チョコレートより甘い(リメイク)
らし丸改め、三上テコです。
何年か前に書いた小説を書き直してみました。前回より書きたい内容に近づけたと思います。
お時間がある時にでも、読んでいただけたら幸いです。
バレンタインデーのお話です。
二月に入ってから一週間が過ぎた。
三年生は自由登校期間で、通っている人の姿は然程見られない。
春から俺たちも大学入試や就職活動に勤しむことになる。
進学校というわけではないが、進学率は比較的に高く、すでに動き始めている人も数多に見られた。
そんな中、俺、佐藤幸太の周りは呑気なもので、
「今年のバレンタインは絶対オカン以外からチョコもらう!」
「わかった。俺がお前に用意してやろう」
「キモいこと言うな。鳥肌立ったわ」
などと、モテない者同士、悲しい現実から目を背けていた。
しかし、浮足立っていたのは俺たちだけではない。
「ねえ、ちょっと聞きたいんだけど」
彼らが飲み物を買いに席を立った後、二人の女子生徒が近づいてきた。
「井上君って彼女いるの?」
「チョコ食べれるかな?」
同じクラスの子だ。
一人は恥じらう様子もなくずかずかと近寄り、その後ろから頬を赤らめた子が隠れるように顔を覗かせていた。周りにいた女子生徒も気になるという様相で、こちらに視線が集まった。
「本人に聞いてみたら?」
「直接聞けないから、仲良いあんたに聞いているんじゃない」
役立たずと言わんばかりに顔をしかめ、彼女たちは踵を返した。
もう何人とこんなやり取りをしただろう。
違うクラスの、更に話をしたことのない子から聞かれたこともあった。どの子にも同じように返しては、向けられる顔はやはり良いものではなかった。
いずれも彼女たちの眼中に、俺は入っていない。
当人といえば、昼休みに入ってすぐに、バスケットボール部の仲間に呼ばれて教室を後にした。部活のミーティングと言って、昼食を持って行ったから、いつも通りなら昼休みが終わる頃まで戻らない。
誠が近くにいない時こそ、彼女たちにとって、俺から情報を得る絶好のチャンスだった。それを俺が適当にあしらうものだから、睨まれても仕方のないことだ。
長身で容姿も整っている誠。バスケットボール以外にも運動が出来て、その上、テストの成績はいつも上位ときたら、モテない要素なんて見当たらなかった。
それに比べて、平均的な身長に、容姿なんて良く見積もっても中の下くらい。これといった特技のない俺とは、月とスッポン、違う世界の人間と言われてもおかしくない。実際、話すようになったのも学年が上がる少し前のことで、クラスも違えば、それまで接点もなかった。
思えば、趣味が合うゲームや漫画の話はよくするが、互いの色恋の話をしたことは一度もなかった。
俺は、モテないし、好きな人もいない。興味がないと言えば嘘になるが、無理して相手を探すより、友人と過ごす方が楽しかった。
誠はどうなんだろう。
彼女の話は聞いたことがない。
今は、いないのか?
それとも、付き合っていることを隠しているのか?
机に突っ伏し、頭の中でぐるぐると考えているうちに、次第に瞼は重くなった――。
微睡む意識の中、心地よい温もりが頭をそっと撫でた。俺はこの感触を知っているような気がした。
硬くて、大きな手。
いつもはふざけて髪をぐしゃぐしゃと撫で回す。なのに、今は、壊れ物を扱うように優しい。包み込んで守られているような、安心感さえ覚える。
戻りかけていた意識が、再び眠りに引き込まれそうになる。夢か現実かよく分からなかったが、夢なら覚めないでほしかった。
「……っ」
不意に、撫で下していた手が首筋に触れ、こそばゆさに思わず喉の奥から息が漏れた。
意識がはっきりし始めると、微かな温もりを残して、撫で下していた手が頭から離れた。それを追うように俺は顔を上げた。
同時に、石鹸のような香りがふわっと漂った。
鼻筋の通った好青年が、正面で驚いたように目を丸くしていた。
誠が教室に戻っていたようだ。
「おはよ、よく眠れた?」
目を細めて彼は微笑んだ。
「ん……はよ」
欠伸をしながら時計に目を向けると、予鈴が鳴った。
熟睡したからか、気分は爽快だ。
教室はまだ、雑談する生徒で賑わっている。
前に向き直り、授業の支度を始める彼の背中に向かって呟いた。
「誠って、今好きな人いる?彼女とか」
周りの雑音に混じり、前の席から小さく溜息が聞こえた。
「女子から聞いてって言われたの?」
振り向いた誠の表情は、どこか悲しそうに見えた。
その反応を見て、聞いたことを後悔した。
聞かれたくないことだっただろうか。
きっかけは女子生徒から言われたからかもしれないが、純粋に気になったというのも事実。
「ごめん。言いたくないならいいよ」
それで会話を終わらせるつもりだったが、誠が重そうに口を開いた。
「いや、彼女はいないけど……好きな人はいるよ」
「そうなんだ。今度聞かれたら伝えとく」
誠の瞳に陰りが見えて、それ以上聞いてはいけないような気がした。
「チョコくれた子に告られてさ、付き合うことにしたんだ。だから、悪いけどもう幸太と一緒に帰れない」
彼女が出来たことを、心の底から嬉しそうに喜んでいる誠。
しかし俺は、何故か素直に喜ぶことが出来なかった。
今生の別れを告げられたわけではない。友人なのだから、学校でも会う機会はいくらでもある。なのに、心にぽっかりと穴が開いたような空虚感が消えない。
気付けば、目から熱いものが流れ落ちていた。
「……ッ」
その頬を伝う雫を、誠の指が優しく拭う。
「泣くなよ。本当は俺……」
――頬を濡らす冷たい感覚に目を覚ました。
夢か。
目を擦り、涙を拭った。
昨日家に帰ってからも、誠が好きな人が誰なのか、気になって仕方がなかった。
同じ学校の人か、違う学校の人か。
年上か、同い年か、年下か。
相手が学生でないということもあるだろう。
考えれば考えるほど、モヤモヤした気持ちが溜まり、なかなか寝付けなかった。
だから、こんな夢を見てしまったのかもしれない。
誠が誰かと付き合うなんて、考えたことがなかった。しかし、あれだけ人気なら、いつ彼女が出来てもおかしくない。
何故、夢の中の俺は泣くほどショックを受けていたのか。考えても、答えは出なかった。
「……うた、幸太。お昼食べよ」
体を揺すられ、ようやく呼ばれていたことに気付く。
目の前には、心配そうに見つめる誠の姿があった。
「へ?何?」
慌てて返事をしたせいで、間の抜けた声になった。
「へ?って、幸太今日ずっとぼーっとしてるけど、大丈夫?熱でも……」
そう言って、誠は自身の前髪を掻き分け、額を寄せた。
顔が間近に迫り、俺は驚きのあまり椅子から勢いよく立ち上がった。
「うわっ、何でもない。大丈夫だからっ」
顔がどんどん熱くなっていく。
大きな声を出して、周囲の視線が集まったが、振り返ることなく教室を走り去った。
変に思っただろうな。
今朝の夢が頭から離れないせいで、ずっと彼のことばかり考えていた。
誠はもともとスキンシップが多い。
肩を組んだり、頭に手を乗せてきたり。
今のだって、熱を測ろうとしていただけなのに。
意識しすぎている自分がいた。
翌日の誠の態度はいつもと変わらなかった。ただ、いつもと違ったのは、真剣な眼差しで、「放課後、大事な話がある」と言われたことだけだった。
やはり、昨日変な態度をとったこと、怒っているだろうか。
謝れないまま日付が変わってしまったことを後悔しながら、呼び出された教室に一人佇んでいた。
学年ごとの教室がある棟と反対側にある、使われることのなくなった教室。過去の教材や古い箱型のテレビなど、今は使っていない物が、乱雑に押し込まれていた。施錠こそされていないが、出入りする人は殆どいない。
そんなところへ呼び出すのだから、余程他人に聞かれたくない話なのだろう。
もし、昨日のことを怒っているのなら、きちんと謝ろう。そう決心した時、廊下を走る足音が近付いてきた。音はこの教室の前で止み、同時に開かれた戸から、その高さと同じくらいの長身が現れた。
「あの、昨日はごめん。心配してくれたのに変な態度とって」
先手を打ったつもりが、誠は何の話だと言わんばかりにきょとんとしていた。
「ああ、いいよ。俺もちょっとやりすぎたから」
返事が来るまでに時差があったが、よかった、怒っていないようだ。
なら、何故俺は呼び出されたのだろう。
考えを巡らせる間もなく、誠が口を開いた。
「俺、明後日好きな人に告白したくてさ。そん時に逆チョコ渡そうと思うんだけど、作るのなんて初めてで……。よかったら、食べて感想聞かせてくれる?」
明後日。
つまり、バレンタインデー。
誠が手作りのチョコレートを渡したいほど好きな人。
いったいどんな人だろう。
気になる気持ちを抑え、手渡された包みを広げた。
中に入っていたのは、一口大のハート形のチョコレート。それを口に含んだ。見た目は形が整っていて、店で買ったものだと言われても違和感がなかった。
「苦っ……女子ならもっと甘いほうがいいと思う」
ビターだったのか、思いのほかそれは苦く、率直な感想が口を衝いた。
「そうかな。幸太は?」
「俺?俺も甘いのが好きかな」
女子に渡すものなのに俺の意見は必要なのか?
喉まで出かかった疑問を飲み込んだ。
理由は何であれ、頼ってくれたことが嬉しかった。
「わかった。ありがと」
微笑むと、誠は戸へ向かって歩き出した。
「応援する。誠なら大丈夫だよ」
その背中に向かって、俺は嘘を吐いた。
応援なんて出来るか分からない。
「……だと、いいな」
消え入りそうな声で誠は言った。
歯切れの悪い返事が気になったが、これ以上口を開くとぼろが出そうで、無言で背中を見送った。
口の中に残るチョコレートの苦み。
それより、誠が誰かに告白するというだけで、心は苦い思いでいっぱいだった。
友人をとられることへの嫉妬。
何かを失ってしまうような不安。
夢を見てからというもの、今まで感じたことのないような気持ちが湧き上がってくる。
大切な友人ほど幸せになってもらいたい、いつもならそう思うはずなのに、今はそんな気持ちになれなかった。
一年の頃、遠目に見ることしかなかった誠の周囲は、いつも賑やかだったが、特定の人が隣にいることはなかった。友人が多いから当たり前のことなのかもしれないが、二年に上がる時にクラス替えがあり、その隣には俺がいることが多かった。
それは自分にとって特別で、楽しい時間だった。
”誰にも奪われたくない”
気付いた時、もう自分の中で答えは出ていた。
友人としてではなく、それ以上に大切な人として、
――俺は、誠が好きだ。
「何で井上君来ないのー?」
朝のホームルームが終わると同時に、数人の女子生徒に囲まれた。
「具合悪いんだと思う」
想像で答えたが、俺も気になっていた。
教室に誠の姿はない。休むことを知ったのは、担任の口からだった。
何かあると、いつもはメールをくれる。しかし、今日はそれがない。
具合が悪くて寝込んでいるのか。
通学途中で何かあったのか。
悪いことばかり考えて、不安が募る。
「井上君、大丈夫かなー」
「明日来るといいんだけど」
中には、誠の心配をしているのか、明日に控えたバレンタインデーの心配をしているのか分からない人もいた。
誠が好きになった人は、こういう人ではない。そう信じたかった。
『具合悪い?大丈夫?』
『大丈夫。心配させてごめん。明日は行く』
朝送ったメールの返事が来たのは、日も沈みかけた頃だった。
心配だったが、会わずに済んだことに、どこかほっとしている自分がいた。自分の気持ちに気付いて、普通に接することが出来るか分からなかった。
この気持ちを伝える気はない。
今の関係が壊れてしまうのが怖かった。何より、好きな人に告白しようとしている誠に、悩みの種を増やしたくない。
今は、友人として彼の恋を精一杯応援しよう。
『明日は頑張れ!』
送信ボタンの前で、指を止めた。
教室は朝だというのに、いつも以上の賑わいを見せていた。大半が、小包や紙袋を手にした女子生徒で埋め尽くされていた。
その中心に誠の姿があった。
すごい人気だ。
雰囲気に圧倒されつつ、自分の席に着く。
間もなくして、こちらへ近付く人影があった。
「おはよ」
誠の元気そうな顔を見て、胸を撫で下ろした。
「はよ。朝からすごい量だな」
彼の両手は、今しがた貰ったばかりのチョコレートで溢れ返っていた。
「今日は一緒に帰りたいから、何があっても待っててくれる?」
何があっても、という言葉が引っ掛かったが、特に用事はなく「わかった」とだけ伝えた。
誠は今日、好きな人に告白する。彼に手作りのチョコレートを貰って、告白を断る人がいるだろうか。付き合うことになったら、その人と帰らなくてもいいのだろうか。
暫く一緒に帰れなくなるからと、気を遣ってくれているのかもしれない。そう考えると納得出来た。
応援すると決めたはずが、気持ちは沈む一方だ。
もし、俺が女の子だったら、この気持ちを隠すことなく告白できただろうか。そんなことを考えてしまう自分が、滑稽でならなかった。
放課後になっても、誠の周囲は静まることを知らない。学校中の女子生徒が渡しに来たのではないかと思うほどに、おびただしい数のチョコレートが、鞄やロッカーからはみ出ていた。
誠を残し、日直に当たっていた俺は、集めた課題を担任へ届けるため、職員室へ向かった。担任に呼び止められ、手伝いをしているうちにすっかり遅くなってしまった。
教室に鞄を残してきたから、帰っていないことは分かるはずだが、誠の告白は成功しただろうか。
教室へ向かう足取りは重かった。今日で一緒に帰るのは、もしかしたら最後かもしれない。
寂しい気持ちを胸に、教室の戸を開いた。
目に映った光景に、思わずたじろいだ。
誠の後ろ姿。と、その横に並ぶ華奢な女子生徒。
現実を突きつけられた気がして、胸が苦しくなった。
「俺、……好き……だ。だから……」
上手く聞き取れなかったが、”好き”だという言葉だけはっきりと聞こえた。
あれが、誠の好きな人。サラサラな髪を、肩まで垂らした女の子。
後ろ姿しか見えないが、似つかわしいものに思えた。
やはり今の自分には、応援することも、一緒に喜ぶことも出来ない。
頭より先に、足が動いていた。とにかくこの場から逃げ出したかった。
「幸太。待って、幸太」
刹那、廊下に誠の声が響いた。
それでも俺は、振り返らずに走った。
涙が滲んで視界が霞む。
もう想いを隠すことなんて出来ない。
こんな感情、気付かなければよかったのに。そうすれば、友人のままでいられた。苦しむこともなかったはずだ。
誠の声は、足音とともに容赦なく距離を縮める。何度も、何度も俺を呼ぶ。他の人に好きだと言ったその声で。
速さで彼に敵うはずないが、足は止まらない。
廊下以外に明かりはなく、校舎に他の生徒は残っていないのか、誰かとすれ違うことはなかった。
もう今まで通りの友人には戻れない。なら、一層のこと告白してしまおうか。
出来もしない考えが頭を過った。
数十メートルは走っただろう。渡り廊下の突き当りを曲がろうとした時、不意に視界が大きく揺れた。
何が起きたのか分からなかった。転んだわけではない。だが、全身が何かにぶつかった。
「つかまえた」
耳元で誠が囁いた。
いつの間にか、俺は誠の肩に顔を埋めていた。抱きしめられている状況に、恥ずかしくて顔を上げることが出来ない。
「……ハァ、ハァ、何で、俺のこと……追って、来たんだよ。ダメ……だろ。彼女……ほったらかしに、したら」
息が切れて上手く話せない。
走った後で、心臓の音がバクバクと飛び出そうなほど体中に響いていた。今の状況が、それを増強させているようにも思えた。
腕の中から抜け出そうと試みるが、背中に回された腕は、力が増して離してくれなかった。
「断った。彼女じゃないよ。それより、泣きそうな顔して走って行く好きな人……放っておけるわけないだろ」
「断った?え、だって今日、好きな人に告白するって……待って、今好きな人って?」
思考が追い付かない。
驚いて顔を上げると、視線がぶつかった。
熱を帯びたその眼差しに、思わずドキッとする。
「好きだ。幸太が俺のこと嫌いでも、俺はずっと幸太のことが好きだよ」
顔が熱くなった。きっと耳まで赤くなっているに違いない。
ふと、背中の腕が僅かに震えていることに気が付いた。
誠も不安だったのか。
たまらなく愛しく思えた。
応えるように、彼の背に腕を回した。
驚きや嬉しさ、安堵。いろいろな感情が混ざり、涙となって流れ落ちた。
「一回だけ、キスしていい?」
「いやだ」
「ごめん。男となんて気持ち悪いよな」
眉を下げて困ったように誠が笑った。
「違う。俺も、誠のこと好きだから……一回だけなんて言うなよ」
そっと瞳を閉じた。
「後悔しても知らないからな」
唇に触れる柔らかい感触。
初めて経験するそれは、全身の力が抜け落ちるほど、チョコレートより甘く、とろけるようなキスだった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。