みこもり!2〜新しい朝が来た〜
この話の女の子2人はセットで非売品です。
異世界の朝はもしかしたら早い、かもしれない。
今の所そんな事には関わりない蘭の目覚めは、日常的に朝7時起床としている何時もと変わらぬ時刻であった。どうしても7時までは意識がハッキリしない。かわりにどんなに夜が遅くても決まった時間に目が覚める。蘭はそんなタイプだ。
ちなみに、この異世界でもこの頃にはもう日は登りきっている。
「おはよう、よく眠れた?」
「むしろ爆睡したわ……おはよう百合」
何時もの様に洗顔を済ませて席につくと、もう食卓には朝食が並んでいる。
本日のメニューは、焼き鮭にだし巻き卵とホウレン草のお浸し、豆腐とワカメの味噌汁にホカホカのご飯という一汁三菜。
「あまりにも同じだから、あえて定番で!」
「……やっぱり百合から見ても、変わった所とか無いんだ?」
“必要なものは鞄の中に”と言われていた百合絵が、素直に「住居?」と唱えながら手を入れてみると、手の平に余るサイズのメタリックな箱が出てきた。
「え〜と、これって開けてもいい物なのかな?」
「ちょっと見せて」
首を傾げた彼女から箱を受け取って一頻り眺めると、それは缶ペンケースと同じ作りをしている様であった。
まさか女神から危険な物を説明もなく渡されたとは思わないが、念のため彼女と赤子から離れた所で開くと――
「……アーモンドチョコ?」
パカッと思いのほか軽くのぞいた中身は幾つかに仕切られ、小さな楕円形を縦半分に割ったメタリック――まるで市販の個別に包装されたアーモンドチョコレートが並んだ様なデザインだった。
一粒だけ摘んでみると女神の声でメッセージが響く。
“複製・する・【家屋】・の・対象・を・指定・せよ”
「家屋」という事で自然と思い浮かんだのは、今は亡き母親と最近まで住んでいた自宅マンションだった。
広いエントランスにソファーや軽い読み物を置いた書棚等が数か所に配置されて、中心に芝と花で手入れされたパティオ風な温室が小さな公園の役目を果たしていた。正面近くの書棚には、幾つかの新聞が届けられその週の間は取り置かれていたので、日々が慌ただしく溜まりがちの新聞の始末に辟易とする住人には重宝されていたものだ。
更に地下には温水プールやジム等のちょっとした娯楽施設までが設置されており、社交的な母親はそこで何人かの住人と親交を深めていた様だ。
幼い頃は蘭もよく母親に付いて回っていたのだが、住人の多くは大人で物静か。とてもではないが子供が馴染める雰囲気ではなく、ある程度育つ頃には自然と学校帰りにそのまま外で時間を潰す様になっていた。
しかしここ最近はワケあって百合絵を引き取ったので、彼女と連れ立ちこれまでとは比較にならない位にそれらの施設を利用していた。
ほぼ初めての親しい存在に、我ながらはしゃいでいたのだなと今更ながら自覚する蘭なのであった。
とにかく美観を損ねないような死角にバラエティーに富んだ種類の販売機が点在し、各種手続きを引き受けるコンシェルジュまでついた要塞のようなマンションであった。
噂によると資産家が己の住環境を追求したら大掛かりになったという結果らしいのだが、そこの上層階に居を構えた母親はどれだけの男達から富を搾り取ったというのか……考えるだに恐ろしい。
こうやって思い起こせば、母が亡くなってからそう日も立っていなかった事にふと気づく。そんな時は何となくそんな気持ちを察した様な百合絵が、気遣わしげにこちらを見ていて寂しさを軽減させてくれて――
半ばそんな思いに浸り込んでいた所に女神の声。
“【それ】・で・実行・する・が・良い・か?
・・では・実行・する・場所・を・指定・せよ
・なお・訂正・及び・変更・は・可能・である”
取り敢えず、水辺からやや離れた場所にあった岩場辺りを指定してみた。
木や水が土台になりそうな場所よりは安定性が良いだろうという判断と、正直どういった感じで顕現するのかという好奇心が決定打だった。
「そんなに高い山じゃないけど、てっぺんの方でツリーハウスみたいになったら怖いね」
「それは考えてなかった」
結果は、心配したように不安定では無くむしろ岩場にガッチリと組み込まれていた。いわゆる洞窟ハウスと呼べる物であろうか。
いっそ風格があると言わんばかりに風景に溶け込んでいる匠の御技であった。
なお余談ではあるが、ふとよぎった住人もいない多くの部屋の管理維持の問題についても、神の御技で空気を読んでくれたのであろうか。
複写された住居部分は、完全な私室として使っていた3LDKと母親が仕事や私的パーティに使っていたもう1部屋のみであった。
付属と認可された広大な公共部分に、それはちんまりと乗っているのである。
さて何時までもこんな所で突っ立ってるわけにもいかず、思い切ってエントランスに突入する。
まずは蘭。百合絵もすぐ後に続く。
するとそこには記憶通りの広々とした空間が、家具の一つも欠けないままに存在していたのであった。
ロの字に積まれた住居の中心にある巨大な天窓から、岩に塞がれることの無かった日没の光が眩しく、そこに置かれた緑を照らしているのも彼女達の日常の中のありふれた1つの風景そのままだ。
ただ人気は一切ない。
「わ〜、さすが女神様。いい仕事してますね〜、って?」
もう眠いらしくグズり出した赤子をあやしながらも、何と言っていいか悩みながらコメントする百合絵の肩に、ポンと手が置かれた。
「決めた」
「ん?」
「もう今日は、部屋帰って寝よう」
上にも下にも選ぶ階が1つという事を除けば、これも何の変わりも無いエレベーターに乗って上へ。
廊下は短くなって部屋まではほぼ直通になっており、その違いに少しばかり緊張させられたが、扉は指紋照合の機能もあり鍵は無くとも当たり前に開いた。
ちらっと覗いたもう一つの扉は、下の階にあった別部屋がどうやら移動して来た物らしい。
表札はどちらも一見同じデザインの物だが、よく見ると例のアーモンドチョコレートもどきと似た質感のメタリックで出来ていた。
つい「天照院」と記された文字に触れると、ここでも女神の声が流れた。
“部屋・の・設定・を・変える・か?
・・拡大・縮小・間取り・の・変更
・また・建物・内・の・配置・移動――”
つい表札から指を浮かせると声がやんだので、もう一度改めて突いてみると、繰り返し同じメッセージが流れてきた。
「今は、まあ現状維持で?」
妙に気疲れして確認したら百合絵も疲れた笑いで頷いたのでそのまま流し、やっと今の我が家(仮)へと帰宅を果たしたのだった。
「何時も決まった時間にしか眠れない蘭が眠いって、相当疲れてるんじゃないかな?
だから今日はもう寝るといいと思うよ」
「あー……そうかもしれない」
まだやらなければならない事が山盛りなのにいいのかな?と抵抗を感じないでも無かったのだが「私はお昼寝もできるから、まだまだがんばれる」と寝室に追いやられ、ここは女神の加護の中と思い切って寝床についた。
遠くの方で“まあ、引きこもるにはいい立地であるな”と声がして、次に気がついたらスッキリ目覚めの朝だった。
「これで……いいの、か?」
朝食後、リビングに移って赤子をあやしながら、まずはどこから手を付けるべきか考えてみる。
いくつかの事が思い浮かぶが、どうも今ひとつやる気が出ない。
昨日は、明日をもしれぬという心境から気を張っていたのがミエミエであったろうと今では分かるので、それを見せた百合絵に対して少し気恥ずかしくもある。
「お前は本当におとなしいなぁ。これが神子のチカラなのかー」
脇を持って軽く揺すると、赤子はきゃっきゃと笑う。
「ホントにこの子ってば良い子なんだよー」
片付けを済ませたらしい百合絵が、蘭の座るソファーの背越しに手を伸ばして赤子の頬をくすぐると、ぱたぱたと手足を動かしますますご機嫌になった。
「キッチンでベビーベッドに寝かせてる時、目が覚めてもオモチャで遊んでくれてるし――そういえばお乳もオムツも決まった時間に呼ばれる様な……?」
目があった蘭と百合絵の間に一瞬の沈黙が落ちたが、神子だからそんな事もあるんだろうとあっさりと目で会話して納得した。
おそらく、女神は彼女達のそんな所も見込んで赤子を託したのであろうと思われる。
「それはそうと、考えはまとまったのかな?」
ふと、ソファーの背に乗り上げるようにして百合絵が顔をのぞき込んできたので、自分が何時の間にか俯いていたらしい事に蘭は気付いた。
「う〜ん、何か緊張感が切れた? みたいな?」
「約束してもらってた衣食住が思った以上の物だったから、気が抜けちゃったんだよ。きっと」
言われてみればそうかもしれない。
母親が亡くなってからの地球での環境が、思わしくない方向に転がりはじめていた所からの今回の件。
蘭が未成年ゆえに連絡を受けた母親の実家が、彼女に巫女としての素質を見出した事で売女の娘呼ばわりから一転。引き取って由緒ある当社で飼い殺しにすると宣言してきたのだ。
母親は成功した実業家ではあるが、いわゆる水商売の女であった事も蘭には不利に働いた。
そういう勝手な言い分に抵抗はしても、ほぼ監禁に近い扱いを受けて腐っていた所に語りかけてきたのが件の女神だったのだ。
腐っても神域。これこそが神社としての所以というのも皮肉な話である。
しかし女神と蘭のどちらにとっても、願ってもないチャンスの到来。
互いに腹を割った話し合いの末、こちらも家庭に問題のある百合絵を伴って女神の神域に向かうことになり――
「女神様の所では、イロイロ積み込みされてそれなりにハードだったし。
それでこの世界にものすごく構えちゃったんだよね。
特に蘭は私も赤ちゃんもすっっごく非力だから、プレッシャーとかスゴかったでしょ?」
「……だからってここで、油断しちゃいかんでしょうよ」
「だ〜いじょ〜ぶ!」
内心が表れたのか、赤子を胸に抱き込みながら無意識に膝を抱えていた蘭の背中を、百合絵は思い切り抱きしめた。
「女神様は楽に暮らせるようにって、余分に鍛えてくれたんだもん。
ワケあって神域じゃないと地上に関われないから、今のうちにって言ってた。
前の神子守りの事も気にしていたから、私達に持たせてくれた物は他の人には自由にできない様にもしてあるって」
ここまできてやっと脱力ではなく、肩から力が抜けた。言われてみれば、それらしき事は蘭だって耳にしていたのだ。
ただ最近の不幸続きで、何でも悪い方へ予想する癖がついていたのだろう。
本来の彼女は決してこの様に鬱々としたタイプでは無い。
「だから今日は見回りじゃなくて、探検しない?
下のホールもどうなってるか気になるし、ね!」
どうやら上向きになった気を盛り立たせる様に、抱きしめた腕で柔らかく揺らしてくる百合絵の存在が嬉しい。一緒に揺らされた赤子も楽しげな声を上げている。
今、自分は思っていたよりもずっと幸せだと、ようやく気付いた思いだった。
「でもその前に――いいかげんこの子に名前、付けてあげようね!」
念のためこの人達におねしょたは無いです