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「手応えを確かめよう」
微笑みながら手を添えれば、セーレンが期待に満ちあふれた顔でこちらを見て、そして釣り糸の先を見る。その姿には緊張感が走っている。が、遠くから見る限りでは、何に対しての緊張感なのかは全く分からないだろう。
セーレンを見るふりをして、その向こうを確認する。確かに、不自然な影が見える。姿は見えないが、何者かが潜んでいる事が目視できた。
太陽の向きが味方をしてくれるとは、運が良い。ロスヴィータは小さく微笑んだ。
ロスヴィータはセーレンと共に釣れそうな魚に気を取られているふりをし、グレッドソンはそんな二人を微笑ましく見守るふりをして襲われるのを待った。
「ああっ!」
セーレンが叫ぶ。その瞬間、釣り針が水面から抜け出した。
「駄目だったぁー!」
癇癪を起こしたかのような叫び声に、ロスヴィータは片耳をふさぎついでに侵入者の方を見る。確実に近づいてきているのが分かる。それと、セーレンの叫び声に動揺する気配も。
一瞬、ばれたのかと身構えたに違いない。その意識の揺れは命取りだ。セーレンもなかなか意地が悪い。
「ほら、次はきっと獲れるよ」
そう言ってセーレンの持つ釣り針に釣り餌を刺してやる。うねうねと動くミミズはかわいそうだが、今度こそ大物を釣る為の尊い犠牲になってもらう。
ロスヴィータがセーレンに微笑めば、彼はぱあっと顔色をよくして釣り竿を振った。ひゅんっと小気味よい音と共に、ぽちゃんと小さな音を立てて釣り針が沈む。
どのぐらいまで接近してから姿を現すだろうか。セーレンの肩を抱き寄せるようにして密着し、密談する。
「相手は三人だね。思ったより少ないな」
「って事は、二手に分かれた可能性があるよね」
どうしたものか。三人を罠まで誘導するのは良いが、取りこぼしは嫌だ。ロスヴィータはちらりとグレッドソンに視線を向けた。
「グレッドソン」
「何でしょう、お坊ちゃま」
「大物が釣れると思うか?」
彼はゆっくりと近づき、川を覗き込む。
「そうですね……これが失敗したら、次があります。諦めなければ必ず獲れるでしょう」
第一陣が引っかかったら、第二陣が来る。暗にそう言われたロスヴィータは鷹揚に頷いた。
「そうだろうか。それならば良いが」
「大丈夫、僕、ちゃんと釣るから!」
気合いいっぱいのセーレンは、無駄に竿を振っている。
「おい、それじゃ魚が逃げる」
「しまった」
「ははは、おっちょこちょいめ」
可愛らしい少年を演じながら、彼はしっかり距離を測っている。どうやら、役者よりも間諜に向いているようだ。彼の名演に助けられながら、その刻を待った。
二手に分かれているところから察してはいたが、相手は慎重派らしい。意外にも襲撃をしてこない。うまく魚が釣れず、だんだんとしょぼくれていく様子を見事に演じるセーレンをなぐさめるふりをしながら、ロスヴィータは焦れた。
これ以上引き延ばすと、今度は怪しまれてしまう。このまま尾行してくれると信じ、罠に向けて移動するべきだろう。
「また、明日来よう? 今日は魚たちはおなかが空いていないのかもしれないよ」
「うぅ……っ、でもぉ!」
ぐるず頭を優しく撫で、その隙に釣り竿を回収する。奪った釣り竿はグレッドソンの手に渡った。
「しかと預かりました」
恭しく釣り具を受け取ったグレッドソンは撤収――もとい、襲撃――の支度を始めた。
「こういうのはな、戦略的撤退と言うのだ。うまくゆかない時は一度引き、改めて挑戦するんだ」
「兄様……」
肩を抱き寄せ、その頭に頬を寄せる。セーレンの背が低めで助かった。より兄弟らしさが表現できる。さあ、来い。ロスヴィータは背後に忍び寄る彼らには聞こえぬよう、心の中で声をかけた。
襲いかかってくるのは、恐らく森に入ってしばらくした頃になるだろう。ロスヴィータは時折セーレンを慰めるふりをしながら先頭を歩く。ロスヴィータがこれから進もうとしている道は、罠だらけだ。少しでも間違えると罠に引っかかる。
罠のない場所、罠に引っかからない方法、それら全てを頭に叩き込んでいる。それはロスヴィータの隊の人間全員同じであった。
「ちょっと休憩しよう」
ロスヴィータは、「さあ、襲いかかりやすい場所だぞ」と相手を挑発するかのように、休憩を挟んだ。グレッドソンは魚の入った桶を比較的平らな場所に置き、セーレンへ水筒を渡す。
彼が嬉しそうにそれを飲んでいると、がさりと雑音が混じる。とうとう来たか。ロスヴィータは何気ない風を装って、音のした方向へ顔を向けた。
「……どちら様? 我が領民とは違うようだが」
「……」
とぼけつつ、領主の一族であると誤認識させるような言葉を混ぜる。ロスヴィータの問いかけに、ようやく姿を現した三人の侵入者は無言を返す。
「あまり、友好的ではないようだな……セーレン、逃げなさい」
ロスヴィータが彼の背をぽんと叩く。小さく戸惑いの声をあげたセーレンは、彼らに背を向けた。躓きながら逃げる姿はいかにも、といった感じである。
その姿を見送りながら、ロスヴィータは叫んだ。
「グレッドソン!」
「はっ」
ロスヴィータとグレッドソンはセーレンとも違う方向へ走り出した。
2024.8.11 一部加筆修正




