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ひたすら悔しがるエルフリートをよそに、三人は身支度を整えた――と思ったら、ちゃっかりエルフリートも身支度を整えている。
「はあ、王子様に後ろから抱きしめられる妖精の気分が味わえたはずなのにぃ……」
切なそうな溜め息の原因は実にどうでも良い事――彼にとってはどうでも良くはなかったのだろうが――だった。ロスヴィータは脱力してしまう。よくもそんな事で、と思ってしまう。
いや、しかしである。彼はある意味欲望に忠実なだけなのではないか。これからどうなるとも分からない状況である。今を有意義に過ごしたいという考えは間違ってはいない。
ぶつぶつと口を尖らせて悔しがる彼が、愛しく見えてきた。
「フリーデ」
「あっ」
ロスヴィータは彼の背中を抱きしめる。そしてその耳元で囁く。
「これで、満足かい?」
「……うん。ロス、大好き」
ほう、と満足げな吐息がエルフリートから漏れる。後悔しないように。これからの頑張りをかけたハグである。
「よし、頑張ろう。私も、可能な限りやれる事を精一杯やってくる」
エルフリートが振り返り、抱きしめてきた。ロスヴィータはそれを笑顔で受け止める。
「ロスゥー! 無理しないでね。別行動になっても、無茶しないでね!」
「はは、しないさ。任務を着実に果たすだけさ」
ぎゅむ、と強く抱きしめられる。ほとんど同じ体型なのに、ロスヴィータよりも少し筋肉質だ。ふんわりと甘い香りがした気がするが、たぶんそれは気のせいだ。狩りをする時は無臭にするって言っていたから。
ロスヴィータは恋人の香りを吸い込んだ。気のせいだとしてもかまわない。ロスヴィータにとって、これは現実なのだから。
「はいはい、それくらいにしておきな。朝食後、すぐに打ち合わせだよ」
「はぁい!」
「ああ。バティ、ありがとう」
「良いさ。気持ちは分かる」
バルティルデがひらひらと手を振りながら先に小屋を出る。次いで、マロリーがもの言いたげな視線を投げてから背を向けた。
「行こっか」
「ああ」
エルフリートに誘導されるようにして、ロスヴィータも小屋を出た。
「おう、意外にゆっくりのご登場じゃねぇか」
「すまない、気合いを入れていたんだ」
真っ先にロスヴィータたちの登場に気がついたブライスが手を上げる。その隣には地図を持つケリーが。打ち合わせ中だったようだ。
ブライスの口元はにやついていて、ケリーの方はこちらを小動物を見るかのような目で見ている。それぞれ何かを察したのだろう。彼らは軽く挨拶をすると、会話に戻った。
「フリーデ、あと少しもしない内に第一陣の捕虜が来るってよ。テッサが楽しそうに鳴いててうるさいんだ」
「わあ、すごく興奮してるねぇ」
エンリケの声かけで、エルフリートの視線がそちらに向く。ロスヴィータもつられて見れば、彼の頭上で鳥が低空飛行している。
くるくると円を描きながらキュルルと鳴いていた。
「こいつ、自分の手柄だと思っているんだ」
「そうなんだ。でも、あながち間違いじゃないよね」
エルフリートはそう言いながらエンリケの方へ向かっていった。
「テッサがいなかったら、間に合わなかったんだもん」
「まあな」
いつの間にか親しくなったらしい二人は口調も砕けている。ロスヴィータは少しだけ、ほんの少しだけつまらない気分になった。
「あ、ロス。この肉食ってみろよ」
「味付けは俺だから、うまいぜ」
「うん?」
「焼いたのは俺。ゲイルはちゃんとした厨房じゃないとうまく作れないんだ」
残されたロスヴィータに声をかけてきたのは、グレッドソンとゲイルだった。グレッドソンが笑いながらゲイルの秘密を打ち明ければ、ゲイルは恥ずかしそうに頬を赤く染めて反論した。
「おまっ、お前は厨房じゃ役立たずじゃねぇか!」
「あ? 俺は茶を淹れる方に全力出してるから良いんだよ」
どうやら二人は普段からも仲が良いらしい。役割分担もばっちりのようだ。ロスヴィータは二人のやりとりを見ながら肉を食べた。噛むと肉汁がじわっとあふれ出してくる。
油の出るような質の良い肉だと思っていなかったロスヴィータは思わず「あつっ」と小さな悲鳴を上げる。
はふはふ、と口の中で肉を転がし熱を逃がしていると、口論をやめた二人が同時に覗き込んできた。
「どうだ?」
声まで揃った質問に、ロスヴィータは破顔した。息がぴったり過ぎて面白い。
「ちょっと、何だよ。笑うなよ」
「良いじゃねぇか、王子様の太陽みたいな笑顔って事は、うまかったって事だろ」
「勝手に人の気持ちをねつ造するな! お前はいつもそんなんだから彼女にフられるんだ」
「うっせぇ」
二人のやりとりはいつまでも見ていられそうだ。面白すぎて笑いが止まらない。
「てめぇら、うっせぇぞ」
さすがに騒がしいとブライスの注意が入る。
「良いじゃないか。今の私たちはただの領民なのだから」
ロスヴィータはもちろん、ブライスも騎士の制服を脱ぎ、山歩きを想定した私服を身につけている。これからしばらく、ここにいる全員は騎士ではない一般市民として活動するのである。
むしろ騎士らしさがない方が良いのだ。
「……まぁ、それもそうだが。こいつらはやりすぎだ」
分かっていても、心根は真面目な騎士なのだろう。ブライスは不満そうに顔をしかめるのだった。
2024.8.11 一部加筆修正




