怪人
情けない傷心旅行だった。
宿のベッドに倒れ込んだフラスコはつくづく実感する。
やったことと言えば泥の中でクラーレとお喋りのみ。
しかし、お喋りの内容なんてほとんど思い出せないのに、楽しかった気はする。
今までこんな気分になったことはあったろうか……。
そもそも偵察や仲間内の輪を保つため以外の損得勘定抜きのお喋りということを
フラスコは人生の中で味わった試しがほとんど無い。
強いて言えばアリサとのものだろうが、初めから損得勘定抜きだったかと
言われると答えに窮する。
彼女の実力を戦力に変えるためだったと言われたらノーとは言えまい。
クラーレ。彼女の姿を思い浮かべる。
初めこそぎこちなかったがいつしか落ち着き、いや落ち着き過ぎて老夫婦か
倦怠期になっていき、そしてアリサが来た。
アリサが来てクラーレは変わったように見える。
戦闘能力で言えばアリサの方がよっぽど上だろう。
だがアリサのことは庇護対象として見ている節がある。
アリサを見るクラーレの目は優しく、慈愛としか言いようがない。
もし、もしも俺があの目の先にいられたら__
……無いか。第一今そういう目で見ることが出来たなら、会ったその日に押し倒していたろう。
元々そのために、国が買った女なのだから。
そんなフラスコの思考が、窓をブチ割って部屋に飛び込んだ丸い肉塊によって突然に破られる。
「……!」
腰のナイフに手を伸ばして飛びのいたフラスコは丸い肉塊を観察する。
ゴロゴロと転がった肉塊は、フラスコを向いて止まる。
何が向いたか?
間違いない。この宿の主人の首だ。
壁に張り付いて周囲に神経を尖らせるフラスコ。
正直なところフラスコ自身の戦闘能力に特筆すべき点は無い。
タフさには定評があるが。
ドン!と屋根から衝撃が走る。
何かが屋根に飛び乗った音だろう。首を投げ込んだ奴であることを祈る。
もし複数だったら勝てそうも無い。
と、部屋のドアが叩かれる。
1,2、3……
「フラスコさーん……いますかぁ」
声をかけられるが、フラスコは動かない。
「何か物音がしたので見に来たのですが、いかがしましたかぁ」
たまに親戚の子が短期で働きに来ると言っていた気がする。
その子の声かも知れない。
だがフラスコは動かない。いや、動けない。
声は頭上、いや、屋根の上から聞こえてくるからだ。
音が止み、気配が遠ざかっていく……気がする。
ほんの一歩前に踏み出した瞬間!
屋根をブチ破り、巨大な顎がフラスコ目掛けて一直線に口を開けて振って来る。
「!!」
まさに紙一重の判断だった。
フラスコは顎の奥目掛けてナイフを投げ付けた。
いってぇ!!
人語であった。
だが悠長に考える暇はない。
フラスコは割られた窓から宿の周囲を囲う生垣に飛び込んだ。
そして敵の全貌を知る。
手、足、首が異常に伸び、顔面全ての部品が巨大化したような人間。
それがフラスコの敵だった。
口からどす黒い血を吐いた怪人が、逃げるフラスコを巨大な眼で睨む。