2 PEACOCK
外界に物音はなかったが、スーツ姿の男がすたすたと歩いていく。
シュン、と自動ドアを開けると直立姿勢のまま、反応を待つ。
「また失敗ですか。マギザを地上に放っておいて数週間、
一体どうなっているんです。」と清水局長が言う。
といっても、ここに集まっているのは国内外問わず、優秀な連中ばかりだ。
これにはアイデンティティの影響がある。
自分は自衛隊である。作戦の指揮を任されて、誰かを捕えて来いという命令を全
うするだけだ。ここに集まっているのは頭のよい奴等ばかりだ、つまり自分とは毛
ほども馬が合わないという先入観。だから自分はここに入って行けないのだ、と。
眼には見えない階級のために壊れやすいワークを運ぶ小さなコンベア・・。
「―――面目ありません。次は必ず・・。」
「あなたには失望しましたよ。任務を解きます。」
じっと凝視められると、キャベツにでもなったような気分だ。
眼窩の奥底から双の瞳が近づいてくる。スコープのレティクル・・。
「・・・回収することも満足にできませんか?」
次の瞬間、白衣からすうっと拳銃を取り出した。狙いを定めるのに数秒とかから
ない。こちらは丸腰である。驚きはしなかった、これまでこんな話を聞いたことが
あった。都市伝説のようなものだ。噂話は人間の言語能力を伸ばすにはその場にい
ない人の情報を共有する必要性から出発している。
古い自我が新しい理想によって打ち砕かれる―――。
静かな川底からのぼる沼気のあぶくのように、ゆっくりと言った。
「・・・自殺だ。」
眼の前の血の海も、きれいに掃除される。遺体も運ばれる。
ペルー沿岸の月の砂漠のように拡がっている・・。
もう名前さえ覚えていない。サンプル程度のウランならAmazonでも買える時
代である。その精神状態はきわめて依然として愛想っ気もないのだが、彼は価
値のないものに、いちいち名前があることさえ不思議なことだ。自殺でさえ、
リシンやアブシンという猛毒をダークウェブで入手することが出来る。
未来に焦点を置いたvisionには、破壊的発明や、自我の拡大が付き物だ。
書類一枚にスタンプを捺して、便器の中へ放り込まれる・・。
だから―――それは人ではなく、物だ。
数値上のデータが黒いじょうご型の画面に飛び交う・・。
研究室というのに何故か窒息するような稀薄な空気。
そこには、清水局長の好きな絵画が飾られている。これにもデータがある。
デスクに好きなものが飾られていると三十二パーセント効率が上がる。
ところで、夢の中の話で、人間は危険の予行演習をしているという話がある。
だから、腕や足にきわめて活発な状態が見られる。だからモーツアルトや、ベ
ートベンが流れているのだ。落ち着ける時に、人は意図的にその空間を作り出さ
なくてはいけない。そこで能面のような表情で働く人々。
「P-Z03の様子はどうだ?」と、清水局長は聞く。
「順調に成長しています。」
そう言いながら、パソコンを操作して、監視カメラの映像に切り替える。
重要な試験体のようである。猿轡をされ、身動き取れないようにされている。
パッと見には、木乃伊のようにも見える。
「監視を続けろ。」
硝子越しの室内には血だらけの少年や少女たちがいる。
部屋は、貪婪な蛸のように凄惨な光景をいそぎんちゃくのように引き寄せてい
る。子供たちはいつになっても救いの手を伸ばしてくれないので、表情というも
のがない。巨大な鉄球で足を潰された者、巨大な剣山状の針で突きされて身体の
まだ皮の部分が血で濡れていく内に死んでいる者。ドブネズミのような顔。現在
を取り組むことを諦めた人々が虚空の物質として処理されている空間。感情もな
く肉体もない要求。無理難題。そしてその処置は正当と判定される狂った施設。
どんなにたくさんいても指揮する者がいなければ反乱は生まれない。
暗黒の中へと次々と腕が吸い込まれていく―――。
その中で、何人かはまったくの無傷でいる。
選ばれた人間、生き残ることが、価値のある証明となる・・。
様々な残虐な拷問ですら、言葉を話す者たちによって作り出されているという
事実。人間は、こんなに冷たい眼が出来るものなのだ―――。
少年や少女たちは、雪が斑に積もった高い山を見るように俯瞰する人々を見る。
傲慢な大人、蜈蚣のような手足を使って、さまざまな方法で暴力を加える。
逆らったというだけで排泄物を喰わせられた子供もいた。
耳が遠いように音量が絞り切れていない。
計量用スプーンで命を量っているような、死神、悪魔、畸形じみた印象・・。
最初は殺してやりたいと思った子供たちも、いまでは温和しいものである。
精密曲線レールへのプラットフォームモーション走馬灯・・・。
様々な物想いが一瞬火花のように飛び交ったが、すぐにそれを忘れた。
ゼリーの塊になったようなぶよぶよした感覚が一瞬、死を忘れさせる。
それを眇眼しながら、清水局長は聞く。
「・・それで、こいつらの中にエビュリシオンの反応はあったか?」
それは、超能力のある者、という意味のようだ。
「―――アヴァリアーヴェを打ち込んで二十四時間経過しましたが、
数人に陽性の反応が見られます。」
「―――いい兆候だ。駄目な奴は処分しろ。」
「了解しています。」