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コトノハ猫の空曜日  作者: トロ
3/27

3話 噛みました

 彼女が説明をしながらナオトを引っ張って廊下を歩く。


「いきなりワタシの国へ行くのは、体に負荷がカカル恐れがある。とりあえず、十センチ程度の移動をタメシテみよう」

「十センチ移動って……どういうこと?」


「なーに、目の前にいるワタシに向かって少し移動するダケだ。心配シナクテいいぞ。ジツニ簡単なことだ。ドンクサイ奴でもデキる初歩中の初歩レベルだ。大丈夫ダ」

「心配もするし、簡単とは思えないし、大丈夫と言われても……」


 ——もしこれができなかった場合、ボクは、きんぐおぶドングサイになるのか?


 そんなことを考えながら、ナオトは囚われた宇宙人グレイのように、エレベーターの前に連れてこられた。


 だが、あの狭い箱に近づくだけで、ナオトはいつも緊張する。


 もちろん、生後数ヶ月に遭遇した事故というのが、エレベーターの落下事故だったからだ。一緒に乗っていた父親と飼い猫が死亡し、ナオトだけがベビーカーがクッションとなり、奇跡的に助かったという過去の悲惨な事故だった。


 とはいえ、本人は赤ん坊だったので、恐怖の記憶自体はほとんどない。だが、大きくなって施設の学園長から聞いた情報のせいで、必要以上に怖くなってしまった……というのが本音だった。


 まだ中に入ってもいないのに、エレベーターに対する拒否反応が発動し、極度の緊張状態に陥り、手の平はすでに汗まみれだった。


 普段なら絶対にエレベータになんか乗らなかった。どんな場所でも非常階段でさえ探し出して、一歩一歩自分の足で移動しただろう。


「あのさ……その……絶対にエレベータじゃないと……ダメなの?」

 懇願するように彼女を見た。


 実は、エレベーターが本気で怖いということは、周りの誰にも言っていなかった。

 彼女にさえも。


 なぜなら、ナオト自身の過去を、例えば事故の被害者で天涯孤独で……と、いろいろ余計なことまで説明する羽目になるからだ。


 そんなことを一度でも口にしたら、相手は永遠に『同情』というフィルターを通してしか見てくれないとわかっていた。


 だから、学校では一切自分の過去は話していない。

 仲良くなった彼女にすら話していないのは、仲良くなったからこそ、よけいに同情されるのがいやだったからだ。


 とりあえず、今まではなんとかバレずにすんでいる。

 学校側から『生徒は使うな』という通達が出ているので、学校内でエレベータを使わないのは、さして不自然ではなかったからだ。


「もちロンだ。エレベータが一番無難ナノだ。サッキの話を聞いていなカッタのか?」

 ナオトは首を横に振る。


「ワカッテいるなら問題ナイ」


 ちょうど良いタイミングでエレベーターが十三階に到着し、ドアが開いた。

 彼女はためらうことなく中に入る。


 それを見ながらその場に立ちつくしていたナオトは、自分の足が少し震えていることに気づいていた。


「どうシタ?」

 小さく首を傾げて待っている彼女は、いつも以上に愛らしく見えた。


 ——最後なんだ。

 強く握りしめた両手で、震える足を叩いた。


 ——もう会えなくなるんだ。

 ゆっくりと深呼吸をした。


 ——騙されたっていいじゃないか。足が震えてダサくても別にいいじゃないか。

 ——やらなくて一生後悔するよりずっとマシだ。


 ナオトは意を決して、エレベータの中へ足を踏み入れた。

 彼女が一階のボタンを押すと、ドアが静かに閉じ、下へ降り始めた。 


「まず、キューブを握ッテ」

 ナオトは言われた通りにする。


「目をツブってワタシの姿をイメージしろ」

 すぐ側にいる人間を、頭の中で思い描くというのが、少し変な感じだとナオトは思ったが、言われた通りにした。


「さあ、ワタシの名を呼べ!」


 ——今まで、一度だって、まともにフルネームを呼んだことなんかないのに、なんでこんな状況で呼ぶはめになるんだ?

 ——つーか、あんな長い名前を他人が覚えていると思っているあたりが、いかにも彼女らしいというか……。


「そんなこと言われても、フルネームなんか覚えてないよ」

「では、コレを読めば良い」


 彼女は生徒手帳を手渡してきた。

 表紙の名前を書く部分には収まりきらなかったフルネームがギリギリまで記され、裏にも続きのミドルネームがずらりと書き連ねてある。


 ——はたして、間違わずに読めるだろうか。

 ——滑舌には自信がない。

 ——というか、すでに目をつぶってイメージしろといっていた注意事項と矛盾するけど、それはどうなんだ?


「早く! 下にツイテしまうではないか!」

 エレベーターは、もう既に半分以上下降している。


 ——確かに、時間がない。


「わかったから、せかさないでよ!」


 この大事な場面で万が一間違えでもしたら、確実にグーのパンチを食らわしかねない勢いで彼女が睨んでいる。

 実は彼女は一度、街で絡まれた時、チンピラを一撃で気絶させ病院送りにした過去がある。

 もし、それを今受けたらと思うと……。


 ——助けて下さい滑舌の神様! ボクはまだ死にたくはありません。今だけは、噛まないようにお願いします!

 そんなことを思いながら、ナオトは叫んだ。


「シ……シオン・キアロ・ノイ・ルフト・チヒ・メマリ・ヌワ・エニヨ・ソモ・コレナ・ウテラ・ヘユ・ヤハク・ツヲミ・タホ・ケヒチ・ネセ・ムスカ!」


 ——よりによって、最初の部分で噛んでしまった!

 ——だが、きっと、ばれてないはず、大丈夫だ。


 ナオトは必死に自分に言い聞かせながら、無理矢理最後まで言い切った。

 その瞬間、エレベーターが激しく振動し始めた。


「様子が変ダ。イツもと違う」

 彼女が険しい表情で、周りを警戒している。


「モシかして……最初の部分をシシオンと言わナカったか?」

 ナオトは恐る恐るうなずく。


「ワタシのファーストネームはシオンだ! シシオンじゃナイ!」

 彼女がものすごい剣幕で、ナオトの握りしめている手を掴んだ。


「早くキューブを捨てルンだ!」

 慌てて手を開いた。


 だか、そこにはキューブは無かった。


「だメダ! 送信合図が受けトラレタ後だ! もう遅い! これではドコヘ飛ぶかワカラないぞ!」

「ちょっ、そんな無責任なっ! うわ……っ!」


 それが留学生シオン・(長いので省略)と交わした、最後の言葉だった。


 彼女の鉄拳のかわりに、真っ黒い闇に殴られたような衝撃を受けた。

 そのすぐ後に、体がどんどん細長く伸びる感触に包まれた。

 やがて、体があり得ない方向へねじれているような恐怖に襲われた。


 ——ああ、そういえば、帰る方法を聞いてなかった。

 そう思った時には、既に遅かった。


 ——また門限に遅れたら、今度こそ晩ご飯抜きだな、確実に。

 ——今日はボクが大好きなハンバーグの日なのに……。


 こんな状況でも、どうでもいいことは絶えず頭に浮かぶ。

 人間とは不思議なモノだ。


 薄れ行く記憶の中で、ナオトは聞き覚えのある声を耳にした。


〈待っていたぞ、ナオトよ〉

〈オマエがこちらへ来れば、オレ様は、自由になれる〉

〈長く果てしない無の時間が、ようやく終わりを告げるのだ〉






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