1 FLOWER GARDEN
クラスメートとデートの待ち合わせの約束をする。
時々バス停の方を見たり、腕時計を見たりしていると、岡本とゆえ、十七歳
がこちらへ歩いてくる。ハレーションを起こしたフィルムのように淡く揺らい
で消えかかる。広場は必要に応じてわれわれのエアポケットになった。
髪の色は薄茶で少しオレンジがかっているが地毛。ツインテール。瞳は鳶色。
笑顔を浮かべながら、手を振る。咄嗟的に、手を振る。口を小さく空けて歯が
並ぶさまは、どこか、小動物的な生き物を連想させる。可愛いってことだ。
繊細で切れ長の眼蓋、そして力強い眼・・。
五月六日のおうし座。身長は百五十六センチ、高くもないが低くもない。
ダズリンの花柄のトップスに、黒のひざ丈のフレアスカート。ホワイトソッ
クス。ネイビブルーの猫ポッケのショルダーバッグ。
そんなにファッショナブルというわけではないけど、ブランド物でいざや決
められたら、僕も逃げる。でもスカートでデートに来てくれるだけで御の字と
いうものだ。足が太いのを気にする女の子がパンツルックで決めたり、ジーパ
ン姿のカッコいい系の女性もいるし。
オートメーション理論で、とゆえは僕の前に立った。完璧だった。
街路樹のベンチで木洩れ日を受けていた僕は、新しく落ちた流れ星を見つめる。
「・・・待った?」
「大丈夫、いま来た所だから。」
本当は、緊張して一時間ぐらい前から来てる。
とゆえは、別に緊張なんかしていないと思う。
この前、僕が放課後の学校の裏庭で勢い余って告白した時も、いいよ、とい
うだけで、別に僕のことを好きとも嫌いとも言わなかった。その時、デートの
約束を土曜日にして、携帯の電話番号とメルアドを交換した。
世界の外へずり落ちてゆく、水。旧時代のカラフルなじゃがいも説・・。
素直に、嬉しかった。
嬉しい反面、ふられることしか想定していなかった男の心理というのは、複雑
で本当にえらいことになった、と思った。クラスメートだけど、正直、二、三度
ぐらいしか話したことはない。親友に事情話してゲロったら、お前、岡本さんと
付き合うってやばいよ。何がやばいんだよと思っていたら・・。
でも親友であるヨシヒロが言うのもわかる話で、いっそ、からかってる、と言
われた方が分かり易いぐらいだ。でもヨシヒロはいい奴だから、何処連れてった
らいい、そりゃお前映画だよ、と。
いきなりキスするとか、やめろよ。しないよ。
あと、コンドームは絶対に財布にいれておけ。
立派な意見だった。というか、がっつくなと言っておいて、準備をするという
のも随分な話だった。
古糸のようにもつれた冬の街の私語・・。
でもそこからヨシヒロは、最初だけやってればいい、とも言った。
最初はみんな、甘い夢や、幻想を食べる。でも現実、そんなのやってられねえ
よ。分かり易い話だった。漫画だって、二回、三回読めば最初の感動も薄れる。
完全情報がいけないのだ、でも、完全なのは完全な人間だけだ。
しかしヨシヒロがそうやって色々世話焼いてくれたおかげで、無事デートの日
を安心して迎えることができた。弟子よ、もう教えることはないとか言ったので、
ちゃんと脛のところをピンポイントでタイの人のように蹴っておいた。
「それで、これ、映画のチケット。」
ぶっきらぼうを装って渡すが、結構勇気がいる。
狙撃兵に狙われているような感じで、隙のない動き・・。
内容は歯が浮くような恋愛映画で、彼女いない歴この前まで年齢ですの男に
とって、ふざけんなよ、喧嘩売ってるのかみたいな内容で、正統派美少女にイ
ケメン、そいつらが、運命的な恋に落ちていく、もはや爆破すんぞコラ、みた
いなアレである。
そして好きだとか嫌いとか言いつつ、最後まで、うーだらこーだらやって、
くっつく、もういいよ、でも最後まで観る。若いから、それでもやっぱり勉強
として見ていたりするから。
でもそう思いながら、いいなあ、とか思ってたりするので、やっかみはやめ
ろ、だ。でもいざ当事者、そういう立場になってみると、こっ恥ずかしい。
さわっと、風が吹いて、とゆえは髪を軽く抑えた。
絵になる女性のきらきらする光景のために、風をくるくる回したい気がする。
胸ばっかり見るなよとヨシヒロに言われたけど、こんな場面では、そこしか
見ていない。義務のように、まばゆいばかりの姫をエスコートする気持ちにな
った。そして、突然街が現れた。
「―――ありがとう。でも、払うよ。」
「いや、いい。アルバイトしてるから、大丈夫。」
お金のありがたみは働くとよくわかるけど―――。
それは、もちろん、こういう時のための、お金だ。
クラブ活動もせず、家でだらだらするよりは、何かした方がいいかなと思って
いたら、友達の紹介で、ちなみにこれもヨシヒロ、実家が喫茶店でちょうどアル
バイトが辞めたので探してるんだ、じゃあ、俺なんかどう、いいよ聞いてみるで、
面接受けて、その次の日にはもう働いていた。
実際、仕事終わったあとは、ヨシヒロと喋ってたりすることがある。オーナー
だってヨシヒロのお母さんだから、ご飯食べてくみたいなノリだし。
ウェハースをゆっくりと歯で噛み潰すような感触・・。
仕事っていうハードルが低いと、のちのちのためにはならないんじゃないか、と
いう気もしたけど・・。
「そう?」
「―――それに、来てくれただけで嬉しいし。」
「あ、あのさ、」
「うん?」
「とゆえは、何処か行きたいところある?」
気弱だな、と思うけど。
でも気弱というのなら、とゆえと呼ぶのだってそうだ。
ややもすると、岡本さんと呼びたくなる。
「ないよ。どうして?」
「考えてみると、全部決めちゃってたから。」
とゆえじゃなくて、ヨシヒロだったらどうか。男同士だ。恋人とデートしたい
のとは違う。その選択肢の中に水族館や、動物園や、遊園地はあるか。カラオケ
や、海はありうるだろう。
でもいつまでも、僕等子供というわけではない。好きでなくとも、行くのだ。
行こうと言いながら、歩く。
星座が徐々に変化するように、街が動いている、光が溢れている・・。
「・・でも、そんなの、気にしなくていいよ。」
とゆえが余裕たっぷりな様子で言う。
ドキンとかするから、なんか、やられキャラ度満載だな、と思う。
アルプスが俯瞰する・・。
服に、眼鏡に、本に、レストラン、何でも揃う・・。
組み合わせの難しい感情だ、でも何でも買わない―――。
エレベーターフロアから乗り込んだら、最上階へ。
椅子がふかふかで座り易いのは、前に両親と映画へ来た時に思った。母親が、
ハリウッド映画の誰それが好きで、というのが理由だったけど。
子供が積み木を撒き散らしたような意見・・。
思ったけれど、―――いざやるとなると、恥ずかしくなって、普通に一緒に食べ
た。なんだか、馬鹿馬鹿しくなって口の中にポップコーンをおらおら入れていた
ら、むせて、とゆえに笑われた。びっくりするほど大きな眼をして、ゴムのような
弾み、睫毛の甘い曲線、眼が笑う。
耳の中の溶鉱炉・・。
光の点から点へと動く蒸気、映画の前の紹介が始まって室内は暗くなった。
そんなに食べたかったの。
食べたかった、男とポップコーンは仲のよい恋人みたいなものと教えておいた。
もちろん、普通に嘘だったけど。
映画は生理的に展開的に、許しがたいところはあったけれど、男性の九割はヒ
ロインが可愛ければ許せる、と思っているのは間違いのないことだ。
どうして海と待ち合わせのシーンは外せないのか、と僕は思った。
これがもし文学物だったら、クラシックかけているようなもので、あるいは木
漏れ日が気持ちいいからウトウトしてくるレベル。
昼寝に適し過ぎて眠っている、画鋲・・。
ハリウッド映画みたいに分かり易いアクションのよさは、そこにあるのかな、
と思う。爆破、銃撃戦。そして強大な敵。アジトに乗り込む―――。
時計のようにちくたくと音を刻む、心臓。
もしかしたら、恋人らしいふれあいタイムではなかったのかと一瞬思ったけど、
暗闇の中では、映画を観るよりほかになく、いかんせん、経験がなさすぎた。
パンチで打ちぬかれた金紙―――驚いたなあ、と思う・・。
僕は、若くて乱暴な衝動を感じて男性的生理現象を少し患った。頭の中にミサ
イルや、ナパーム弾が乱れ飛んだ。そして、僕は妄想の世界でとゆえに対して機
関銃でズダダした。まあ、そういうことだった、ヒロインを見ながら、それがと
ゆえだったらいいなあ、と思ったりした。
>>>深夜の便器で、人生について考えたくなる不思議。
疲れるばかりに香いのいい干し草のような僕に牛の顔が特大アップ・・。
あんな風に、素直にきらめく言葉(キラキラ語⇒非リア充当時は死ね語)を話し
たり、キスしたり、嬉しくて抱きしめ合ったりしたら幸せな気持ちだろうな、と。
でもデート一回目で、そんなことをしたら、普通に嫌われる。
二枚目っていいな、と映画観ながら思った。
あんな風に女の子をからかっていても許される。
映画が終わってみると、僕と、とゆえは一歩距離が近づいた気がした。
ガヤガヤガヤガヤと音がした。
何かさわがしい音がするデパート前。ベンチ。時折通過する二車線道路。車。
向こうにあるのは交差点。バス停に、街路樹・・。
絵の具のような街、明るい街、梢のざわめきがそのたてがみを揺らす。
そして次の瞬間、とゆえは、何の脈絡もなく垂直に宙に舞った、斜出。
沸騰悲惨、締切が近づいた状態で報告書をまとめるサラリーマンの気分。
天使の瞬き、無花果から蜜が滴り、どこかで、流行歌が流れているのに・・。
僕は、人間が半分に切断されるというのを初めて見た。高速のカッターで?
いや、そんなものはなかった。でも何もなくて、人の身体は真っ二つになる
ことはない。でも、悲鳴は出なかった。あまりにも衝撃的過ぎると、人はそれ
を認識することができないのだ。
血はたくさん出た。輸血―――救急車・・進行通りに進まない事態、焦慮。
熟れすぎた果肉のようにどろっとした液体。
その時、僕の傍らに男性が立っているのに気付いた。
そしてふっとあたりを見回すと、すべての風景が静止していることに気付い
た。時が止まっていた。超能力ー異次元と連想しながらも、そんなこと、どうで
僕はいつのまにか、自分が泣いていることに気付いた。抱き起した・・。
この場所に抜け道はない―――。
去りゆく時のかろやかな音、毒蛇のごとく蟠る肉体の憐れ―――。
付き合い始めていきなり身体を半分にされてしまったヒロインを。
と、その時、声が聞こえた。
「・・・馬鹿な奴、あたしがこんなことで死ぬと思ってるなんておめでたい。」
説明のつかない真面目さが流れた。
アメーバのようなすさまじい生命力。治癒―――接着・・現実的にこんな場面は
気持ち悪いとは思うのだが、でも、あ、生きてるんだ、と変な感想を持った。
冷静とはいえないまでも、こんな世界で身体が半分にされるということは、も
ちろん、とゆえには、そういう力があるんだ、と思った。
男は、スーツ姿で、サングラスをしていた。
「―――デートの邪魔をした罪は重い。」
と、とゆえは言いながら、何かを掴むように右手を動かした。
そこから、とゆえは、地面にたたきつけるように腕を振り下ろした。スーツ
姿の男は地面に叩きつけられた―――打擲・・。
まるであやつり人形のようだ。
それから―――とゆえは、何か呪文のようなものを唱えた。
次の瞬間、スーツ姿の男は見えない刃物のようなものでやられたように、め
ちゃくちゃに切り裂かれた。
かまいたち・・風の剣のようなものだろうか・・。
圧倒的な力だった。スーツ姿の男は跡形もなく切り刻まれて塵になった。こま
かな漣のように、いつか、飴のように透明な粘着力の世界が何事もなく形成され
ている。眠るように水は流れていく。
すうっと、とゆえが、僕の方へ近寄ってきた。
僕は、こんな非現実的な状況にいるのに何故か、すごく美しいな、と思った。
殺されるとは思わなかったが、もしかしたらそうかも知れないな、と思った。
ドキドキした―――硝子のような放心した表情・・。
「ねえ、岩崎君は・・・こんなことあったけど、まだ私のことが好き?」
僕の服にはとゆえの切り裂かれた場面の返り血が残っていた。
抱き起そうとした時のなまなましい血も、噎せ返るその臭いも覚えていた。
ファースト・キスは唐突にやってきた。眼をつむる暇さえなかった。という
か、そんなことを考えている、空っぽな僕の頭の方がおかしかった。とゆえは、
手をかざした。次の瞬間、僕の服や手にあった血は完璧に消えていた。
そしてズゴゴと音が戻るように、周囲の景色は動き始める。
とゆえは、何食わぬ顔をしながら、まるで夢でも見ているような僕に、微笑
んでいた。目の前にいる十七歳の女の子のことを僕は何一つ知らないと気付か
されながら、それでも無性に惹かれている自分に気付いた。
「―――最初会った時から、この人は特別だって、思っていたの。」