あなたのお悩み、お茶屋の天使が解決いたしますⅠ ~会社員編~
感想などをいただけるととても嬉しいです。
この作品はシリーズもののため、Ⅰの他にもⅡ、Ⅲ・・・・・・を出していきます。
あなたはお茶を飲みますか?
日本茶には煎茶、玉露、抹茶・・・・・・
中国茶には鉄観音、プーアール茶、ジャスミン茶・・・・・・
紅茶にはダージリン、アッサム、ウバ・・・・・・
お茶は心を癒やしてくれる。
あなたの悩みをお茶とともに解決しましょう。
5月もそろそろ半分が過ぎようとしていた。
桜の季節も終わりかけになっており道には桜の花が散っていた。
うららかな朝。
「葉月ー。準備できてる?」
お茶屋『一茶』から女性の声がした。
「大丈夫だよ、お母さん。今行くね」
二階建ての木造建築から2人の声が聞こえる。
2階から降りてきたのはまだ高校生くらいの女子だった。
「ごめんね葉月。いっつもお店手伝わせちゃって」
「平気だよ。好きでやってるんだもん」
母親は葉月に手を合わせてるが、葉月は笑顔で薄緑色の紬の着物の帯を直した。
「じゃあ、今日もよろしくね」
「はい」
親子の笑顔とともに『一茶』は開いた。
「こんにちは」
開店直後、まだ朝の10時にもかかわらず1人の初老の男性が来た。
「あっ、時雨さん。こんにちは」
葉月は時雨ににこやかに挨拶した。
「今日はまた一段と早いんですね」
「なに、年寄りは朝も夜も早いんじゃよ。それより今日も葉月ちゃん1人かい?美和子さんはどうしたんじゃ」
「そんな、時雨さんはまだまだお若いですよ。お母さんならいつも通り看護のお仕事ですよ」
時雨と葉月は何気ない会話をして和んでいた。
「美和子さんも葉月ちゃんも大変じゃの。雪さんこのお茶屋を2人で一生懸命残しておる」
雪は美和子の夫、葉月の父親に当たる人物である。
「ちょっとは大変ですけどね。でもそれ以上に楽しいですから」
葉月の顔には営業スマイルとは似ても似つかぬ本物の笑顔がずっと残っている。
「雪さんも天国で喜んどるじゃろう」
時雨はほのぼのと言った。
『一茶』はもともと一茶 雪の家系が営んできたお茶屋だ。その雪は3年前交通事故に遭ってしまい命を落とした。
雪には兄弟がいたがその誰も店を継ぎたくないと言い土地を売ろうとした。
しかし、美和子と葉月にとっては雪と過ごしたかけがえのない場所。
故に美和子は看護の仕事をやりながら、葉月は学業をしながら2人で店を切り盛りすることにした。
「お手伝いの人でも雇えばいいのに」
「時雨さん、そんなの無理ですよ。そんなお金うちにはないですもん」
葉月は少し苦笑いをした。
「まぁ、わしとしては葉月ちゃんのかわいい顔を独り占めできていいんじゃがのぉ」
「もう、時雨さんったら。またそんなことを」
時雨と葉月はお互いの顔を見てクスリと笑った。
たしかに葉月の顔はモデルのようとまではいかなくとも整っている。
「それで今日はいつもの茶葉ですか」
「おおそうじゃ。お願いできるかの」
「はい、わかりました。少々お待ちください」
笑顔でそう言うと葉月は奥に入っていった。
「はいどうぞ」
「いつもすまんの。ここの茶葉じゃないとどうしてもだめでな」
「いえいえ。喜んでもらえてこちらがうれしいです」
時雨のうれしそうな顔にひかれるように葉月も笑った。
「それじゃあ、葉月ちゃん。頑張ってな」
時雨は受け取った茶葉を持って出ようとしていた。
「またのお越しをお待ちしております」
葉月は頭を下げながら見送ろうとした。
「おっ、そうじゃ葉月さん」
何かを思い出したように時雨は振り返った。
「どうされました?」
不思議そうに葉月は笑顔の時雨に聞いた。
「『余り茶に福あり』じゃよ。忘れずに頑張り」
それだけ言うと時雨は帰って行った。
緩やかに時間が過ぎていく。
葉月は接客をしながらのんびりと時間の流れを感じていた。
昼も過ぎそろそろ3時頃である。
「あー、くっそ。何なんだよあいつは」
この陽気にふさわしくない声が外から聞こえてくる。
その声の主は葉月の店へと入ってきた。
年齢はまだ若く20代だろう。スーツにネクタイ姿から仕事の最中か終わりなのだろう。
「ここで休憩にするか」
独り言が大きい。それほど乱れているという証拠だ。
「いらっしゃいませ」
葉月は(一般的に見ると)態度の悪い客にも嫌な顔一つせず迎えた。
「ここって何か飲めるの」
「はい。お茶が飲めます」
男性はスーツを脱ぎながら葉月に聞いた。
葉月の方は真剣に答えたつもりだ。だが、
「んなもん、みりゃわかんだろ!メニュー出すとかねぇのかよ!」
男性は八つ当たりとしか言い様がない怒りを見せた。
「も、申し訳ございません」
慌てて頭を下げながら謝る。
「ですが・・・・・・メニューはないんです」
「は?じゃあどうやって注文すんだよ」
男性は至極まっとうな質問をした。
「このお店はお客様にあったお茶を出します」
さっきまでの慌てようが嘘のように落ち着いた声で葉月は笑顔とともに言った。
「俺にあった?」
男性はいぶかしげに聞いた。
「はいそうです。お客様の今の体調、気持ちなどにあったお茶をお出しするのがこのお店です」
より詳しい説明をした。
葉月はそう告げるとお店の中にある長椅子に腰掛けた。
「どうぞこちらにおかけください」
男性に対して隣に座るように促す。
「なんで、俺がそんなことしねぇといけねぇんだよ」
「どうぞ」
男性の態度に臆した様子もなく葉月はもう一度促した。
葉月のなんとも言えない雰囲気に男性は反抗的な態度をやめ、素直に座ろうと思った。
「お名前を聞いてもいいですか」
「どうして・・・・・・」
「話すときに名前を知らないと色々と面倒じゃないですか」
(確かに・・・・・・)
「私の名前は一茶 葉月と言います」
相手の了承もないまま葉月は名乗った。
相手が名乗ったら自分も名乗らないと落ち着かないのが日本人である。
「俺は叶 敦」
「叶様」
「やめてくれ、叶様なんて。こそばゆくなる。敦でいいよ」
敦は苦笑いした。そこまで気持ちが落ち着いてきたのだろう。
「では敦様」
「様はやめてくれ・・・・・・」
葉月に悪気があるわけではないのは今までのやりとりで敦もわかっていた。
「では敦さん、先ほどは少し気が立っていたようですがどうなさったのですか」
葉月は落ち着き払った声で聞いた。
先ほどまでならば決して言わなかっただろう。だが、葉月と和やかなやりとりをしたおかげで気持ちが和らいでいた。葉月の言葉で不思議な力を受けたように敦は話し始めた。
「俺はただの会社員なんだがそれでも一生懸命働いている」
敦は下を向いている。
「入社3年目になるが誰よりも頑張ろうと心に決めてやってきた」
葉月に言葉をはさむ気などサラサラない。
相打ちも打たずただただ聞いている。
「頑張った甲斐か、同期の奴らと比べると成績はダントツ《《だった》》」
そこが過去形になっているのを葉月は聞き逃さない。
「なのに、なのに・・・・・・」
すっと目を横にやると敦が泣いていた。
「妬みなのか、それとも俺の態度が悪かったのか。最近は同期の奴ら全員がいい仕事を持っていく・・・・・・残るのはどこの誰にでもできるような簡単な仕事ばかり・・・・・・俺の評価は下がる一方だ・・・・・・」
堰を切ったようにあふれ出る涙、本音。
そのすべてを葉月は受け入れた。
「少々お待ちください」
そう言うと葉月は立ち上がり、奥へ行った。
いつから俺はこんなに弱くなっちまったのかな。
いつから俺は何もできなくなっちまったのかな。
もう、辞めたい・・・・・・
「お待たせしました」
天使の明るい声で敦は現実に戻された。
「ジャスミンのハーブティーです」
葉月は立ったままガラスのポットとコップを敦に差し出した。
ポットの口からは白い湯気が出ている。
それにとてもいい香りだ。
「ジャスミンの香りは精神を覚醒させる効果があるそうですよ」
敦は葉月の顔を見あげた。その顔には優しい、いや優しすぎるほどの笑顔があった。まるで母親が子供に向ける顔のような。
「ジャスミンのハーブティーは落ち込みや不安にとっても効くんですよ。今の敦さんの心にぴったりだと思ったので選びました」
「そうなんですね・・・・・・」
「はい。それにジャスミンは昔から愛情に結びつけられてきました」
「えっ・・・・・・」
敦はきょとんとした。
「敦さんに他の人からの愛情がありますように」
葉月は敦の隣に座った。
「敦さん、『余り茶に福あり』という言葉を知っていますか」
「いえ、初耳ですが・・・・・・」
「余り茶というのは茶筒に残った茶葉のことです。これを飲むと福があるとも年が寄るとも言います。いわゆる『余り物には福がある』ですね」
敦の顔にはもう涙はない。ただ隣にいる天使を見ていた。
「敦さん、同期の方々がいい仕事を持っていって自分には簡単な仕事しか残らないと言っていましたが、それでもその簡単な仕事を一生懸命されているのでしょう?」
無言で頷く。
「素晴らしいことじゃないですか。私はそれでいいと思いますよ。簡単な仕事も手を抜かず頑張る。それこそが素晴らしいと思いますよ。必ず神様は微笑んでくれます。ご自分に自信を持ってください」
天使のような微笑みが敦に向けられる。
「さぁ、お茶をどうぞ。このお茶は私からあなたへの、あなたのためのお茶です」
敦はハーブティーを口に運んだ。
「美味しいです、葉月さん」
敦の顔に笑みが浮かんだ。
「今日はありがとうございました」
敦は葉月に頭を下げてお礼を言った。
「そんな、頭を上げてください。私は別にお礼を言われるようなことは」
両手を体の前でわなわな振りながら葉月は照れくさそうに笑った。
「本当に葉月さんの笑顔とお茶に救われました」
「それは何よりです」
2人は目を合わせて微笑み合った。
そのとき敦のスマホが鳴った。
「はいもしもし叶です。・・・・・・ああその件ですか。・・・・・・はい・・・・・・えっそれは本当ですか。・・・・・・ありがとうございます。わかりました、すぐ行きます。・・・・・・はい、ありがとうございます」
敦は通話の終わったスマホを呆然と見つめていた。
「どうしたんですか?」
「そ、それが。この前取引した会社から大口の話が持ち上がったとか。それで先方が取引相手に是非私を、と。この前の取引の時の態度がとても気に入ったそうで」
「それはよかったじゃないですか!おめでとうございます!」
葉月は自分のことのように喜んだ。その目には涙まで浮かんでいる。
「夢みたいです・・・・・・」
まだ現実感が湧いていない。
「敦さんが頑張っていたからですよ!」
葉月はの手を取って言った。
「早く会社に戻らないと」
「そ、そうですね。では俺はこれで」
そう言うと敦はスーツを腕に抱えたまま店を出ようとした。
が、その足を止めて葉月の方を振り返った。
「あ、あの葉月さん」
「はい、どうしました?」
「その、あの・・・・・・ま、またここに来てもいいですか」
照れながらも敦は葉月に向かって笑顔で聞いた。答えなどわかりきっているにもかかわらず。
「もちろんです。またいつでもお越しください」
頭は下げなかった。その代わり笑顔とともに優しく言った。
その答えに安心して敦は店から走って出た。
今日もまたお茶屋の天使の恵を受けた者がいた。
次は誰か。
ー完ー