フラスコの背
「クラーレ、こっちに」
「う、うん」
クラーレを背で庇い、改めてアリサを見据える。
雲が引っ込んでしまえば元の姿……とはいかない。左腕と右足が無いのに気付く。
フッと、力が抜けるようにアリサの体が崩れる。
咄嗟にナイフを捨てて抱きとめたフラスコの腕にかかるのは、ただの少女の重さだ。
アリサをソファに寝かすフラスコは、そっと彼女の髪を撫でる。
クラーレに毛布を頼んだフラスコはアリサの体を調べる。
おもに左腕と右足……黒雲が飛び出した場所だ。
鋭利な刃物で切断されたようだが、包帯も巻かれず失血処置をしたような形跡が無い。
ただ、黒雲が渦巻いている。
忌まわしき黒雲。魔王と呼ばれた秘密結社のボスは、この黒雲を自在に操って襲ってきた。
ある時は幻術、刃物、爆弾、拳、囮、ブースター……ありとあらゆる姿に変わり、フラスコ達を苦しめてきた。
それが何故アリサに?
「毛布持ってきたけど……」
考えすぎていたのか、クラーレに気付かなかったフラスコは軽く礼を言って、アリサに毛布を掛ける。
「お医者さん呼ぶ?」
「医者の範疇じゃない」
最適なのは城住みの退魔学者あたりだろうが、下手にアリサを見せたらバラバラに解剖されてしまいそうだ。
「とりあえず起きるまで待つよ。事情を知らなきゃ、対策も練れない」
「そう……ねえ、本当に仲間のアリサって人なの?」
「……分からん、偽物がアリサの皮を被ってるってことも十分有り得る」
「……」
「けど、俺は本物だと思う。根拠は無いけどな」
早く寝た方が良いと急かされて、ベッドにもぐったクラーレだが、さっきの光景の衝撃は中々消えるものではない。
初めて、殺気を感じた。
恐怖もあったが、それよりも、殺気を全身に漲らせてクラーレを庇うその背に……
こんなに頼りになる殺気なんてあったんだ……
フラスコの、男の部分を感じた初めての夜でもあった。
朝起きると、フラスコは一歩も動かずアリサの傍にいた。
「おはよ、何か進展した?」
「おはよう。何も無い、何も変わらないよ」
アリサは穏やかな寝息を立てている。
それを見つめるフラスコの目は、父か兄のような慈愛を感じるものであり、クラーレの目にはとてもじゃないが色気は感じられなかった。