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鳥漣の狂帝〜花鳥風月奇譚・3〜  作者: 緋影 あきら
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ー花胤の動乱ー

発展していく国もあれば、衰退していく国もある。風嘉(フウカ)が『花胤(カイン)の陽の姫』である鴻夏(コウカ)を迎え、発展していく一方、鴻夏(コウカ)の母国である花胤(カイン)は不穏な空気に包まれていた。

花胤(カイン)は『花胤(カイン)黒亀(こっき)』との異名を持つ黒鵡(コクム)帝により、長く平和な治世が保たれていたが、ここ数年は後継ぎ問題に頭を痛めていた。

花胤(カイン)帝には複数の側室との間に皇子が二人、皇女が八人、正妃である皇后 翡雀(ヒジャク)との間には鴻夏(コウカ)皇女と凛鵜(リンウ)皇子の二人が居る。

一見すると皇子が三人も居るため、後継ぎ問題も無さそうに見えるが、この皇子達がそれぞれ非常に厄介な問題を抱えていた。

まず最年長の第一皇子 嵳貊(サハク)が、一応 皇太子となっているが、この皇子が良くも悪くも凡庸(ぼんよう)な人物で、父皇帝に能力が劣る事 (はなはだ)しい。

気も弱く、常に周りの意見に頷くばかりで、皇帝として求められる決断力や覇気(はき)などといったものとは、まるで無縁の人物であった。

次に第ニ皇子の魏溱(ギシン)だが、彼の場合はもはや皇帝候補というのもおこがましい、問題外としか言えない人物であった。

母親の血筋も低ければ、本人自身の素行も悪く、黒鵡(コクム)帝のお情けで将軍職に就いてはいるものの、権力を笠に問題を引き起こすばかりで、花胤(カイン)皇家の頭痛の種となっていた。

おそらくその場に十人居たなら、その十人共が彼を皇帝に推す事を躊躇(とまど)うだろう。

それほど皇帝の座とは縁遠い人物であった。

そして最後に第三皇子の凛鵜(リンウ)についてだが、彼の場合は血筋、人柄、能力、その全ての点において評価が高く、本来ならば文句なしに皇太子となるべき人物であった。

ところが彼の場合は生来の病弱さ故に、体力的に皇帝の地位に就くのは難しいと考えられており、結果どの皇子も後継ぎとするには不安な要素がある状態であった。

そのため重臣達の間でも、凡庸(ぼんよう)だが健康面に問題のない第一皇子を推すか、優秀だが病弱な第三皇子を推すかで意見が割れていた。

しかし中にはいっその事、皇女の誰かに優秀な婿を取らせて後継ぎにすべきだと唱える者も居て、花胤(カイン)国を護るために一体誰を後継ぎにすべきか、黒鵡(コクム)帝自身も決めかねていた。

そしてそんな中、誰もが予想もしなかった形で、国を揺るがす大事件が起きたのである。




その日 黒鵡(コクム)帝は、いつも通り側近らと共に政務にあたっていた。次々と報告される内容を吟味し、テキパキと采配(さいはい)を下していく彼の耳に、ふいにドカドカと廊下を荒々しく歩く足音が響いてくる。それと共にヒィィッといった宦官(かんがん)の怯えた声、キャアァァッといった女官のつん裂くような悲鳴が続き、明らかに何か只事ではない様子が伝わってきて、帝とその側近らは思わず顔を見合わせた。

そして側近の一人が、主人の意を汲み様子を伺いに行こうとした途端、いきなりバァンと政務室の扉が勢いよく開かれる。

そこには血塗れの剣を手にした魏溱(ギシン)皇子が立っており、驚いて全員が固まる中、魏溱(ギシン)は太々しく笑うと、高らかにこう言い放った。

「…父上。命が惜しくば、今すぐ私に皇位をお譲りいただきたい」

魏溱(ギシン)…⁉︎何を馬鹿げた事を…。儂には皇太子たる嵳貊(サハク)が居る。確たる理由もなく、嵳貊(サハク)を廃太子には出来ん」

そう黒鵡(コクム)帝が冷静に答えると、ニヤリと魏溱(ギシン)は笑って答える。

「それは…問題ない。皇太子であられた嵳貊(サハク)異母兄上(あにうえ)ならば、つい先程お亡くなりになられた。…ほら、これが証拠だ」

そう言って魏溱(ギシン)が軽く投げてよこした物が、ゴトンと鈍い音を立てて黒鵡(コクム)帝の執務机の上を転がる。それが何かを確認した途端、さすがの黒鵡(コクム)帝も蒼白な顔で固まった。


「…嵳貊(サハク)…っ⁉︎」

「ヒッ!さ…嵳貊(サハク)皇太子…っ⁉︎こ、これは一体どういう事です、魏溱(ギシン)皇子!」

思わず動揺する黒鵡(コクム)帝らを他所に、責められた魏溱(ギシン)は特に慌てた様子もなくこう答える。

「…どうしたもこうしたも、俺が異母兄上(あにうえ)(しい)(たてまつ)ったまでの事」

そう冷静に返す魏溱(ギシン)が、ニタリと笑う。

それを受けて黒鵡(コクム)帝が、静かな怒りに震えながら低い声でこう(うめ)いた。

「…愚かな…魏溱(ギシン)…!血の繋がった異母兄(あに)までその手に掛けるとは…っ」

「ふん、邪魔者は始末するまでの事。どこの皇家でもある事だ。それに表沙汰(おもてざた)にならない暗殺などは、掃いて捨てるほどある」

そう答えると、魏溱(ギシン)は続けて凄みのある表情を浮かべ、父たる黒鵡(コクム)帝にこう迫った。

「さぁ父上。ご決断を…」

魏溱(ギシン)よ…。己の欲望のために、血の繋がった異母兄(あに)さえ容赦なく手にかけるようなお前に、絶対に皇位は譲れん!」

そう言って黒鵡(コクム)帝が毅然(きぜん)とした態度で要求を突っぱねると、魏溱(ギシン)激昂(げっこう)してこう叫ぶ。

「ならば死ね!俺を認めない者は要らん!」

そう言うが早いか、魏溱(ギシン)の剣が容赦なく黒鵡(コクム)帝に向かって振り下ろされる。

それを見て慌てて駆け寄ろうとした側近達の目の前で、バッと宙に赤い血が撒き散らされ、その中を黒鵡(コクム)帝が声もなく静かに倒れ込んでいった。そしてドサッという鈍い音と共に、彼の身体はそのまま大理石の床の上に崩れ落ち、何度か痙攣(けいれん)した後に動かなくなる。

ゆっくりと床に広がっていく血溜まりを見ながら、すでに事切れたと思われる皇帝の姿を見つめて、側近達は声もなく(おのの)いた。


「へ…陛下…っ!な、何と言う事を…っ」

呻くように誰かがそう呟くと、ギロリと魏溱(ギシン)がその方向を睨む。

慌てて口を(つぐ)んだ側近達にフンと一つ鼻を鳴らし、魏溱(ギシン)は床に転がった父皇帝の身体を足で転がして仰向けにすると、その後 迷わず自らの剣でその首を胴体から切り離した。

途端にブシュッと血が噴水のように噴き出し、飛沫の一部が魏溱(ギシン)の顔にも降りかかる。

それをニタリと笑って受け止めながら、魏溱(ギシン)はまるで狩りで捕まえた野ウサギでも掴むかのように、自らの父親の髪をひっ掴み、そのまま首を手に立ち上がった。

「ふ…っ、はははは…!こうなってしまえば、かつての皇帝も罪人もさして変わらんな」

狂ったように父皇帝の首を掲げ、高らかに笑い続ける魏溱(ギシン)に、その場に居合わせた者達は蒼ざめた顔で立ち尽くす。

そしてその頃になってようやく、その場に駆け付けて来た凛鵜(リンウ)や他の高官達は、あまりに凄惨(せいさん)な光景に一瞬言葉を失った。

しかしそんな中、いち早く衝撃から立ち直った凛鵜(リンウ)が、冷ややかな視線を魏溱(ギシン)に向ける。

そして誰もが予想だにしなかった簒奪劇(さんだつげき)に固まる中、凛鵜(リンウ)は一人無言で前へと進み出ると、ふわりとその場に優雅に跪いた。

そして誰もが無言で注目する中、美しすぎる異母弟へと目を向けた魏溱(ギシン)に対し、凛鵜(リンウ)は驚くほど静かな口調でこう宣言する。


「…新皇帝 魏溱(ギシン)様に忠誠を」

「…り、凛鵜(リンウ)皇子…っ⁉︎」

ザワッと周囲に衝撃の波が走る。

実父である皇帝と皇太子である異母兄とを殺害してみせた魏溱(ギシン)に対し、まさか凛鵜(リンウ)が『新皇帝』と呼びかけるとは思わなかったのだ。

だが確かに皇帝、皇太子が亡き今、次の花胤(カイン)帝は、魏溱(ギシン)凛鵜(リンウ)のどちらかであった。

そして当事者である凛鵜(リンウ)が、いち早くもう一方の候補の魏溱(ギシン)を支持すると表明した事により、彼はこれ以上の混乱を防いだのである。

そしてそんな凛鵜(リンウ)の宣言を受け、その場に居た者達は納得がいかないながらも次々と膝を折り、魏溱(ギシン)へと最上級の礼を取る。

「…新皇帝陛下へ忠誠を…」

ザッと何百人もの宮中の人間達が、簒奪者(さんだつしゃ)であるはずの魏溱(ギシン)に向かって(ひざまず)いた。

それを勝ち誇ったように眺めながら、父皇帝を討った魏溱(ギシン)がニタリと笑う。

その姿を冷静に見て取りながら、『花胤(カイン)の陰の皇子』こと凛鵜(リンウ)皇子は、密かに自らの袖の陰で優雅に微笑んだのだった。




その夜、人払いを済ませた黒鵡(コクム)帝の執務室の中で、凛鵜(リンウ)は自らの影である秀鵬(シュウホウ)のみを従え、その場に立ち尽くしていた。

目の前の机の上には、異母兄である魏溱(ギシン)に殺害された、実父である黒鵡(コクム)帝と異母兄である皇太子 嵳貊(サハク)の生首が仲良く並べられている。

血の気が失せ、(ろう)のように青白くなった二人の生首を何の感慨(かんがい)もなく眺めながら、ふいに凛鵜(リンウ)が場違いなほど(あで)やかに微笑んだ。

「…父上、嵳貊(サハク)異母兄上…。まさか貴方がたがこうも簡単に、魏溱(ギシン)異母兄上に始末されてくれるとは思いませんでした」

フフッと自らの袖で口元を隠しながら、凛鵜(リンウ)が堪え切れないといった様子で笑みを(こぼ)す。

明らかに実父と異母兄の死を(いた)んでいないと思われる凛鵜(リンウ)に対し、秀鵬(シュウホウ)は控えめながらもポツリとこう呟いた。

「…まさか父君と異母兄君を、同時に始末されるおつもりとは思いませんでした」

正直にそう告げると、凛鵜(リンウ)がスゥッと自らの背後に立つ秀鵬(シュウホウ)へと視線を向ける。

男にしておくのは惜しいほど、壮絶な色気を放つこの美しい皇子は、自らの影に対し艶やかに微笑むと、意地悪い口調でこう答えた。

「人聞きが悪い事を言わないでくれる?別に僕が手を下した訳じゃない」

「…確かに直接手を下されたのは、魏溱(ギシン)様でいらっしゃいますが、こうなるよう仕向けられたのは凛鵜(リンウ)様ですよね?」

「…どうして僕だと…?」

「私は貴方の影です。凛鵜(リンウ)様がなさっていた事は、すべて存じ上げております…」


そう重々しく答えると、凛鵜(リンウ)は責めるでもなく優雅に微笑む。そしてスルリとその美しい手を伸ばすと、自らの影へとそれを絡めた。

「…僕を殺す…?秀鵬(シュウホウ)

「まさか…!凛鵜(リンウ)様をお護りする事こそが私の責務で、殺す事などあり得ません」

そう正直に告げると、凛鵜(リンウ)は艶っぽい視線を秀鵬(シュウホウ)へと向ける。そして再び微笑むと、自らの口唇を秀鵬(シュウホウ)の口唇へとそっと重ねた。

「良い子だね、秀鵬(シュウホウ)…。僕が頼りにしているのはお前だけだよ。だからこの先どうなっても、お前だけは最後まで僕の側に居てくれるよね…?」

「もちろんです…。私は貴方の影、私の全ては凛鵜(リンウ)様の物です」

そう答えると、凛鵜(リンウ)は満足気に微笑む。

そしてゆったりと秀鵬(シュウホウ)の手を取ると、その手を自らの胸元へと導いた。

「…凛鵜(リンウ)…様…?」

暖かく滑らかな肌の感触にゴクリと唾を飲み込むと、目の前の凛鵜(リンウ)が優雅に微笑む。

「…褒美だ、秀鵬(シュウホウ)。この身体、好きにしろ」

「…!凛鵜(リンウ)様⁉︎」

「僕が欲しかったんだろう…?知ってるよ、お前の気持ちなんか。いつもいつも僕に手を出す(やから)を、影から殺しかねない勢いで睨んでたよね…?だから…秀鵬(シュウホウ)。お前になら抱かれてあげるよ」

そう言い終わるが早いか、いつも冷静沈着な影が、飢えた子供のように荒々しく口唇を重ねてくる。されるがままに相手に貪られながら、凛鵜(リンウ)は自らの影へ向かって腕を絡めた。


そして窓から差し込む(ほの)かな月明かりの中、豪奢(ごうしゃ)な着物が一枚また一枚とゆったりと剥ぎ取られていく。大理石の床に鮮やかに散っていく自らの着物を眺めながら、凛鵜(リンウ)は自分の着物を奪っていく男に向かって、そっと呪いのような言葉を囁いた。

「お前は僕の物だよ、秀鵬(シュウホウ)…」

凛鵜(リンウ)様…」

「お前は…お前だけは、僕から離れるなんて許さないからね…?」

まるで麻薬のように、魅惑的で抗いがたいその言葉に、秀鵬(シュウホウ)はうっとりと頷き返す。

初めて出会った時から、その恐ろしいまでの美貌(びぼう)と残酷さに目を奪われていた。

絶対に手に入らない華だと諦めていたのに、思いもかけず当人からその肌に触れる許可を受け、秀鵬(シュウホウ)は夢中で凛鵜(リンウ)を貪る。

それをまるで母親のように慈愛(じあい)に満ちた目で受け止めながら、凛鵜(リンウ)はそっと自らの影を務める男を抱きしめ返した。

自分は思ったより無骨で不器用なこの男を、案外気に入っていたのかもしれないと思いながら、凛鵜(リンウ)は自らに必死でしがみ付く男に向かってそっと囁く。

秀鵬(シュウホウ)…。お前だけは離れていかないで…」

まるで幼い子供のように繰り返しそう言い続ける凛鵜(リンウ)に、秀鵬(シュウホウ)はありったけの愛しさを込めて何度も同じ言葉を繰り返す。

「もちろんです、凛鵜(リンウ)様…。私は貴方の影。私がお側を離れる事があるとしたら、この命が先に尽きた時だけです…」


そしてそっとその美しい手に口唇を落としながら、秀鵬(シュウホウ)は熱っぽい目でこう語る。

「例えこの身が滅びようとも、私の魂は常に凛鵜(リンウ)様のお側に…」

そう言うと、凛鵜(リンウ)が怒ったようにこう返す。

「…ダメだよ、秀鵬(シュウホウ)。お前は僕の物なんだから、僕を置いて先に()くなんて絶対に許さないからね?」

凛鵜(リンウ)様…?しかし…」

戸惑いつつもそう返すと、凛鵜(リンウ)はわかっているとばかりにスッと右手の人差し指で秀鵬(シュウホウ)の口唇を塞ぎ、実に艶やかに微笑んだ。

そしてまるで歌うように、自然にこう返す。

「わかってるよ、僕を護って死ぬ事がお前の役割だって事は。…でもね、僕は一人で生き残っていけるほど強くないんだ。だからお前の力が及ばず()かなければならない時は、僕も一緒に連れて行け。敵に命を奪われるくらいなら、お前に殺される方が何倍もマシだ」

そう語ると凛鵜(リンウ)は、意志の強い金の瞳で秀鵬(シュウホウ)を見つめる。…恋ではない、同情でもない。

だけどこの身体と命をくれてやってもいい程度には、この男を大事に思っている。

思えば初めて出会った時から、この男は自分だけを見つめていた。本来仕えるべき主人である母皇后でもなく、誰をも魅了する光輝く存在である双子の姉の鴻夏(コウカ)でもなく、いつも真っ直ぐ自分を…自分だけを見つめてた。

その昔 異母兄らに押さえつけられ、無理やり犯された時も、あろう事か実父である黒鵡(コクム)帝に夜伽(よとぎ)を務めさせられた時も、誰もが汚いものでも見るかのような視線を向ける中、秀鵬(シュウホウ)だけは変わらず恋慕(れんぼ)の視線を向けていた。


そんな秀鵬(シュウホウ)が居たからこそ、自分はあの地獄のような日々も耐えられたのだと思う。

別段この男に対して恋心があったわけではないが、自分がどんなに汚れようと、常に変わらず接してくれた事には感謝していた。

そして凛鵜(リンウ)は密かに思う。

いつもいつも…自分は本当に大切に想う者にこそ、選ばれる事はないと。

それは魂の片割れとも呼べる双子の姉の鴻夏(コウカ)(しか)り、その夫となった風嘉(フウカ)璉瀏(レンリュウ)(しか)り。

父皇帝も母皇后も、そして数多(あまた)居る宮中の者達でさえも、見ていたのは常に他人だった。

彼等はほんの一時、誰かの身代わりとして自分を必要としただけ。

決して凛鵜(リンウ)自身を望んだわけではない。

だから自分はあくまでも『陰の皇子』。

どんなに努力しようとも、光輝く『陽の姫』無くして、自ら輝く事は出来ない月のような存在。こんな自分を選んでくれるのは、後にも先にも目の前にいるこの男だけだ。

だからこそこのどうしようもない(むな)しさを、凛鵜(リンウ)秀鵬(シュウホウ)で埋めようとしていた。

自分も誰かに必要とされたい、愛されたい。

そのままの自分を選んでもらいたい。

その為ならばどんな手段も()さないし、どんな努力も惜しまない。

この見た目と身体が相手を惹きつけるのならば、それさえも上手く利用してみせる。

そう思っているのに、真に自分を求めるのは秀鵬(シュウホウ)だけだった。


そしてそんな凛鵜(リンウ)の想いを受け、秀鵬(シュウホウ)は密かに重い溜め息をつく。

この美しすぎる皇子は、まるで毒のようだ。

甘い言葉を囁きながら相手を利用し、そして一旦不要と判断すればその息の根を止める事ですら、何の躊躇(とまど)いも持たない。

それがわかっていながらも、人々はまるで花に誘われる虫のように彼の元に集う。

彼に仕える事が喜びで、彼の命令一つで自らの命を賭すのも辞さない者がほとんどだ。

かくいう自分もその一人。

彼に命令されたなら、おそらく自身の命ですらも、躊躇(とまど)いなくその手にかける事だろう。

故国である月鷲(ゲッシュウ)を裏切り、凛鵜(リンウ)主人(あるじ)と定めたあの日から、自分の全ては彼の物だった。

彼だけが世界の全て、他には何も要らない。

そう思っていても、目の前の彼が求めるのは常に他の者である事も知っていた。

ずっと側で、彼に仕えてきたからわかる。

彼が欲しかったのは、双子の姉である鴻夏(コウカ)とその夫である璉瀏(レンリュウ)帝のみだ。

まるで空に輝く太陽のように、全ての者達を希望の光で照らす『花胤(カイン)の陽の姫』と、野性の獣のように気高く美しく、誰をも拒絶する孤高(ここう)の『風嘉(フウカ)白龍(はくりゅう)』。

一見すると真逆にしか思えない二人だが、その根底にあるものはおそらく同じ。

誰にも何にも(とら)われず、ただそこに居るだけで否応なく人々の心を惹き付け、焦がれさせてしまう…そんな真の支配者。

人々は彼等に、無償の愛と忠誠を贈る。

彼等に仕える事こそが喜びで、 彼等を守り讃える事こそが使命だと感じてしまうのだ。


そしてそれは、この目の前の皇子も同じ。

双子の姉である鴻夏(コウカ)を誰よりも愛し、その夫である璉瀏(レンリュウ)帝に誰よりも(とら)われている。

誰よりも何よりも二人に焦がれながら、それと同じだけ憎み妬んでもいる。

誰よりも大事にしたい、でも誰かに渡すくらいならいっそのこと殺してしまいたい。

そんな相反する二つの想いに揺れながらも、彼自身もどうすることも出来ないでいる。

凛鵜(リンウ)は何も語らないが、ずっと側で仕えてきた秀鵬(シュウホウ)には、彼の態度がそのように見えた。

そっと後ろから抱き締めながら、秀鵬(シュウホウ)凛鵜(リンウ)の白い手の甲に口付ける。

されるがままに身体を預けながらも、凛鵜(リンウ)の瞳はどこか遠くを見つめていた。

今 彼の心を占めているのは、『陽の姫』なのかそれとも『白龍(はくりゅう)』なのか…。

身体は腕の中に捕らえていても、相手の心は常に遠くにあって、決して自分では捕らえる事が出来ない。それが悔しくて、秀鵬(シュウホウ)は苦い思いを胸に強く(まぶた)を閉じる。

それと共に思わず本音が口から零れ落ちた。

「貴方は…いずれ『陽の姫』と『白龍(はくりゅう)』をも殺してしまうのですか…?」

一瞬しまった!と思ったが、凛鵜(リンウ)は特に怒るでもなくこう答える。

「…必要とあらば…ね。お前も知っているように、僕は誰よりも鴻夏(コウカ)を愛してる…。だからこそ誰にも渡したくないし、誰かに奪われてしまうくらいなら、いっそのことこの手で殺してしまいたいとさえ思っている…」

淡々とそう答えながら、凛鵜(リンウ)が何かに耐えるかのようにその美しい瞳を伏せる。

ゾッとするほど恐ろしい言葉を紡いでいるというのに、彼が語るとそれすらも美しい叙事詩(じょじし)のように聞こえるから不思議だ。

そう思いながら、秀鵬(シュウホウ)は重ねてこう尋ねる。


「『白龍(はくりゅう)』は…?」

「そうだね…。彼は唯一、僕が心底欲しいと思った他人だ。あの孤高(ここう)の気高さに惹かれ、本気で手に入れたいと願った時もあったよ。でも…彼の瞳に僕が映る事はなかったし、そもそも三年も前に終わっている話だ。だから今、彼が僕の邪魔をするというのなら、全力で排除するのみだ」

くすりと自嘲(じちょう)気味に笑いながら、凛鵜(リンウ)は甘えるように秀鵬(シュウホウ)に身をすり寄せる。

それをそっと抱き締めながら、秀鵬(シュウホウ)は痛ましい者でも見るかのように凛鵜(リンウ)を見つめた。

誰よりも気高く美しく、哀し過ぎる皇子。

こんなにも愛されたいと願いながら、その愛が報われる事は決してない。

何故なら彼が誰よりも愛した双子の片割れ『陽の姫』は、夫となった『白龍(はくりゅう)』を愛し、誰にも囚われないと思っていた『白龍(はくりゅう)』は、彼の愛しい『陽の姫』を選んだ。

誰よりも愛しい存在だから、それが許せなくて殺してしまいたい。

でも…誰よりも大事だから殺せない。

相反する心の狭間(はざま)で揺れ動く主人(あるじ)を見ながら、自分もまたやるせない想いに(とら)われる。

何故なら自分もまた、この美しすぎる皇子への叶わぬ想いを抱いているから。

こうして側近くに仕えていても、その身体に触れる事を許されても、決して埋めきれない心の距離がある。それがわかっていながら、自分は一生この皇子から離れられない。

彼以上の存在になど、もう出会えないから。


「どうした、秀鵬(シュウホウ)?何を考えている…?」

ふいに訝しむような凛鵜(リンウ)の声が耳に響く。

ハッとして腕の中の彼に目をやると、美し過ぎる金の瞳が静かに自分を見つめていた。

その瞬間、何とも言えない喜びが秀鵬(シュウホウ)の全身を駆け抜ける。決して報われない想いだとわかっていても、今この瞬間だけは彼は自分の物なのだと確かにそう思えた。

そしてその想いを胸に、秀鵬(シュウホウ)は口を開く。

「…貴方様の事を…」

そう素直に告げると、凛鵜(リンウ)は一瞬驚いた顔を見せたものの、すぐに妖艶な微笑みを浮かべながら秀鵬(シュウホウ)にこう囁いた。

「おかしな奴だな…。本物が今お前の腕の中に居るというのに、なぜ空想の中の私に想いを馳せる…?そんな偽物より、今目の前に居る私を見ろ」

そう言いつつ、凛鵜(リンウ)秀鵬(シュウホウ)を引き寄せる。

誘われるがままに口唇を落としながら、秀鵬(シュウホウ)はそっとその瞳を伏せた。

「…貴方様の仰せの通りに」

「それでいい…。お前は僕の物だよ、秀鵬(シュウホウ)

耳元に僅かに笑いを含んだ凛鵜(リンウ)の声が響く。

それをどこか遠くで聞きながら、秀鵬(シュウホウ)夢見心地(ゆめみごこち)でこの美しすぎる主人(あるじ)に口付けた。

自分でもこの関係が(いびつ)な事はわかっている。

それでもすれ違う想いも情念も、すべてがお互いを縛る鎖のように、秀鵬(シュウホウ)の心は凛鵜(リンウ)一人を求めて彼から離れる事を許さない。

そしてそんな二人の気持ちを嘲笑(あざわら)うかのように、月だけが静かにその場を照らしていた。




ちょうどその頃、力尽くで皇帝の座に就いた魏溱(ギシン)は、黒鵡(コクム)帝の正妃である皇后 翡雀(ヒジャク)の元を訪れていた。翡雀(ヒジャク)皇后は御年 三十四歳。

第三皇子 凛鵜(リンウ)と第五皇女 鴻夏(コウカ)の実母であり、立場上は魏溱(ギシン)の義理の母となるが、実は夫である黒鵡(コクム)帝より義理の息子である魏溱(ギシン)の方が歳が近い。魏溱(ギシン)は今年で二十九歳。

骨張った四角い顔に団子のようにずんぐりとした鼻、頰には多数のそばかすが散り、身体は武人らしくガッチリとしていて、お世辞にも美男とは言い難い男である。

対して翡雀(ヒジャク)皇后は、『月鷲(ゲッシュウ)の月姫』と(うた)われたほどの美女であり、未だ十七歳の子供が二人も居るとは思えないほど若く美しかった。

そんな翡雀(ヒジャク)皇后は、夫の思いがけない訃報(ふほう)を耳にし、その原因となった義理の息子と対峙しつつも、特に何の動揺も示さずこう答える。

「…左様(さよう)でございますか…。では花胤(カイン)の次代は魏溱(ギシン)皇子、貴方様がお継ぎになるという事でよろしいのですね?それで私も含め、先代の妃達の処遇はどうなさるおつもりです…?」

「驚かないのだな。てっきりもっと動揺するものかと思っていたが…」

意外だという思いそのままに、魏溱(ギシン)がそう問いかけると、翡雀(ヒジャク)皇后は自嘲(じちょう)気味に答える。

「…私が驚いてみせたところで、事態はあまり変わりませぬ。それにこういった事も覚悟の上で、この国に嫁いで参りましたから」

淡々とそう答えながらも、さすがに翡雀(ヒジャク)皇后の顔色は悪く、まるで(ろう)のように青白い。

おそらく気力で動揺を抑え込んでいるのだろうが、さすがに義理の息子による簒奪劇(さんだつげき)など想定外の事態であったのだろう。


しかし不幸中の幸いは、魏溱(ギシン)が葬ったのは父皇帝と皇太子のみで、その他の異母弟妹や妃達には手を出していない事だった。

特に皇位継承権を持つ自分の息子、凛鵜(リンウ)がまだ無事である事に安堵しつつ、翡雀(ヒジャク)皇后はこの義理の息子を下手に刺激しないよう、細心(さいしん)の注意を払いながら相手の出方を伺った。

すると魏溱(ギシン)は急に翡雀(ヒジャク)皇后に近付くと、妙に熱っぽい視線を向けながらこう呟く。

「…初めて貴女と出会った時、俺はまだ十歳の子供に過ぎなかったが、それでも貴女のあまりの美しさに一目で心を奪われた。しかし貴女はその時すでに、父皇帝の正妃になる事が決まっていて、たかだか皇帝の庶子である俺の手の届く方ではなかった…」

ジリジリとその距離を詰めながら、魏溱(ギシン)翡雀(ヒジャク)皇后を壁際へと追い詰める。

先天的な恐怖に駆られながら、翡雀(ヒジャク)皇后は後退の一途を辿り、怯えたようにこう呟いた。

「ぎ…魏溱(ギシン)…皇子…?な、何を…」

「思えばあれが俺の初恋だった。そして初恋の相手である貴女は、歳を経てなお衰えるどこか変わりなく美しい…」

うっとりと夢見るようにそう言うと、魏溱(ギシン)翡雀(ヒジャク)皇后の手を取り、その甲に口付ける。

そして意を決したように、翡雀(ヒジャク)に向かってこう宣言した。

「貴女を私の正妃にする。誰よりも気高く美しい貴女は、皇后である事こそ相応しい」


そう言い終わるや否や、魏溱(ギシン)翡雀(ヒジャク)皇后の身体を強引に床に押し倒す。

慌てて逃れようとする翡雀(ヒジャク)皇后の身体を押さえつけ、難なくその抵抗を捩じ伏せると、魏溱(ギシン)はその耳元に絶望的な言葉を吹き込んだ。

「私の物になれ、翡雀(ヒジャク)。お前が私の物になるというなら、お前の息子の命は保証しよう」

「そ…んな…!私に黒鵡(コクム)帝を裏切れと⁉︎」

「ふん、すでに死んでいる人間と生きている人間、どっちの方が大事だ?お前の返事次第では、凛鵜(リンウ)の首も父上の横に仲良く並べる事になるぞ」

そう魏溱(ギシン)に脅され、翡雀(ヒジャク)皇后はその美しい金の瞳を曇らせる。

愛しい子供達のうち、鴻夏(コウカ)風嘉(フウカ)へと嫁がせた事で、今は他国の庇護下(ひごか)にある。

しかも風嘉(フウカ)帝の鴻夏(コウカ)への寵愛(ちょうあい)は深く、二人の仲は大変睦まじいと聞いている。

だからいくら魏溱(ギシン)無謀(むぼう)と言えども、戦上手と名高い風嘉(フウカ)帝の機嫌を損ね、その妃である鴻夏(コウカ)に手を出す事は出来ないはずだ。

だがその一方、もう一人の子供である凛鵜(リンウ)の立場はとても危うい。

今となっては皇位継承権を持つ唯一の皇子であるが故に、魏溱(ギシン)の気持ち一つでいつその命を奪われてもおかしくないのだ。

その凛鵜(リンウ)の命を盾に取られ、翡雀(ヒジャク)皇后は涙ながらに身体の力を抜く。

相手に抵抗の意思がなくなった事を見て取った魏溱(ギシン)が、満足気にこう囁いた。

「…それでいい。くれぐれも俺を飽きさせない事だ。凛鵜(リンウ)の命は、お前の心掛け一つだという事をよく肝に命じておけ」

そう言い捨てると魏溱(ギシン)は荒々しく翡雀(ヒジャク)皇后の衣服に手を掛け、勢いよくそれを剥ぎ取る。

途端にビリィッという布地が裂ける鈍い音が響き、翡雀(ヒジャク)皇后は力無く目を閉じた。



こうして決して皇位に就く事はないと思われていた魏溱(ギシン)が、力づくで国も皇后もその手に入れたのである。

そしてこの衝撃的な事件は、あっという間に世界中へと広まり、黒鵡(コクム)帝によって長く平和な時が流れていた花胤(カイン)は、一気に動乱の時代へと突入したのであった。

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