4-1.悪いんだが緊急事態だ
突発的な異世界の孔が生じてから数日が経った。
同時多発的に孔がいっぱい開いたからなのか、あれ以降新しい孔が生じるなんてことはなくて状況は落ち着いてるのは幸いだ。
魔物を倒しきった後のことを軍に確認してみたけど、何匹かは撃ち漏らしてたらしく街の近くにまで接近してたみたい。けれど軍の先行部隊が間に合って、かつ漏らしたのが小型種のみで数も少なかったから対処できたようで、街の被害はゼロ。
魔物を逃してたって聞いた時は肝が冷えたけど、被害ゼロと教えてもらって私はホッと胸を撫で下ろした。もちろん軍には嫌味を言われたけど。
「それはいいんだけど――」
基本的に何をしたところでポジティブに評価されることはないのはこれまでの人生で身を以て知ってるから、嫌味程度なんてことはない。
それよりも私の頭の中を占めてるのは、二人の人物だ。
「デュランさん、そしてあの褐色の女の人……」
夜にベッドに入っても、ここのところ毎日寝付くまで頭の中をグルグルと同じことばかりが回ってる。
貴族でもあり、宰相補佐官まで出世したあの人がなぜあそこまで落ちぶれてしまっているのか。体も悪そうだし、おそらくは薬物にまで手を出してる。何より、あの怯えっぷりと繰り返された謝罪。いったい彼に何があったのか。
そしてもう一人、孔から現れて去っていった彼女。孔に関することといい魔物を操ってたっぽいことといい謎だらけだけど、私の手を打ち払った時の「裏切り者」とはいったい――
「何だってのよ……?」
現在この国で裏切り者とされているのは私の父、シグムンドだけだ。国を守るふりをしながらその実、魔物の王と内通してこの世界へ魔物を解き放っていたとされた。けれど彼女は裏切った貴様「ら」って言ってた。つまり他にも裏切り者がいるということになる。もし彼女がこのヴェルシュ王国の住民だったとしたら、その発言はおかしい。
ならどういうことかしら……というところで眠気に負けて思考が停止してしまうのが常なんだけど、今日ばかりは不意にある考えが浮かんだ。
「魔物の、王……」
魔物、ということで普段相手にしてるあの影のバケモノみたいなのを勝手に想像してたけど、内通してたとするなら話が通じる理性的な人物でなければならないはず。となると……
「彼女が魔物の王、なんてことは無いだろうけど――」
もし、もしも彼女が本当に異世界の孔からやってきたのならば。
あの孔の向こうにも人間が住んでて、人が住んでるのであれば当然国があり王様がいて。だとしたら、ずっと信じてなかったけどお父さんは本当に異世界の王様と内通してて――
「いろいろと考え込んでるところ悪いんだが――」
眠気をぶっ千切り思考が加速して、良くない想像まで一気にしてしまいそうになってた私だったけど、それも突然届いてきたブランクの声で止まった。
閉じてた目を開くと、暗闇に溶け込むようにしてブランクがベッドの傍らに立っていた。何よ、乙女の寝顔を覗き込むような父親は娘に嫌われるわよ。
「大丈夫、イチカは一緒にネンネをねだってきてくれてたから嫌われちゃいねぇ……ってそんなふざけた話してる場合じゃねぇ。緊急事態だ」
「緊急事態?」
口元をニヤニヤさせて人を食ったような態度がデフォルトのブランクだけど、枕元の照明を点けると、その表情が険しい。何かがあったのは間違いないみたいだけど……まさか孔がまた生じたの?
「いや、それもヤベェ話じゃああるがもっとヤベェ話だ。特にシャーリー、アンタにとってな」
私にとってヤバい話? ある意味この国の最底辺に属する私にとって、今更そんなヤバいことなんて早々無いと思うけど。
寝る前ってこともあって、呑気にあくび混じりの相槌を打った私だったけど、ブランクが教えてくれた緊急事態の内容に眠気が一気に覚めた。
「この間助けたデュランって男……どうやら今夜、襲撃されるみたいだぜ?」
凶報を聞かされて、私はすぐに城を抜け出した。
取り急ぎ軍服に着替え、剣だけを持って窓から抜け出し夜の街を駆ける。
「まったく……冗談であってほしいわ」
屋根の上を跳び、暗く静まり返った街を足元に見ながら私は下唇を噛んだ。これが本当に冗談であれば、ふざけたことをぬかしたブランクを叩きのめし私のストレス解消になって万々歳だ。けれどブランクは冗談が下手くそであり、何より彼は洒落にもならない冗談は口にしない。ほぼ間違いなくアイツが口にした情報は事実だと思う。
いったいどこからそんな情報を手に入れたのか、そこらへんを問い詰めたいところだ。もっとも、ブランクには先にデュランさんのところに向かってもらったからここにはいないんだけど。
「間に合っててよ……!」
父の死の時に何があったとしてもデュランさんが父の親友であったことに変わりはないし、私自身も大切にしてもらった。そこらを抜きにしても襲われていい理由はないし、なんとか無事であってほしい。
祈りながら全速で街を駆け抜けて、やがて王都の端を示す大きな壁がうっすらと見えてきた。
同時に――家が燃え盛っている様子も。
「嘘でしょっ……!?」
目を擦って何度もまばたきしたけど間違いない。燃えてるのはデュランさんの家だ。
轟々と炎が立ち昇って、夜だってのに昼間みたいに周囲を照らしまくってる。家はすでに全部が炎に包まれてて、小さな庭にあった重たげな木がパチパチと悲鳴を上げて今にも燃え落ちてしまいそうだった。
呆然。あまりの事態に立ち尽くしてしまったけれど、そうしてる場合じゃない。私には私ができることがある。
「お願い、力を貸して……!」
ロケットを握りしめて詠唱を開始すると足元が青白く光って、いつもとは違った模様が私を包み込む。
伝わってくる熱を遮断するひんやりとした感触が肌を撫でる。遅れて魔力が消え、一瞬だけ何かがずっしりとのしかかってくる感覚がやってきて私は見上げた。そこには厳しいイフリル――じゃなくって。
「久しぶりね、ナイアード」
羨ましいを通り越してため息しかでないほど瑞々しく美しい髪を撫でる水の大精霊、ナイアードが立っていた。戦闘じゃイフリルくらいしか呼び出さないからずいぶんと久しぶりなんだけど、気まぐれな彼女の機嫌は悪くはないらしく、私の顔を覗き込んで楽しそうである。
「お願いがあるんだけど、いい? 目の前の燃えてる家の火を消してほしいの」
私がお願いすると、指先を顎に当てて少し考える素振りをしたが、すぐに天高くに昇っていった。そして――空から大量の水が降り注いだ。
バッシャン、と家ごと押しつぶしそうな勢いで水の塊が降ってきて一瞬家が壊れたんじゃないかと思ったけど、どうやらボロ屋に見えて作りはしっかりとしてたようで何とか持ちこたえてくれた。
さすがは水の大精霊というべきか、荒っぽい消火ではあったけれど家も木も外側の火は一瞬で消えた。中はまだ火が残ってるけど、今度は水の妖精たちが大量に現れてどんどんと消火していく。
気がつけば、あれだけ燃え盛って手の施しようがないくらいだった火が完全に消えてしまっていた。
「ありがとう、ナイアード。今度また呼ぶわね」
そう声を掛けると、ナイアードは腰に手を当てて少し怒ったようなフリをしてみせた。どうやらいつもイフリルばっかり呼んでることに抗議してるらしい。とはいえ、本気で怒ってるわけじゃないみたいで、最後はニッコリと笑顔で還っていった。やっぱりたまには喚んであげないといけないわよね。まあ魔力を制限されてるから昔みたいにホイホイ喚べないんだけど。
ともあれ、無事に消火できて良かった。だけどデュランさんが無事かどうかはまだ分かんない。ブランクが間に合ってくれてればいいんだけど――
「……よお、シャーリー」
と思ってたらブランクのねちっこい声が聞こえ、半焼した家の反対側からデュランさんと女中さんを肩に担いでヌッと姿を現した。ただし、全身ずぶ濡れで。
いつもは少しツンと立っている硬めの髪はぺったりと額に張り付いて、サングラスも半分ずれちゃってる。黒いコートの裾からポタポタと雫が垂れて、まさに濡れネズミである。
「あら、ブランク。水遊びでもしてきたの?」
「おかげさまでな。せっかく決死の覚悟で炎の中に飛び込んだってのに、まさか水の中に突き落とされるたぁ思わなかったぜ」
「火照った体が冷めて良かったじゃない」
ま、デュランさんも無事みたいで何より。様子を確認してみるけど、気を失ってるだけでケガとかもないみたい。女中さんも同じく問題なさそうで、安堵の息を吐き出した。
「ありがと、ブランク。おかげで二人とも助けられたわ」
「……なぁに。ご主人サマのご希望とあればお安い御用よ。とはいえ、服のまま水ン中泳ぐハメになるのは勘弁してもらいてぇが」
そこは不可抗力として我慢してちょうだい。燃えてる家から無事に脱出できたんだし。
さて。とりあえずは一息ついたわけだけど。
ひとまず意識のないデュランさんたちを安全な場所に寝かせると、私とブランクは彼らを守るように立ちはだかった。そして炎が消えてすっかり元通りになった暗闇に向かって言い放つ。
「出てきなさい。上手にかくれんぼしてるつもりかもしれないけど、妖精たちにはバレバレよ」
さっきから妖精たちが騒いでて、この場にいる姿の見えない何者かの存在を教えてくれてる。しばらく相手の出方を待ってみたけど中々反応が返ってこない。私がハッタリを言ってると思ってんのかしらね。
そっちがそのつもりなら、と一歩前に踏み出したその時。
ナイフが暗闇を斬り裂いて飛んできた。
キレイに暗がりに溶け込んだ見事な一撃だけど、あいにくとこちらは暗い中でもハッキリと見えてるの。剣を一閃して叩き落とし、お返しとばかりに照明を兼ねた炎の魔術をお見舞いしてやる。すると、石畳に着弾した炎に照らされていくつかの影が私たちの前に姿を現した。
「ほんっとに……最初っから出てきときなさいっての」
ぶつくさと文句を垂れてやりながら正面をにらみつける。
全身黒尽くめで顔には仮面。いかにもいかにもな連中が私たちの前に立っていたのだった。
読んでみて少しでも「面白かった」「続きが気になる」などと思って頂けましたら、画面下部の☆評価、画面上部の「ブックマークに追加」などで応援頂けると励みになります。
何卒よろしくお願いいたします。




