つかめない系女子
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
はいはい、ごめんね。待った?
この頃、どうもトイレが近くってさあ、しょっちゅう用を足したくなるんだよね。昔はそれほどじゃなかったんだけど。
――その手の病気じゃないか?
う~ん、健康診断の結果を見る限りじゃあ、異常なしなんだけどね。もう少し、詳しい検査を受けてみるべきなんだろうか?
君も昔に比べて、身体のどこかしらがおかしくなっている実感、あるかい? 自分の身体は自分が一番よく分かる、という言葉があるけれど、僕個人としては身体を想う心こそ、よく分かるんじゃないかと思う。
頭が痛いとか、手足がだるいとか、お腹が壊れているとか……これらは全部本人しか苦しみが分からなくて、他人に話しても信じてもらえるか分からない。仮病扱いされることになる。
ねらいが分からない動きっていうのは、どうしても本能的に隠したくなるのかも……。
昔、公にはされなかったけど、おかしなことをしている女の子を見かけたことがある。聞いてみないかい?
僕の地元は、ニュータウンの先駆けともいうべき地域だった。大規模な人口受け入れを想定して作られたらしいけど、車社会の浸透が思ったよりも早く、駐車場のスペースを確保することが急務となったんだ。
僕たちが小学校に通うようになった頃、家から少し歩いたところにある雑木林などは、すでにおぼろげな姿で、記憶の片隅にたたずんでいるばかり。その跡地に新しく作られた小学校で、僕たちは授業を受けることになった。
その時期に友達だった女の子についてなんだけどね。彼女は席を外すことが多い子だった。
運動会や遠足といった、集団行動をとる時には、移動の直前に限って、必ずトイレに行く。それどころか、当初は競技中など、今まさに勝負がかかっているという瞬間でも「先生、トイレに行ってきます!」と、返事も待たずに飛び出していったこともあったよ。後に、競技中に関しては先生がきつく叱ったためか、行くことはめっきりなくなったけど。
当然、先生方はいい顔をしなかったし、リレーのランナーをしている最中に離脱した時には、腹に据えかねたねえ。おかげで彼女は、クラスの中でも目立つ存在だった。
どうして、彼女はあんなにもトイレに行くのか? 当時はデリカシーも何もなかったから、彼女の姿がない時、女子陣に話を聞いたらボロボロに怒られた記憶があるよ。
トイレは、そう何度も行くものじゃないというのが、僕たち男子の中での共通認識。しかも、学校とかの公共の場でのトイレを使うことに、だいぶ抵抗があった。個室しかない女子だったら、なおのことだと思っていたんだ。
そんな場所を好きこのんで使うなんて、彼女には何か理由があるんだろうか。
僕は少しずつ興味が湧いてきてね。彼女の事情という奴を、探りたくなってきちゃったんだ。
ある日。僕たちのクラブ活動は、担任の先生の急用により中止。他のクラブに迷惑をかけない範囲でなら、自由に動くことができるようになった。
僕は屋外の体育倉庫から、何かしらのボールを取り出して、遊ぼうとしたんだ。ウチの学校の場合、体育倉庫は、体育館にほど近い位置にあり、トイレや更衣室といったスペースが壁ごしに張り出しているのが分かる。
そして、倉庫の入り口に差し掛かったところで、僕はちらりと体育館側を見やってしまったんだ。
決定的瞬間を捉えちゃったよ。女子トイレがあるであろう場所の窓。そのすき間より、足から出てきて着地する彼女の姿をさ。
とっさに開きっぱなしになっている体育館倉庫の、入ってすぐの物陰に身を隠す僕。彼女も軽く左右に首を振った後、体育館裏へ向かってまっしぐら。どんどんその背中が遠くなっていく。
トイレ、しかも窓から出てきたということは、きっと誰にも見られたくないに違いない。もしかすると、彼女が頻繁にトイレへ行く許可を願い出る理由が、ここにあるのかも知れなかった。ならば、放っておく手はない。
僕は迷わずに彼女の後を追った。できるだけ早く、けれど足音を極力立てないようにだ。はたから見られたら、その人にどう思われるかなんて、この時、頭の中にはなかったね。
音を殺しながらだと、どうしても彼女との差は開きがちになる。その足取りは体育館を離れて、先生方の車が停められている、飼育小屋の前を横切り、ひと気のないプールのそばへ。
入り口の戸はしっかり閉ざされている。侵入はできないはずだ、と僕は思った。実際彼女のまなざしは、プールのフェンスの下。当時の僕たちの身長よりも、やや低めの高さまである、土台部分に注がれている。周りながら、顔を遠ざけたり近づけたりと忙しい。何かを探しているみたいだった。
思わず僕は固唾をのみながら、距離のある飼育小屋の影から見守っていたところ、やがて彼女はプールの四つある角のうちのひとつで、足を止める。土台のひび割れをじっと見つめていたけど、次の光景は僕には刺激的過ぎたよ。
彼女はひび割れて、中身がむき出しになっている土台に噛みついたんだ。
ああ、いや、食いちぎらんばかりの勢いじゃなかったよ。ほら、猫がやる甘嚙みって奴? あれに近い感じ。まるで労わるように、目を閉じて土気色の肌に吸い付く様は、どこか別の世界の一幕にすら思えたんだ。
関わっちゃいけない気がする。直感した僕は、そそくさとその場を後にしたよ。
翌朝。僕の下駄箱に、白い封筒が入っていた。名前などは書いていない。
当時は女子の間で告白する相手に手紙を送るのが流行っていたけど、入っていたのは長4封筒。どちらかといえば事務的で、甘い香りなどしてこない。試しに振ってみると、小石らしきものが入っているようだった。
その場で封を開けて、転がり出たものを見て、声が出そうになったよ。小石だと思ったそれは、あのプールの土台の一部だったんだ。
見られていた。僕はこのまま学校から逃げ出したい衝動に駆られたけど、あの距離を気づく彼女。もしかしたら、すでに僕の動きをどこかで察知しているかも知れない。
どうにか平静を装って教室に着く僕。彼女は窓の外を見ていたけど、僕が戸を開けた音に振り返ると、にんまりと笑うのが見えた。
「昨日のこと、まだ誰にも話していない?」
帰り際。彼女は無理やり僕の腕に自分の腕を絡ませて、外へと連れ出しながら、こう尋ねてきたんだ。
実際、あの後はクラブの時間が終わるまで教室に逃げ帰っていたし、下校時間になるや真っすぐに家へ戻って、誰にも話をしていない。正直に、彼女へそう告げた。
彼女はじっと僕の目を見つめてくる。絡まれた腕が、いっそう強く握られるのを感じた。腕から自分の血管の鼓動が聞こえるくらいだったから、相当な力だったと思うよ。
すでに僕たちは、静かな住宅地の一角を歩いている。働き盛りの人が、主に寝床としている家たちが並んでいるため、気配をさほど感じないんだ。
「今度、海岸の埋め立てをするっていう計画、聞いた? あそこにポートアイランド? だかができるんだって」
まだニュースに疎い僕に、そこのあたりの事情はさっぱり分からない。素直に首を横に振ると、彼女はため息をついた。
「私ね。その手伝いをしているんだ。そのために、町を作るために掘り出した土が、たくさんたくさん使われて、海の上に新しい地面を作り出すの。だけど地面を固めるのには、自然そのままの土だけじゃ足りない。だから私が力を貸すの。みんなの役に立ちたいから」
彼女は腕を絡めながら、ひと気のないマンションの前まで僕を引っ張ってくる。
右外周部に取り付けられた階段。その一階部分の壁を、彼女は指さした。昨日のプールの土台と同じ、いかずちのように走った割れ目の中に、グレー色のコンクリートがむき出しになっている。
ただ、そのコンクリートは、中央部分に何かでえぐられたような深い穴が開いていた。
「数週間前に、ここのをちょっとかじったの。けっこう役に立ったよ」
信じられなかった。このコンクリートの傷は、彼女の口の何倍も大きい。何度かに渡ってかじったというのだろうか。
「これからも私、ちょくちょく抜け出すわ。みんなの願いのままに、一緒に生きていく。それが私のしたいことだもん」
彼女はようやく僕の拘束を解くと、人差し指を口元に当てて、にこやかな顔をしながら去っていく。
それから卒業までの間、彼女と同じクラスになることはなかった。時折、姿を見かけることはあったけど、向こうも進んで僕に接してこなかったし、僕も同様だ。
彼女がかじっていたと思う、プールの割れ目。確かにかすかに削り取られていて、あれからも何度か彼女に「愛された」のか、卒業するまでに少しずつ大きくなっていったような気がしたけど。
それで、卒業式を迎えてになってからさあ、ふとあの日、彼女が抜け出したトイレのことを女子の誰かに聞いてみると、おかしな顔をするんだ。
あの窓、人が通り抜けられるわけがないって。実際に外側から窓を開けてみると、格子がしっかりはまっていてさあ。抜け出すには、それこそ風や陽の光くらいって感じだったよ。




