを見つめれば、彼の気のない鳴き声が返ってくる。エルフリートは溜息を吐いた。
「リッターは、私の淋しさを埋めてはくれないのかい?」
「なーお」
ようやく彼が腰を上げた。ふさふさとした長毛のしっぽをゆらりと振って、エルフリートのもとへ近づいてくる。
「リッター、優しい子だね……」
手を差し出せば、リッターはエルフリートの指先を数回嗅ぐように鼻を動かし、彼の指をひと舐めした。ざらりとした感触にエルフリートが笑うのとほぼ同時に、賢い猫は彼の手に頬ずりした。
「……今回の件で国境警備に関する考えを改めたよ。カルケレニクスに戻ったら、いや、すぐにでも父上に提案しないといけないな」
「なおん」
「天然の要塞だから、と隣国側の警戒をほとんどしていない現状がいかに恐ろしい事なのかを知ったんだ。攻め込まれたら対応すれば良い、ではなく、攻め込まれる前に対応しないとね」
ちょうど良いタイミングで合いの手をするかのように鳴くリッターを撫で、エルフリートは語る。
「カルケレニクスは侵入が極めて危険で面倒なだけで、不可能というわけじゃあない。ボルガ国のように少数で侵入する事があり得るのだと知ってしまったからには、今後そういう事をする人間が現れないとも限らない。
その対応は早くからやっておく方が良いに決まっているだろう?」
何の話をしているのか、きっとこの猫は少しも理解していないに違いない。エルフリートはそれを承知で話し続ける。
「辺境泊の持つ戦力だけで簡単に退けられるのならば、王都から騎士を派遣せずに済む。騎士として自分が移動してみて実感したんだ。複数同時に侵攻されたら、王都の騎士の手に負えない事態になるだろう。
一カ所だけでも騎士を派遣する心配がなくなれば、それが一番到達が面倒な領地であれば、なおさら喜ばしい事だと思わないかい?」
「なおーん」
エルフリートが抱き上げて頬ずりすると、少しだけ嫌そうに目を細める。エルフリーデやレオンハルトが相手であれば、リッターはほとんどの状況で嬉しそうに目を閉じるのだが、エルフリートが相手だとそうはいかない。
今日はあまり気が向かないらしい。机の上に座らせ、顔を埋める。もふっとしたリッターの柔らかな毛皮が顔面をくすぐった。
「あと、領民たちの基礎能力の向上。それのコツはアイマルが知っていそうだから、聞き出したい。アイマルと言えば、しばらくブライス付きになるみたいだね。
ブライスがこっそり教えてくれたんだ。私に興味津々だからなるべくこの姿では会わないように気をつけろって」
リッターが喉を鳴らし始める。このままクッションになってくれるつもりのようだ。柔らかな感触を堪能し、うっとりと息を吐いた。
「アイマルと仲良くなりたいのだけれど、ブライスの助言は聞いておいた方が良いかな。ブライスが理由なしにそんな事を言うわけがないしね。
ブライスが複雑そうな顔をしていたから、追求できなかったのが悔やまれる……でも、これ以上は聞いてくれるなって顔してたし……うーん」
ぶつぶつと猫に向けてエルフリートは喋り続けるのだった。
2024.9.1 一部加筆修正




