7話 狭いと有名な額が濡れる
言葉の出ないナオトを、白赤猫の姿をしたシオンが不思議そうに見ている。
「あぁ……。コノ姿のコトか。そうか、言ってオラんかっタナ。実はコチラにおる時は、お前の世界で言うトコロの猫という種族の姿をしてイルようナノだ。ワタシは初めて日本へ行った時、自分にソックリの猫を見た。その時、本当に驚いたノダ。思わず話しカケようとしたがマッタク話が通じナカった。少しショックであっタゾ」
——こんな時に、そんなおもしろエピソードを話している場合か?
ナオトはそんなことを思いながら、口がアワアワと動くだけで、驚きのあまり声がでなくなっていた。腰が抜けたのか、へなへなとその場にしゃがみ込んでしまった。
ふと、彼女の前で誰かが『猫踏んじゃった』を演奏した瞬間の記憶がよみがえった。
彼女が本気で怒った理由がようやくわかった。
——そりゃ、怒るよ。自分が猫なんだから。
でも、こんな状況で謎が解明されても、ちっとも喜べないと、ナオトは思った。
「まあ、この姿にはナレテくれとしかイイようが無いが、人と猫の大きな違いはシッポぐらいでアロう? 間違ってシッポを掴んだりシナければ、さして問題ナイだろう」
——いやいやいや……問題ないって言い切られても……。
白赤猫のシオンは、ふと背後にいる銀色猫アヲの存在に気が付いた。
とたんに、目を大きく開き、大きな三角耳を伏せる。
真っ白なシッポも倍以上に膨らむ。
まるで何かを警戒しているみたいに。
「と、トリあえず、今回の件にカンして、も、申し訳なかった。モウ少し名前を言う練習してからクルべきだったな。ソ、ソノことにツイて、ま、ま、まずアヤマッテおきたい」
ナオトは、ブンブンと首を横に振った。
そもそも、名前を間違えた自分が悪いのだ。なのに……。
——こんなに彼女が動揺してるなんて変だ……。
——いくら日本語がおかしくても、こんなに焦って話す彼女は初めてだし。
——普段の彼女ではありえない。
「い、い、イチド日本へ帰ろう、ナオトよ。い、い、今スグに!」
白赤猫のシオンは、ピンクの肉球が愛らしい前足を使って、器用にキューブをこっそりナオトに手渡した。
大きな丸い瞳が、尋常じゃないくらい泳いでいる。
小声で耳元にささやく。
「(じ、自宅にいるカゾクを、お、お、思いウカベれば帰れるハズだ。サア、は、早く)」
その時、キューブがスッと消えた。
「どういうことだ、これは?」
先ほどから様子をうかがっていた銀色猫アヲが、キューブを前足で、これまた器用に横取りをした。
「お前が、この他国人を呼び寄せたのか?」
シオンは、わかりやすいぐらいに、あからさまに目を背け、挙動不審になった。
狭いと有名な額には、冷や汗とおぼしき液体がじんわり浮かび、湿っぽくなり毛を濡らしている。
猫の置物かというぐらい直立不動で前足をしっかりとそろえ、体を守るかのように白くて長いシッポを体に巻き付けて、できることならこのまま地面に埋まってしまいたいと言わんばかりに、省スペース形態と化して座っている。
質問に答える気がまったくなさそうな白赤猫シオンを見て、銀色猫アヲは仕方なく、ナオトに話しかけた。
「先ほど言っていたシオンというのは、王女シオンのことだったのだな?」
「え? 王女?」
「彼女は、我が国の王女、シオン・キアロ・ノイ・ルフト・チヒ・メマリ・ヌワ・エニヨ・ソモ・コレナ・ウテラ・ヘユ・ヤハク・ツヲミ・タホ・ケヒチ・ネセ・ムスカなるぞ」
——よく何も見ずに、間違わずに言えるな。
ナオトは純粋に感心した。
「このキューブを使って他国へ行き来できるのは王族のみ。まさかとは思っていたが……」
重い空気に絶えかねた白赤猫シオンは、あわてて銀色猫アヲに駆け寄る。
「お願いだっ! 父上には言わナイデくれ!」
潤んだ瞳で見上げるようにしながら、両前足を『手と手のシワを合わせて幸せ〜』と言わんばかりに、器用に体の前で小さな肉球を揃えて、決死のお願いを試みる。レッサーパンダも驚くほどの完璧な二本足打法だ。
こんな場面じゃなければ、山ほど写メをとりまくり、死ぬほど抱きしめたいぐらいだ。
それぐらい、破滅的にキュートな仕草だった。
「そうはいかん。いくら王女とはいえ、禁を破ることはあってはならんのだ。この世界のバランスを崩しかねない重罪とあっては、今すぐ、王に報告せねばなるまい」
人間にとっての悩殺ポーズも、同じ猫には、まったく効果はなかったようだ。
無情にも銀色猫アヲは、白赤猫シオンの前足を掴み、連行するように歩き出す。
「ナオトよ。お前にも証言をしてもらう必要がある。一緒に来てもらおうか」
大変なことになったとナオトは思った。
その時ふと、また聞き覚えのある声が聞こえたような気がした。
〈もうすこしだ、ナオト〉
〈この世界へ来たことを後悔する時は近い〉