神の誕生日
ヨーコはテレサの手を握って夢の飛行船だった車を見詰めた。町の手前の道路から少し入った茂みの中。車を手に入れて荷物を取りに戻ってくるまで無事であればいいがと願う。
穴だらけの車で旅をすれば公安が五月蝿い。何より車種がアロンゾにバレてしまった。3年ほども世話になったドゥランゴの工作部隊。元軍人が多い荒くれ集団の長だったがこれで完全に敵となってしまった。
自分を気に入ってるドン・セルバンテスに掛け合えば不問にできるかも知れないが、保証の無い掛けはできない。訴追されるか、放免になったとしても個人的な恨みでどさくさまぎれに暗殺されるだろう。帰る所は無くなったが後悔は無い。ヨーコはこちらを見上げるテレサを見下ろして微笑んだ。微笑み返したテレサの顔に、今まではいつ死んでもまあいいかとさえ思っていたヨーコは急に命が惜しくなっていた。
ヨーコ、大丈夫よ、すぐに迎えが来るからね
誰…
飴が一つ残ってたわ、ほら開けてあげる
あなたは誰…
ほら、口を拭いてあげるからこっちを向きなさい
私の記憶の中にあるあなたは一体…
ヨーコ!ヨーコ!
大きな音がする、耳が痛い
勘弁してくれ
くたばれ屑野郎
ホンジュラス訛り、満足げににやける男、軍人さん
こちらです、アレハンドロ大佐
大きな黒い靴、パパ…
君の名前を教えてくれるかい
ヨーコ
よろしい
歌が流れてる、向こうで寝転がったあの人が見ている、あの人は誰…
「ママ」
ヨーコは汗びっしょりで目を醒ました。ベッドの上ですでに起きてぺたりと座っていたテレサが心配そうに顔をのぞきこんでいる。
「ママ、泣いてる」
子供の頃よく見た夢を久しぶりに見て、少し動揺したヨーコだが涙を拭って笑顔を作った。夢は内容とは関係の無い正体不明の悲しさに満ちていた。
「大丈夫よ、ほら、おいで」
納得していないような顔のテレサは渋々ヨーコに身を預けた。ヨーコはテレサを抱きしめて頭に口を埋めた。
「大丈夫、何も心配いらない」
そう言いながらもヨーコは夢に登場した人々の顔が頭から離れなかった。
二人はメキシコシティの高級ホテルにいた。この旅の最初、前回のような遠征の仕事の時に、テレサを預かってくれる可能性のある人を頼ろうと考えていた。
しかしヨーコは迷った。ヨーコの素性はある程度知られていて、組織の手がそちらにも回っている可能性があったからだ。ヨーコはホテルに滞在しながら身の振り方について考えた。
メキシコシティはクリスマスムード一色だった。昨夜到着した時は様々なイルミネーションが町を彩り、それを見たテレサが大興奮した。クリスマスの間はここに滞在するのもいいかもしれない。町にはマリアとホセに扮装した人が歩き、民家の玄関先ではピニャータと呼ばれるクス玉を割るイベントがあちこちで見られた。がっつりと食いついたテレサの為にヨーコは今日、ピニャータを製作する事にした。作ってもらった事はあっても作った事が
なかったヨーコはかすかな記憶を頼りに買い物にでかけた。町は少し天気が悪かった。雨季に入るのが妙に遅い年だったが乾期に入っても時々雨が降る。
ヨーコはテレサが不意の雨で濡れないようにピンクのポンチョ型レインコートを買った。畳めば手の平に収まるので不意の雨にも万全だ。テレサの大事なポシェットに突っ込んでおく。ヨーコはテレサの好きそうなお菓子を大量に買い込むと、小麦粉とそれをこねるボール、色紙、風船、それと街頭で新聞を3つ
買ってホテルに戻った。風船に小麦粉を解いたのりをつけて新聞紙をぺたぺたと貼り付けていく。目をキラキラさせて見ているテレサにヨーコの心は満たされていく。
早く完成させて遊ばせてあげたいとはやる気持ちとは裏腹に、作業は試行錯誤の連続だった。格闘すること3時間。ついに瓶状のピニャータが完成した。突起と丸い耳をつけてミッキーを表現したかったのだがヨーコのセンスは絶望的だった。タスマニアデビルのようなその何かに苦笑いしながらお菓子を入れる。それでも
テレサの顔は期待に満ちていた。紐を買うのを忘れた事に気づいたヨーコは軍用のパラコードで代用した。天上のファンからぶら下げてテレサに目隠しをし、新聞を硬く丸めて鍔をつけた剣を装備すれば準備オーケーだ。
「さあゆけ、ジェダイよ」
最初のうち、一発叩くとピニャータが踊って次がなかなか当たらなかったのだがすぐにタイミングを覚えてきて、なかなかの集弾率になってきた。テレサにはセンスがあると思うのは親バカなのだろうか等と考えながら、人並みの幸せににやけた。しかしピニャータは頑丈だった。こんなに叩かないと落ちなかったっけとヨーコは首を捻った。
明らかに設計ミスだった。紐を通した部分が頑丈すぎて、まるで破れる気配がない。ヨーコはこっそり前に回ってピニャータを叩き落とす作戦に出た。
するとテレサが振る剣がバシバシ当たる上に踊ったピニャータが顔にぶつかってくる。妙に痛い新聞紙の剣とピニャータのアタックに口を押さえて笑いを堪えながら。
ヨーコはスパイクをかました。ピニャータを叩き落したヨーコは忍び足でひょいひょいとテレサの後ろに回って声をあげた。
「やったー」
目隠しを下げて床を見たテレサは、中からお菓子がこぼれ落ちているのを見てヨーコを見上げた。キラキラと太陽のように笑うテレサの顔にイベントが成功した事を知る。
「イェー」
ヨーコが手を出すとテレサがペチンと手を合わせた。
組織の目を逃れた二人はメキシコシティで遊びまくった。ショッピング、動物園、遊園地、新しく買ったバンは1995年製と古かったが登録証があり、その所有者がファン・アントニオ・ベルナンデスだった事が買う決め手となった。ケレタロの町で潜伏している時に新聞の個人売買欄に載っていた名前にヨーコは小躍りした。
持ち主にどこが新車同様だと因縁をつけながらも値切る事はせず、逆に大目に払うから1年間は抹消しないでくれと頼み込んだのだ。田舎でも風景に溶け込み偽造パスポートと組み合わせれば検問は怖くない。テレサとここで年明けまで過ごしてユカタンにでも行こうと考えていた。
ヨーコは思い出していた。たった一度の家族とのバカンス。その思い出も偽者だと気づいた時には悲しいものでしかなかった。