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机いっぱいに広げられた地図を使い、打ち合わせが進む。
「少しずつ撤退し、誘導するのは良いが……これは気づかれてしまうのではないか?」
「総力戦で混戦状態の時に一部の騎士に遁走するふりをさせ、じりじりと撤退していく事を自然に見せられるかと」
「指揮力の低下を見せるわけか」
不満そうな顔で静かに唸るヘンドリクスに、ロスヴィータはわざとらしく溜息を吐いてみせる。
エルフリートは、ヘンドリクスがふりとはいえ、敵国に情けない姿を見せたくないと思っているのだろうと察した。
「騎士たちに不名誉な動きをさせたくない気持ちは分かる。だが、相手を油断させる為には必要な事だ。それに、考えてみてほしい。
我々が考えているのは、壮絶な同士討ちだ。数人の敵兵を残し、皆殺しにする作戦だ。むしろ、不名誉な動きを率先してやった者こそ、報償を受けるべき英雄となるだろう」
「だがな……理解はしても感情が本人たちを許しはしないかもしれん」
二人が考えていたのは全く違う事だった。エルフリートは自分が恥ずかしくなる。ヘンドリクスはずいぶんと部下思いでまっすぐな人柄のようだ。そして、ロスヴィータはそれを理解しているらしい。
自分が一瞬でも不名誉となる状態に陥るのが嫌なんだろうなんて、一瞬でも思った自分が本当に恥ずかしい。
「この作戦を実行する時は、すべて私のせいにすれば良い」
「なんだと?」
ロスヴィータは指を組み、顎を乗せる。そして小さく首を傾けた。悪巧みをする少年のような態度に見える。だが、それは全く見当違いだ。
「王位継承権を持つ、このロスヴィータ・マディソンが。騎士全員に勝つ為の駒になれと命じたと、そう言えば良い」
「おい」
ヘンドリクスが焦った声を出す。だが、ロスヴィータは止まらない。むしろ、堂々と、正に王位を手にした者のような悠然とした笑みを浮かべて言う。
組んでいた指を解き、右手で顎を支えながら左手を天へ向けた。どこか傲慢な態度にも見えるが、それはロスヴィータが自分自身に責任があるのだと他者を納得させる為だけのポーズだ。堂々としたその振る舞いは、皇太子の姿そのものである。
「この国を守る為に名誉も命もすべて投げ出せと、私が言った事にすれば良い。それでもごねるようなら目の前に呼んでこい。
これ以上死者を増やしたくなければ、家族を悲しませたくなければ、民を守り抜きたければ、王位継承権を持つ私に従えと、直接言ってやる」
彼女の目には、王族としての威厳が確かにあった。ロスヴィータが王位継承権を持つ人間として主張する姿を見るのは、これが初めてだ。
「……まあ、それもこの作戦を実行すると決まったら、だけどな」
「――お前は、確かに陛下と血の連なった人間なのだな」
ヘンドリクスが観念したような声をにじませた。
「私が、この戦場にいる唯一の王位継承者であるという事は、私が皆の命を統括しているというのと同義だと思っている。
私はこの国を、そして民の命を守りたい。ただそれだけだ。卑怯だと謗られようとも、無理矢理だろうとも、結果をもぎとってやる」
ロスヴィータの覚悟は、エルフリートが思っているよりも強く、重かった。エルフリートは自分の浅さに情けなく思う。その一方でエルフリートは純粋に、そんな彼女の隣に立てる事を嬉しいとも思った。本当に太陽のような人だ。
これからも共に歩んでいきたい。
「ヘンドリクス、どうする? 誘導方法は今回ばかりは撤退以外にないぞ。囲い込みたくとも、戦力不足なのだからな」
それに、向こうも短期決戦を望んでいるだろう。そう続けるロスヴィータに、ヘンドリクスは長い溜息を吐いた。
「……出陣の一言は、ロスに任せるからな」
「任せろ。王の為に情けない姿を晒し、勝利を手にしろと言ってやる」
「それは士気が下がんじゃねぇか……?」
思わず、といった風にブライスが突っ込めば、ヘンドリクスが破顔した。
ロスヴィータは王位継承権があると言っても、よほどの事がない限り王位を継承する事はない。そして公爵家の跡取りでもない為、そういった勉強はしてきていないはずだ。
だが、次期辺境伯として仕込まれているエルフリートよりも、よほど上に立つ者としての自覚が育っていたようだ。エルフリートは己の想い人に対し、畏敬の念を抱いた。
「――フリーデ、ブライス。双方打ち合わせの上、必要な人員を引き抜き、打ち合わせをするように。残った騎士は全員囮とする。
だが、本日出陣している者の早期引き上げはしない。出陣している人間で必要な者がいる場合、呼びつけるのは引き上げ後だ」
それで良いか。ヘンドリクスの言葉にロスヴィータはしっかりと頷いた。
「では、早速人員の選択に取り掛かってくれ」
「分かりました」
「行ってくる」
ヘンドリクスに一礼し、エルフリートはブライスと共に席を立つ。部屋から出る直前、エルフリートはロスヴィータをちらりと見た。彼女はヘンドリクスとの打ち合わせに集中したままで、こちらに意識を向けるような気配は微塵もない。
少し寂しく思うと同時に、そんな事を考えるようでは彼女に見合った人間にはなれないのだという事を突きつけられた気持ちになった。
エルフリートは小さく頭を振ると、これからやるべき事に集中すべく、ブライスに声をかけるのだった。
2024.8.18 一部加筆修正




