フラスコという男
クラウスが死んだか……だが奴は四天王のなかでも最弱……
アリサの中に潜んだ魔王は、フラスコによってクラウスが討たれたことを察する。
黒雲は魔王にとっての目であり手足でもある。
実際に見えるわけではないが確かに感じる。
いくらベースが良くても戦闘センスまでは反映されなかったか。
と、部屋の隙間という隙間から黒雲が滲み込んでくる。
魔王が黒雲を手繰るように手を振ると、掌に黒雲が吸い込まれていく。
調子を確かめるように軽く手を動かした魔王はそのままベッドに倒れて天井を見上げる。
フラスコとかいう男……思わぬ拾い物かも知れん
一瞬、凶悪な笑みを零した魔王は身体の主導権をアリサに返して意識を飛ばす。
一睡もせず帰り道を踏破したフラスコは、帰るなりソファーに寝転がる。
ドアが開いた音で目を覚ましたのか、クラーレが降りて来る。
「おかえり、凄い早いじゃん」
「ちょっと心配事があってさ……」
目を瞑ったフラスコの傍まで来たクラーレは、そっと耳打ちをする。
「寝るなら、あの子が起きる前に拭くなり洗うなりしなよ。血生臭いから」
「マジか……」
のろのろとソファーから立ち上がったフラスコだったが、グラリと倒れて膝をついてしまう。
はぁとため息をついたクラーレがフラスコに肩を貸す。
「心配させたくないなら、私の部屋で鍵かけて寝てなよ。どっかで隙見て呼んであげるから」
クラーレの肩を借りて少しずつ階段を上がるフラスコの顔は険しい。
コルブッチで何が起こったかクラーレは知る由も無い。
ただ、このフラスコという男は聞いたところで何も答えないだろう。
付き合いが長い訳ではないがそんな気がする。
恰好つけてるのか世渡りが下手なだけかは分からない。
ただ、放って置いたら道端で破滅しそうな危うさをクラーレは感じていた。
「よい…しょっと」
フラスコの体をベッドに横たえたクラーレは改めてフラスコを観察する。
服についた汚れのほとんどは泥だが、乾いた血も幾分混じっているようだ。
「脱がすよ」
上着とズボンを手早くはぎ取ったクラーレは、期せずしてフラスコの体に刻まれた傷を目の当たりにする。
職業柄、傷だらけの男の裸を見たのは数限りなくある。
自慢げに傷の歴史を語る者や、傷跡を舐めさせる男共を相手してきたが、
この時ほど胸を締め付けられるような思いをしたのは初めてだった。
「あんまり見てくれるなよ……恥ずかしい」
「見たくなくても目に入っちゃうんだからしょうがないでしょ」
傷跡を指でなぞるクラーレ。
「痛む?」
「もう治ってるよ、昔の傷だ」
「あんたが死んだら私ら放り出されちゃうんだから、気を付けてよ」
何かに気付いたようにフラスコが笑みを零す。
「……そういや、そうだな気を付けるよ」
フラスコの汚れた服を抱えて部屋から出たクラーレは、
あくびをしながら階段を下りて行く。
その背中を、細く開けられたドアからアリサが見ていたことをクラーレは気付かなかった。
昼を過ぎてもフラスコは起きなかった。
たまに様子を見に行っていたクラーレだったが、まるでフラスコに動きは無い。
死んでるんじゃないかとも思ったが、息はしているようだ。
クラーレはフラスコが戦う姿を見たことは無い。
穏やかに眠るこの男が剣を握る瞬間、どんな顔をするんだろうか。
以前、黒雲を前にクラーレをかばった時の顔なんだろうか。
眠るベッドの縁に腰かけたクラーレは、フラスコの頬をそっと撫でる。
もう少し寝かせてあげようか