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淡く輝いて見えるアメジストを見つめ返すと、それが瞬いた。
「昨日はよく眠れた?」
「え? まあ……普通には」
ロスヴィータは咄嗟に嘘を吐いた。眠れなかったわけではない。ただ、少し夜更かしはした。エルフリートはロスヴィータが嘘を吐くとは思っていないのか、その返事を聞いてほっとしたように目元をゆるめた。
「私はね、交代で見張りをしてたからちょっと寝不足」
「そうか」
エルフリートのふんわりとした言葉遣いが心地よい。ロスヴィータのさざ波立っていた気持ちが凪いでいく。ずっと気が張っていたのだろう。
実際にされているわけではないが、優しく抱きしめられているような気がした。
「ロス」
「うん?」
「大好きだよ。ずっと一緒にいてね」
「何を今更」
突然の言葉を鼻で笑う。知っている。エルフリートが、ロスヴィータの為に様々な苦労や努力を重ねている事を。幼い頃、顔を見合わせる前――あの絵本を手にした時から決まっていたのだ。
誕生日にエルフリートと対面しなくとも、ロスヴィータはいつかエルフリートを見つけ出したに違いない。
それはおそらく、エルフリートも同じだろう。
「君は私の運命だ。今更離してはやれないな」
「そっかぁ……」
少しくらいは良いだろうか。ロスヴィータは目の前で控えめに笑う彼に触れたくてしかたなかった。頬に触れるくらい、それくらいなら。今なら、外野の目はない。秘密を知っている人間しかいない空間で、リスクもない。
そっと手を伸ばす。エルフリートは近付いてくる手に、自らの手を添わせた。
「ふふ」
エルフリートが静かに笑い声を漏らす。ロスヴィータが一方的に触れようとしていたのを防がれてしまった。だが、こっちの方が良い。手の指を絡ませる。
「私だけの妖精、私の純真、美しき白銀。私につきあってこんな組織に入ってしまって、かわいそうに」
一見美しく見えるその手も、触ってみれば剣だこがあるし、どこか男性的な雰囲気がある。繋いだ手を自分のそばまで引き寄せ、甲に口づける。
「ロス……」
ロスヴィータに向ける、エルフリートの視線に熱が篭もる。
「フリーデ、もう少し近づいても?」
少し触れ、視線を交わすと欲が出た。もう少し触れていたい。それに、とロスヴィータは思う。彼の体温を感じたら、すぐに眠れそうな気がする。
「うん。お――」
「いちゃつくな、そこ」
「あっ」
「す、すまない」
ぴしゃりとバルティルデの声が割り込んだ。びっくりして手を離す。
「全く、秘密を知る人間しかいないからって油断しすぎよ」
マロリーも起きていたらしい。彼女の苦言にロスヴィータは素直に謝った。
「本当に、すまない」
「全くだよ。あたしたちはパートナーと離ればなれだってのに」
バルティルデの言葉がロスヴィータの胸にぐさりと刺さる。バルティルデの夫は自分のいる国を相手取って戦うリスクを恐れ、傭兵業を休んでいる。
マロリーの婚約者であるアントニオは泥を被る騎士の一人であり、自分の副官が狩猟罠の仕掛けが得意なレオンハルトである為に、打ち合わせ直後に一足早く王都を発っていた。
「明日から、まともには眠れない日々が続くんだ。そんな事してないで寝な」
「うん、ごめん」
「バティの言う通りだな。ありがとう」
普段とは違い、とげとげしい声色で厳しい事を言うバルティルデに二人は頷いた。眠れる時に眠る。休める時に休む。それを徹底しないと体も精神も、もたなくなってしまう。それをよく知っているからこその厳しい言葉だ。
それは全て国の為であり、自分たちが笑顔でこの作戦を終わらせる為である。ロスヴィータは彼女の言葉をかみしめながら、眠りについた。
「……そういうのは、全部終わってからにしとくれよ」
翌朝、ロスヴィータはバルティルデの呆れ声で目を覚ました。何の話だろうか。いぶかしみながらゆっくりと目を開けば、その理由はすぐに分かった。
「あっ!?」
思わずロスヴィータは小さく悲鳴を上げた。いったいなぜこんな事に。ロスヴィータはエルフリートを背後から抱きしめるような格好で寝ていた。それも、彼の腹部に腕を回し、首に顔をうずめている。
正直、これは不健全だ。ロスヴィータは心の中で冷や汗をかいた。慌てて腕をのければ、その動きでエルフリートが目を覚ます。
「うぅん……?」
「まあ、おおかた寝ぼけでもしたんだろうが」
「す、すまない……」
状況がよく分からず、目を擦りながら不思議そうに振り向く彼に、ロスヴィータはなんと言うべきか言葉が思いつかなかった。
「ロス、おはよう。ずいぶんと近いね?」
「こっ、これはだなっ」
言葉に詰まったまま、おどおどとする彼女に向けてエルフリートが首を傾げていると、バルティルデの笑い声が部屋に響いた。
「あんた、ロスの抱き枕にされてたんだよ」
「ええっ!?」
エルフリートから向けられるまっすぐな視線が痛い。ロスヴィータは彼から目を逸らした。寝ぼけて、とはいえども眠ってる相手に触れるなんて、あの絵本の王子様は絶対にしない――気がする。
「ぜんっぜん覚えてない! 損したぁー!!」
「……は?」
幻滅されたのではないかと戦々恐々としていたロスヴィータは、彼の悔しそうな叫びに目を見開いた。
2024.8.11 一部加筆修正




