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マロリーの気持ちの変化を知ってか知らずか、アントニオは小さく笑った。
「良いんだ。俺はそういう素直で正直なところを好ましいと思っているから」
「まあ、評価だけが全てじゃないからな……あー、何か奥さんが恋しくなってきたなぁー……」
カイネウスがぼやく。マロリーはそこで、彼が既婚者だった事を知る。
貴族年鑑に彼も載っていたはずだが、マロリーはあまりそういうのを覚えるのが得意ではない。魔法の知識習得に記憶領域を奪われてしまっているからだ。
だからこそ、彼女の両親も積極的に婚活をする事はなかったのだ。結果として良縁に巡り会えたのだから、その方針は間違っていなかったと言える。
「カイネウスのとこは、確か三人目を妊娠中だったか」
「そうそう。今ようやく腹を蹴るようになってきたところだ」
「なら、さっさとこの仕事を終わらせてゆっくりしたいんじゃないか?」
「よく分かってるな。俺は待機だから、最速で終わらせてくれ」
めでたい話を盛り上げつつ、男二人は腕をぶつけ合って挨拶を交わす。
「頼りにしてるぜ。ちゃんとアントンの婚約者は守ってやるからな」
「傷のいくつかは許すが、しっかり守れよ」
アントニオは軽く頷いて見せる。カイネウスはその反応にそんなんで良いのかよ、と驚きの声を上げた。いつまでもぐだぐだとしている様子に、マロリーは呆れてしまう。
引き継ぎの打ち合わせならばともかく、これでは完全に雑談である。
周囲も隊長格が動かなければ動けない。外に出る準備を終えていた騎士の視線がこちらに集中している。
「ほら、さっさと任務へ行きなさいよ」
マロリーは彼らの会話をぶった切った。
「あなたたちが動いてくれなきゃ、いつまでたっても終わらないじゃない」
「ごもっとも」
「悪かった」
素直に謝罪を口にするアントニオはともかく、カイネウスの反応は気にくわない。マロリーはじとりとカイネウスを見た。
視線に気がついた彼は、首をすくめて半笑いをしてみせる。
少し前に抱いた好印象を撤回させる事にした。
「……ほら、さっさと行ってきなさいよ」
「行ってくる。マリン、気をつけるんだぞ」
「この私が油断するわけないじゃない」
「まあ、そうだが」
マロリーとアントニオは数秒視線を交わし、それぞれの部下の方へ顔を向ける。
「さあ、私たちは籠城よ。攻め込む相手が現れるかは別だけど」
「行くぞ。我々の動きが戦を防ぐ事になる」
私服の騎士たちが無言で小屋を出ていく。最後に出て行く騎士が中にいる全員に礼をし、ゆっくりと扉を閉めた。
人口密度が減り、マロリーは何となく閑散とした雰囲気を感じた。寂しいとは思わない。ただ少し、そう、少しだけ人が減って静かになったなと思っただけだ。
「マロリー隊長、巡回はしますか?」
「しなくて良いわ。その代わり、交代で外を監視する準備をして」
「分かりました」
すっかり元の副官に戻ったカイネウスが騎士たちに指示をし始める。マロリーはその姿を見やり、それからこれからの自分がするべき事を脳内に並べ始めるのだった。
この場所を防衛するのは数日だけである。たかが数日、されど数日。たった数日ではあるが、防衛の要である結界はマロリーがほぼ一人で維持する事になる。
その間、不測の事態――たとえば、誰かがマロリーの認識阻害の術を看破するとか――に備える必要がある。気づかずに突破してきた場合、突破後の一歩目で守護の結界が発動する。
気がついている場合、恐らく認識阻害の結界を解除する為に結界の手前で一度立ち止まるはずだ。
相手が立ち止まるタイミング――それが、こちら側の戦闘作戦へ移行する号令となる。しかし、その瞬間に立ち上がるのでは遅い。
先手を打つ為には事前にその予兆に気がついている必要があった。
こちらに近づいてくる事を把握するだけでは、それが故意なのかどうかまでは分からない。認識阻害の結界が看破されているかどうかは、対象がこの小屋めがけてやってくるのかどうかで、ある程度察する事ができる。
隊の騎士には、どの範囲が認識阻害なのかなど、細かく伝えている。その範囲を越えにやってくる時の動きを監視してもらうのだ。そうすれば、ある程度先手を打つ事が可能となるのである。
まあ、先手と言っても騎士としての戦闘は御法度なのであるが。今回の戦いは、どちらかと言うと情報戦だ。この小屋を守る為に、どうして認識阻害の結界が張られていたのかという疑問に対する答えを相手へ与え、自然に小屋を去るように仕向ける。
というわけで、マロリーは茶番を演じる事になっている。その名も「道楽貴族のみだらな遊び」である。……くだらない。
マロリーが町娘風のワンピースに着替えて待機場所へ戻ると、これまたこの場所に相応しくない出で立ちのカイネウスが待っていた。しゃれた服を着て柔らかそうな金糸をゆるくまとめると、どこか遊び人風に見える。
どう考えたって、この場所にいるようなカップルの姿ではない。だが、それで良いのだとケリーは言っていた。
そう、このくだらない茶番の立案者はケリーである。アントニオがカイネウスと無意味に会話を伸ばしていたのは、この作戦を知っていて気になっていたからに違いない。
マロリーは、この茶番を演じずに済むよう、誰も近寄らないでほしいと切に願うのだった。
2024.8.14 一部加筆修正




