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「ほら、もう少し近づくよー」
エルフリートの号令に、ロスヴィータは両頬を軽く叩いて気持ちを引き締め直す。揺らぐな、しっかりしろ。ロスヴィータはそう己を叱咤した。
「すまなかった。行こう」
今度こそ、揺らがない。ロスヴィータは拳を握った。
どんどん流れ弾が飛ぶようになってきた。近くで金属のぶつかり合う音がし、悲鳴や雄叫びも聞こえるようになった。
つい少し前までグリュップ王国を追いつめんばかりの勢いで襲いかかってきていたはずのガラナイツ兵が、目と鼻の先で殺し合いを演じている。彼らは元々戦友として、仲間として敵軍を一緒に追っていたはずだ。
しかし、その記憶はあれど、エルフリートたちが仕込んだ精神魔法の前では、全くの無意味だった。見た事のある人間も敵に見えるようになる、そんな恐ろしい魔法の下では、どんなに強靱な精神を持っていたとしても、抜け出せはしない。
ロスヴィータに仕組みは分からないが、エルフリートから聞いた話によると、無防備に精神魔法を受けた者は逃げられないのだそうだ。精神の強さとは全く関係のない部分に作用するから、と言っていた。
エルフリートが結界を張り直す。粉塵の舞い方が激しくなってきてた。爆発系の魔法を使っている人がいるらしい。
「このまま近づいて大丈夫なのか?」
すさまじい爆音に地響き、もはや普通の状況ではない。ロスヴィータの頭に建物の倒壊する姿が浮かんだ。倒壊した建物や雪崩から守ってくれた事があるものの、それらはエルフリートにかなりの負担を与えていた。
エルフリートの事を考えるならば、そういう事態を避けるべく動くべきだ。ロスヴィータの考えは全員の安全が最優先であった。
「大丈夫。さっきから魔法だけじゃなくて物理にも対応できるように変えてあるよ」
エルフリートの無敵ぶりがすごい。ロスヴィータは素直に関心した。
「フリーデが無理をしていないなら、そしてみんなの安全が確保されているのなら構わない」
ロスヴィータがそう返事をする瞬間にもまた一つ、何かが飛んできた。今度は魔法ではなく、誰かの足だった。酷い状況だ。
エルフリートの結界がなければ、先ほどからあちこちを爆発して回っている誰かによって、今頃ロスヴィータも同じような姿にされていただろう。
「ガラナイツのみんな、もうそろそろ終わりかなぁ。爆発系の魔法をあちこちに放っているって事は、精神的に追いつめられているせいで目視できない相手までところかまわず狙っているっていう事だよね」
「いや、あちこち狙う事で、退路を断っておびき寄せようとしているのかも」
エルフリートの考えにバルティルデが別の案を上げる。
「でも、結局的になる運命しか待っていないのにねー」
エルフリートのように常に結界を張って身を守り、攻撃手の位置を把握する事ができるのならば、影から狙う事は可能だ。
「魔法を乱発している人しか生きていない気がするんだけど、みんなはどう思う?」
「さすがにそれはないだろう。何か思うところがあるからこそ、魔法を放っているのでは?」
ロスヴィータの意見にバルティルデは納得半分といった風で、しっくりとはいっていないようだ。
「うーん。確かに、爆発が起きている場所は何かを追いかけているようにも見えなくはないけどねぇ……」
「俺は、早く終わってくれさえすれば何でも良いや」
キャンベルは考えを放棄していて参考にならない。いずれにしろ、もう少し近づかなければ分からないだろう。
だが、次第に今までおとなしかった魔獣がそわそわと落ち着きを失っていくのを見ていると、バルティルデの予感が当たっているような気がしてくる。
「ベティは大丈夫か?」
「ああ、うん。たぶん、人間の血の臭いに興奮しているんだと思う。注意しておくね」
エルフリートがベティに寄り添い、肩の辺りをとんとんと叩く。ベティは小さくうなり声を出して彼に頬ずりし、おとなしくなった。
魔獣が落ち着いたのは良いが、何となく気にくわない。頬ずりは動物と行うコミュニケーションの定番行為であるが、ロスヴィータはおもしろくなかった。
ロスヴィータの気持ちが戦争から離れている内に、魔法の爆発で民家が崩壊した場所まで行き着いた。その景色は、障害物を省いて見晴らしを良くしようという意思を感じさせた。
「バティの罠という考えに近い状況かもね。生き残りは意外に判断力を失ってはいなそうだよ」
エルフリートが魔獣に隠れるよう指示し、それからこっそりとロスヴィータに耳打ちする。
「ロス、あの魔法騎士で最後だと思う?」
「いや……思わない」
ロスヴィータはこの状況に見覚えがあった。あれは、ブライスの隊との合同演習での事だ。自分以外全員敵、という生き残り訓練をした事があった。ブライスは、周囲を見張りやすくする事によって、囮役と狩人役を同時にこなして見せたのだった。
あの魔法騎士が同じような事を考えているのだとしたら、敵はまだ数人残っていると考えて良いだろう。迂闊に近寄らず、見守っているのが一番であるはずだ。
自信がなければ、こんな策は使わない。よって、彼だか彼女だかが囮兼狩人の役割をもって残党を狩ってくれる可能性が高い。
決して、それが楽だとかそういう理由ではない。ロスヴィータたちがほしいのは、ガラナイツ側がグリュップ王国の作戦で自滅したという結果である。可能な限り介入を避ける必要もあるのだ。
「あれを囮にしたまま、残党狩りさせたらどうだい?」
「やっぱりそう思う?」
「時間がかかりそうだな……良いけどさ」
キャンベル以外、同じ事を考えているようだった。
2024.8.24 一部加筆修正




