庭付き一戸建て
ブロンソンの街はレオーネ国の首都ペキンパー市の外れに位置する小さな町である。
レオーネ国ペキンパー市ブロンソン町9-8-9に建つ2階建ての古びた一軒家の主、フリー・フラスコは眠気を引きずりながらベッドから這い出した。この洋館に住んでもう1週間になろうとしていることを頭の片隅で考えながらフラスコは1階に下りていく。
リビングの中心に置かれたテーブルも、火の絶えた暖炉の前に置かれたソファーも、壁掛け時計も、庭のい垣根さえフラスコが選んだものは何一つない。暮らすに困らぬ庭付きの洋館まるまるひとつが、魔王暗殺を果たしたフラスコに与えられたものだった。
「ふぁぁ……」
キッチンの方から間抜けなあくびが聞こえてくる。
フラスコが手に入れたものは庭付きの洋館だけではなかった。
食卓に着いたフラスコの前に、無遠慮というか雑というかマナーにうるさい御仁が見ていたら卒倒しかねない音を立てて朝食を載せた皿が置かれる。
「はいどーぞご主人様」
丸いパン2個(一昨日買って昨日の夕食にも出た)
目玉焼き (目潰しを食らっている)
「……」
「文句あんなら自分でどーぞ」
クラシカルなメイド服に身を包んだポニーテールでクールビューティーなメイドさんはそう言うとフラスコの向かいの席に着いて煙草を吸い始めた。
「……温かいだけマシか」
「何か言った?」
「温かくてありがてえなって」
もそもそとパンを齧るフラスコは目の前で煙草を燻らすメイドさんを凝視する。
彼女の名はクラーレ。姓は無い。
フラスコは彼女の素性を何も知らされていないし聞いてもいない。
この手のことはファーストコンタクトの時点で勢い任せに聞いてしまうべきなのだろうが、
暗殺を終えたばかりのフラスコにそこまで頭は働かなかったようだ。
それに加えて元来の気性も合わさり、共同生活が始まって1週間が経つにも関わらずこの調子なのだ。
煙草を咥えるクラーレも思想に耽る。
初めてこの話が舞い込んだ時は、それこそ世界が変わるような予感がしていた。
魔王を討った英雄のメイドになることが自身にどんな変化をもたらすかなんて想像もつかなかったが、漠然と幸福なイメージがあった。もし気に入られたら結婚しようなんて言われちゃうかも!?と枕を抱えてベッドをのた打ち回った夜もあった。
しかしどうだろう。
実際に顔を合わせてみるとその英雄様は、猟師に追われてビクビクと世界を睨み付ける手負いの獣にしか見えなかった。
「ご馳走様」
クラーレの思考をフラスコの声がかき消す。
毎日毎日適当に皿に載せてるだけなのに律儀な奴ね……などと思っているとフラスコはキッチンで皿を洗い始めている。
初めの2,3日くらいは「私の仕事だから」なんて言って皿をふんだくっていたが、もはやお任せ状態である。理由を聞こうとも考えたが、せっかくならと現状維持で甘えることにしたクラーレであった。
食事を終えたフラスコは、庭で剣の素振りを始める。
彼が戦場で愛用していたものは短剣だったが、素振りには長剣を使うことにしていた。
鍛錬というよりも精神集中の意味が強いこの行為においては、常に実戦に考えが及んでしまう短剣より長剣の方が相応しいのだ……などと考えてみるが時間の浪費には違いない。
外出禁止令が出ている彼にとっては食事と剣の腕を磨くことだけが生活であった。
その脇を買い物籠を提げたクラーレが通る。
「街行くけど、なんか買ってくる?」
「……料理の本」
「アタシは読まないからね」
メイドという職業に対して幻想を抱いていたと頭では理解しているフラスコだったが、心の奥底では理想のメイドさんが躍っているのだった。