登城
「……ただいまぁ」
クラーレはすっかり日が暮れてから家に戻ってきた。
玄関から声をかけてもフラスコからの返事は無く、シンと静まり返っている。
こういう日は、フラスコとの暮らしが始まってから何度もあった。
並以上の生活費は与えられているが、それで心は満たされない。
いつまでこの生活は続くのか?
買った物をそこらに置いてソファに寝転がったクラーレは天井を見上げる。
華やかな装飾に彩られた白亜の城で王子様と……なんてそこまでのことを夢見ていたわけはないが、英雄の伴侶に選ばれたと思えば舞い上がるものだ。
しかしその英雄は惰眠を貪り、まるでクラーレを母か家政婦かのように扱っている。
クラーレの知らないところでフラスコは血の滲む努力をして、死力を尽くした戦いの果てに今を手に入れたのかもしれない。
だがクラーレにとっては今のフラスコが全てだ。
無気力でつまらない男、それがクラーレにとってのフラスコである。
「おかえり」
ドアを開けた音に気付いたのか、フラスコがリビングに下りてくる。
「パンとチーズとベーコンとか適当に買ってきたから」
「ん、ありがとう」
静かで、それでいて不自然な居心地の悪さをお互いに感じる夕食が始まる。
「街は……なんかあった?」
何かを払拭しようとしたのだろう。フラスコが口を開く。が、
「別に」
「そっか……」
何も嫌いなわけではない。
ただ、その場を取り繕うだけの言葉に対してクラーレはまともに返す気はなかった。
翌朝も二人は挨拶を交わして朝食をとる。
一緒に朝食をとるのはどちらかが言い出したことではない。
ぎこちないが暗黙の了解で生まれたものだ。
結局、私はこいつの何なの?
メイド?家政婦?妻?それとも……ただの、娼婦?
せっかく、人生変わると思ったのに。
「ご馳走様……どした?」
食が進まなくなっていたクラーレにフラスコが声をかける。
間が悪い野郎だ、とクラーレは心で思う。
悩んでるときは放ってほしいってのが分からないの?
「別に、何でもない」
「具合悪いなら医者呼ぼうか」
「何でもない!ちょっと寝てくる」
さっさと片付けて部屋に向うクラーレを見送るフラスコの脳内には、ただ困惑が渦巻くばかりだった。
まともな女性の扱いなどフラスコには異次元のエリアである。
もっとも女性に近づいた瞬間は魔女の首を撥ねたとき程度のフラスコにとっては、斬ることのできない相手ほどやりづらいのである。
気分転換に素振りでもやるかいなと庭に出たフラスコは、ポストに挟まる封筒を手に取る。
封筒には、王家の紋章が描かれている。
高まる動悸を感じながら、封を開けたフラスコは一気に文章を脳に叩き込む。
拝啓から始まり敬具で締めくくられた、王族らしく飾られた長ったらしい文章の内容を要約すれば、
報酬の相談のため登城されたし
とうことであった。
遂に、遂に部屋いっぱいの黄金とご対面……!
ガラに無く、普段よりやかましく轟く素振りの掛け声に顔をしかめるクラーレであった。