3 INTEREST
ちょっとまずいな、と思ったのは―――。
はぐらかされる気配を濃厚に感じたからかも知れない・・。
時計がダリの柔らかい時計になる・・。
でも、単刀直入に聞けずにいるのは・・・。
そして、重圧が石になって表面上にあらわれてしまうのは―――。
―――若いから、未熟だから・・。
店内は―――。
モダンな雰囲気のウッドベースの喫茶店。壁の絵画に、洋風の窓、それから
ピアノが置かれていた。テーブルとテーブルの間が広い、静かな喫茶店。小さ
な路地裏に当時の建物が修復・再生され、ギャラリーや喫茶店になっていると
いう話を聞くけど、年季の入った店は次の世代まで残ってほしい・・。
皿をかちゃかちゃいわせながら店員が取り出し皿で運んでくる。すうっと、
手を差しのべながら苺のショートケーキが眼の前の皿に置かれる。不意にある
瞬間から無秩序な形で流れ出してしまう、食慾。
瞳孔開いて眼を瞑り鼻梁をうごかし、
それから、眼を開けて、苺のショートケーキに眼を丸くしたあと、
カメラのアングルや撮影距離を調整して、
水平線や床の位置を決定する場面。
それから三十回はフォークでゆっくりと切って、
sea anemone...scorpion...
口の中に入れていった。
それはごく普通の、どこにでもあるような苺がのっているショートケーキ。
けれど、素晴らしい食べ方で口の周りにクリームなど絶対につかなかった。
マティス晩年のカットアウトの傑作である『かたつむり』みたいだった。
朝、大急ぎでソーセージやチーズやパンなどを口に詰め込むのを、
日課としている少年らしい食べ方。
一瞬、とゆえが僕の方を見て、おかしそうに笑った。
そんな食べ方あるの、あるよ、と心の中でコンタクトした・・。
食べ終わったあと、何だか淋しそうな顔をしたので、アップルパイ食べる、
と言うと、これ以上はいけない、と言った。何がいけないのかはわからなかっ
たが、おごるよ、と言うと、承知した、と言った。
なるようになれ、よもや。
もっと食べると冗談で言ったら、駄目、
これ以上食べたらあたし、生きていけないと言われた。
うわめづかい、で・・・。
そして何故かはわからない、僕はこんな時、
高倉健が出ていた映画『昭和残侠伝 死んで貰います』を思い出す。
でもそんなにケーキが好きなら、ケーキバイキングにでも連れていったのに
と思った。でもそう言ったら、デートを断られたかも知れない。
ケーキが好きでも、ダイエットはするのが女の子という生き物だから。
けれど、色んな表情をする女の子を眺めているのは楽しい―――。
もちろん、聞き出すつもりで入ったというのもあるけど、冷静に我にかえっ
たら、コーヒー飲みたくなった、ということもある。
実際、命を狙われているのは、とゆえである。実際、あのロボットは僕の背
後につきながら一切攻撃を仕掛けようとはしなかった。プログラムされている
のだろう、彼女のような人間に反応するように。
もし遠隔操作なら、僕の存在はきわめて危険なはずである。
また、あれはとゆえを捕まえるではない、殺すだ。僕にはそう見えた。
巻き込まないようにしているのかも知れない。
けれど、聞かなければ・・・。
「・・・私、岩崎君の言いたいこと、わかるよ。」
ぎょっとした。
「―――心を読めるとか。」
「・・・読める。」
「エッチなことを知られると思った?」
僕はムッとする。どうして女という奴は、すぐ男を変態扱いするのだろう。
馬鹿な僕は思った。えっちいビデオの中では、両方変態みたいだぞ、と。
「怒った・・?」
「ねえ、怒ったの・・?」
なつかしいような肉感的な感触の胸を頭におしつけて―――。
石鹸のやさしい匂いがした。
ヒヤシンスの中に潜む憂鬱が、彼女の思わせぶりな態度にしてやられる。
不服だけど、ゆっくりと戻ってゆく、空気と光の澄んだ街・・・。
「ごめんね、教えられない。
でも、デートというものが、一度してみたかった。
本当にそれだけ。」
彼女の押し殺したような低い声は如実にすべてを物語っていた。
ぬるぬるとして井戸の中へでも滑り落ちそうになる―――。
日常生活の真空にも似た、彼女の真実。
「・・・私は岡本とゆえじゃない。架空の名前。架空の住居。
あなたは私と何か月も一緒に過ごしたクラスメートだと思ってるけど、
それは間違い。私はあなたと会って、三日目。」
螺旋状に最初の核心から遠のき渦を巻き、声が闇に白々しく描かれるのを待っ
て、幾つもの小さな渦が生まれ、揺曳して、そして何の奇もてらいもない・・。
かすかなひびきが、蛹を蝶に変貌させようとする―――。
教えられないのは、教えるとまずいということだ。
すなわち、逃亡しているからなのだろう。
(あのロボットを壊した時点で、そう気付くべきだった、と反省する―――。)
逃亡しているということは、潜伏先を次々と変えているのだろう。
【三日前】という表現はすなわち・・。
【猶予期間が三日】ということなのかも知れない。
>>>消さない。というか、消す方法も知らない。
―――【消せる、消す方法を知っている人が別にいる】という。
となれば、複数だ。
それに、とゆえは油断がありすぎる。とゆえだけで、あんなロボットみたいな
難局を乗り切ってきたとはとても思われない。最低でも、二人の逃亡犯だ。
そして僕はクラスメートの中にそんな人物がいるかも知れないと連想した。
そしてその人物はおそらく、コンピューターに『ハッキングする能力』があり、
『データの書き換え』ができる。そして『人の記憶を書き換える』ことができる。
また、もし、とゆえがそれを隠しているのなら、もっと前にそうしていた。
―――つまり、とゆえに、そういう能力はない、と断言できる。
考えろ、考えなければ、とゆえは僕の眼の前から永久にいなくなってしまう。
僕は引き延ばせ、と思った。とゆえは、やっぱり笑顔で次の扉を開いてしまう。
その前に、何とか彼女の重要な情報を引きずりだせ、と思った。
僕は、受験勉強より真面目に考える。
「・・・とゆえの本当の名前ぐらいは知りたい。」
「―――名前なんか、ないわよ。」
暗闇に紛れていた残酷な現実を虱や蜱を飼うものとして覚える。
あるいは、電話番号とか、記号みたいなものかも知れない。
(もっと高い鍵を打つ・・)
待てよ、『逃走した』と仮定するのなら、
『囚人』みたいなものであったのかも知れない。
(でも、とゆえにそういう犯罪性を見つけ出すのは難しい・・)
であれば、幼少期から何らかの理由で―――小さい頃から、その場所・・。
『施設のような場所』に入れられていた、と考えるのが妥当ではないか。
その『彼等に引き取られた』と考えるべきなのではないか。
暫定的で便宜的ながらくた。ささやかな価値観に基づいた新しい生活・・。
壁面を蔦蔓がたんねんに這い繁ってしまっているような、秘密。
画像の端の歪みやノイズを隠すため、画像の周辺部を表示しないよう入力
映像の、表示範囲を切り替える。でも戦争のない時代にどうして、とゆえの
ような超人的ないしは兵器的な能力が必要なのだろう・・。
「とゆえのことが好きだ。」
いま、彼女を繋ぎとめるにはその方法しかなかった。場合によっては、この
喫茶店の中には、その人物がいるのかも知れない。だって、彼女が言ったのだ。
この喫茶店へ入りましょうよ、と。公式化した文句、絶対にやっては駄目な
名詞の渡し方、絶対にやっては駄目な挨拶の仕方・・。
技巧的な防腐剤的処理・・。
無様なコーヒースプーンのような肉体、真っ白い剥き出しの腕、
夕方の狭い町、ぽつぽつと電燈がついていくアパートの不思議な光景。
プレイヤーはキャラクターを選択し、その開発は、個々の、ユニークなスク
リプト。 禁断の神に仕えた罪、そういう花明かりに蹌踉めく蝶。
「会って三日の女の子に、そんなことを言うなんておかしいと思うでしょ?
自分がひどくひよわで脆弱なのだと、無力さ、非力さを思い知る。
でも何故こんなに余裕たっぷりなんだろう―――。
何、簡単なことだ、いつでも関係を清算できるから・・。
だから相手との会話や、駆け引きを楽しんでいるのだ。
「・・ご飯とか、お金とかどうしてるんだ?」
「―――ノーコメント。」
そう考えてみる―――。
「・・・ご飯や、金銭の提供ができると言ったらどうする?
今みたいに、犯罪をしないで―――いや、犯罪はしてないかも知れない、
でも、彼等から見つかるリスクを背負わないで、手に入るとしたら?」
一瞬、とゆえの表情が棒っきれの先から煙が出てくるように変わった。
細かいものを見るときの瞼が異常に厚くなった眼。
間違いない、彼女は興味を持った。
そういう可能性もある、と思ったのだ。
「・・・犯罪はしてないんだろう、足がつきやすいから。
でも、よっぽど周到にやっても、いつかは絶対にバレる。
相手は国家権力に相当する組織だと思う。」
とゆえの超能力みたいなものや、あのロボットみたいなのを扱おうと思った
ら、一部の研究機関じゃ難しい。だったら、余計にそうだ―――。
「・・・これから逃げ続けても、いつかはその先手を読まれる。」
次々と繰り出す、たとえその卒塔婆のような接ぎ穂のない感情に迷うとして
も。出鱈目の誇大の無茶苦茶の物語にだってベーコンのような味があるさ、屋
根だって翼のように拡げる、心だって骰子する、ともすれば溢れ出しそうな涙
の粒のように、暗い、冷たい霧が縦横に飛び回る。
そうだ、すべてのものの緊張したそこには、いつでも音楽が生まれる。
そこをフォローするような人物―――不意に、いつも彼女の背後で、そうい
う時はこう言うのよ、とフォローしている人物がいた。一見、そういう役回り
に見えるけれど、彼女がとゆえから離れたことが一度でもあったか?
また、彼女は本当に僕と同学年だろうか・・ガラス越しに見る屈折――。
この人形の手足についた、細い糸は、何本もはっきりと見える。
ともあれ、川田彩音、それが彼女の協力者だ。
中からは外が見えないが、反対に外から中はよく見えるみたいに、いまにな
って深海の燐光を帯びて現れる―――人物・・。
「川田も、説得する。」と言った瞬間に、背後の席で立ちあがる気配がした。
「―――説得はしなくていい。岩崎が頭がいいのは、よくわかった。」
「―――とりあえず出よう。」と僕は言った。
冷静になった・・。
さっきみたいなことがありうるのなら、このまま事件現場付近に居続けるの
は危険だ。その情報を川田が得ていないことで、無理に記憶を消されることも
なかった。けれど、運も実力の内というではないか。
地球から見る満月の倍くらいの大きさに見えるみたいな、川田の眼・・。
でも、いまは電球の光を手で覆うようなこと・・。
喫茶店で清算をして、何故か川田もお願いしますと渡してきたので一緒に払
い店の前でタクシーを拾って、とりあえず、僕の家を目指した。相手を信用さ
せるには自分から曝け出す、常識である。けれど、この時になって、僕は魔が
差したんじゃないか、という気もした。タクシーの助手席から長方形をしてい
るルームミラーで彼女たちを見ながら、まだ見知らぬ現実に深入りしようとし
ている―――でも、とゆえが、川田に向かって、映画すごい面白かったのと喋
り出すと僕はもしかしたらただ馬鹿なことを言い続けていたんじゃないか、と
いう気もした。それぐらい、そこには、普通に可愛い女の子がいた。不安と憧
れと献身がうみだす運命の悪戯に心をさらわれながら、風を受けた花が揺らい
で匂う・・愚かな脳の構造の奇貌とホルモンの分泌過程―――。