3-5.幻滅したでしょ
ネザロと別れると私は足早に部屋へと戻った。
ドレスを脱ぎ捨て部屋着を持って浴室へ駆け込む。浴槽のお湯は幾分冷えていたけど精霊の力は偉大で、お願いするとあっという間に温まってくれた。
「……」
お湯の中に体を沈め無言で顔を洗う。何度も何度もお湯を被って、ようやく体の強張りが取れたのか、湯気でくもった天井を見上げると勝手に震えた息が漏れた。
うつむく。濡れた前髪の隙間から見えるのは私の傷だらけの体だ。精霊師は普通の人より傷が治りやすいけど、それでも全部が完全に戻るわけじゃない。いつまでも残る傷跡はあるし、見た目だけは治っても時折疼くことだってある。
「ぅ……」
胸元の傷跡に触ると胸が締め付けられて息が苦しくなる。顔にお湯をかけてその痛みをごまかす。今だけは、もう少し気持ちが落ち着くまでは頭の中を空っぽにした方がいい。齢二十一にして身につけた、私がこの場所で生き続けるための処世術だ。
そうしてしばらく私はお湯に浸かり続けて、出てきたらすでに窓の外が暗くなり始めてた。どうやら結構な時間閉じこもってたらしい。
部屋に戻ると、ぽつんとおかれた真ん中のテーブルに夕食が置かれていた。脱ぎ捨てたドレスは回収されたみたいでどこにもない。あまり直接顔を合わせる機会はないけど、あの子も私みたいなのを担当して大変だろうに。いつかお礼を言わなきゃ。
心の中で侍女に礼を伝えつつスープを口に運ぶ。少し冷めてしまってるけど残った仄かな温もりのおかげでホッとした気分になれた。毒味とかも何もされてないけど、その分温かい状態でご飯が食べられるっていうのは私の立場での数少ないメリットだ。
準備されていた食事はそれほど多くないからあっという間に食べ終わってしまって、自分でお皿を重ねて部屋の外に出しておく。
「さて、と……」
これで後は寝るだけ――なんだけど、まだ夜は始まったばかりで寝るには早すぎる。
なので机の引き出しを開けて、中からグラスとこの間買ったばかりのお酒を取り出してテーブルに並べた。なお、何故ラックじゃなくて机かと言うと、ただ単に部屋にラックが無いから。置けそうな場所がそこだけだったんだけど、サイズ的にジャストフィットでちょっと気に入ってる。
「魔術で氷を作って、と」
カランと乾いた音を立ててあっという間にグラスが氷で埋まり、そこに琥珀色の酒を注いでいく。一口だけ飲むと勝手に息が漏れて、それからタバコに火を点けた。
ゆっくりと煙を吐き出し、ゆらゆらと揺れながら消えていくそれを眺めつつグラスを傾ける。空になったらすぐに注いで、そしてまたすぐ飲み干す。ぼーっと、何も考えず頭を空っぽにしてただ酒とタバコを楽しんでると――
「うら若い乙女が、おっさんクセェことで」
肩をすくめたブランクがスーッと目の前に現れた。うっさいわね。どんな趣味を持ってようが人の勝手でしょ。てか貴方いたの?
「いや、ちょっと一人になってた。俺も頭を冷やす時間が欲しくってね」
「そ。
……幻滅したでしょ、私みたいなのが主人で」
「ンなことねぇよ。まぁ……驚きはしたけどな」
ブランクのいう「驚き」というのはだいぶ気を遣った表現だと思う。でなきゃ「頭を冷やす」なんて言葉は出てくるはずがない。ホント、精霊にまで気を遣わせるなんてダメな主人だこと。
「一人で静かに酒とタバコを嗜む。歳を考えりゃ早すぎるたぁ思うが悪い趣味じゃねぇ。俺も付き合っていいか?」
「勝手にしなさいよ。椅子は壁際にあるのを使って。グラスも引き出しに入ってるから好きになさい」
使う機会もないから埃被りっぱなしの椅子をブランクが持ってきて、テーブルを挟んで向かい側に座った。座ったまま手だけを伸ばして、引き出しから使われることも無かったグラスを取り出すと、ついさっき私がやったのと同じように魔術で氷を作ってから酒を注いでタバコに火を点けた。
浴びるように酒を飲む私とは違って、お酒の奥深さを味わうように少しずつ飲むブランクの姿は大人の男の人らしくすごく様になってる。その姿を見てて、ふとお父さんを思い出した。
(お父さん……)
お父さんは豪快で、飲む時はいっつも騒がしかった。友だちと肩を組んで大声で調子っぱずれの歌を歌いながらすごく楽しそうに飲んでたっけ。ブランクとはまったく違う。なのにお父さんを思い出すなんて、なんでだろう。
「ん? どうした? そんな熱い視線で見つめられると照れちゃうぜ。けど悪いな、俺には妻という大切な人がいるんだ」
「……ばーか」
どうやら私はブランクをじっと見つめてしまっていたらしい。芝居がかった仕草でおどけてみせる彼の姿にフッと笑い声が漏れて、そこで自分がずいぶんとしかめっ面してたらしいと気がついた。
「そうそう。酒を飲む時はそうやって気を抜くもんだ。しかめっ面なアンタも美人だけど、俺はどっちかってと笑った顔の方が好みだな」
「なにそれ。ひょっとして私を口説いてるつもり?」
「だとしたら?」
「身の程わきまえなさい」
鼻で嘲笑ってやったらブランクはくつくつと喉を鳴らして楽しそうに笑った。どうやらこういう対応が彼は好みらしい。
「で? そんな人生に疲れた顔して何考えてたんだ? おっさんに話してみ?」
「別に。ただ……ちょっと父の事を思い出してただけよ」
そう言うとブランクは少し考え込むように顎を撫でて、それから私のグラスにゆっくりと酒を注いだ。
「そういや、昼間に裏切っただとかなんとか言ってたな。親父さん何をやらかしたんだ?」
「……また蒸し返すの?」
「まあそう言うなって。その胸元のロケット」ブランクが指差した。「親父さんとの思い出の品なんだろ? それを肌身放さずつけてるってことは、裏切ったなんて言いながら親父さんのことをまだ好きってこった。つまり、評価されてるほど悪い人じゃ無さそうだなって俺は思うわけ。それに、悪人に育てられたにしちゃシャーリー、アンタはまっすぐに育ってる。となりゃ、これでも一児の父だった俺としちゃ興味があるわけよ。ぜひとも親父さんの話聞きてぇなぁって。な?」
興味津々って感じで、立て板に水とばかりにペラペラと理由を口にしていく。よく回る舌に感心しながら彼の様子を伺ってみるけど、ゴシップ的な興味ってわけでも無さそうで、単純に話を聞きたそうな感じだ。
「きっと良い親父さんだったんだろ? ならその思い出を溜め込むばっかじゃなくてたまにゃ口にしてみた方が親父さんも草葉の陰で喜んでくれるぜ?」
「……まったく。口が達者な精霊だこと」
でも……ブランクが言うとおりたまには誰かに話してみるのもいいかもしれない。父の話なんてこの国の人には絶対口にできないし、それに……ブランクは今後も父の悪い話ばかり耳にするだろう。確かに私はお父さんが大好きで、だからこそブランクにはお父さんの良いところも知っておいてほしい。
「面白い話じゃないわよ?」
グラスの中身を一気に飲み干し、そう前置きしてから私は、少しふわふわした心地を覚えつつお父さんとの記憶の海へと漕ぎ出した。
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