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人並みの幸せ

「マードレ」

「まだそれはいいよテレサ、変なおじさんが声かけてきた時だけね」

 テレサはトルティーリャのみが好きだった。普通の料理にはあまり手を付けず、トルティーリャをパリっと焼いたチップスばかりを食べていた。助手席で行儀よく座ってもぐもぐと口を動かして、時々、さきほど教えた『マードレ』を口にする。ヨーコは髪をコームで綺麗にまとめ、品のいいジャケットに中途半端な丈のスカートを履いているが足元はスニーカーだ。もちろんテレサにもお嬢様のような服装をさせている。チワワの州都が近づいて来て警察やメキシコ海軍が増えてきた。面倒な事にならないようにいいとこの奥さんを装っているのだ。母を呼ぶのに多少かしこまったマードレという呼称をテレサに教えた。アマガエルのふりをしたドクガエルである。子供を連れているという慣れない状況が、ヨーコを必要以上に警戒させているのだ。町に入ってすぐ

高架の手前で海軍が迂回のサインをしている。素直に右折しながらチラリと高架を見ると男が三人吊るされているのを高所作業者で回収中だった。

 シウダーフアレスよりはマシなものの、ここもカルテル同士の争いが絶えない。かくゆうヨーコもその当事者の1人なのだ。ヨーコはヒットマンというよりは傭兵だった。16歳でメキシコ海軍に入り、1年の訓練を経て特殊部隊で実戦に投入された。任務はギャングの制圧、といっても逮捕を目的としない代理処刑だ。

 ヨーコのセンスは生まれ持ったものがあり、その銃口から発射される悪魔の牙は確実にターゲットを絶命させる。それが今では敵対するカルテルや古巣のメキシコ海軍に向けられているのだ。

 ヨーコはブラジルの偽造パスポートを使って今までよりはちょっとマシなホテルにチェックインした。自国の身分証は信用されない。アンドレア・ベルナンデスとテレサ・ベルナンデス。テレサの分は用意する暇などなかったが、ちょっと今見当たらないといえば連れの子供はうるさく言われない。

「どうぞ、ドニャ・ベルナンデス」

 フロントの男が鍵を差し出した。

「ありがとう」 

「マードレ」

「ん?なあに?」

 ヨーコは身を屈めて顔を寄せたが、テレサはお母さんと口にしてヨーコをじっと見ているだけでその後は何も言わない。フロントの男が変なおじさん

に映ったようだ。ヨーコは満面の笑みでテレサを撫でた。

「おりこうね」

 食事はホテルで取ってもよかったのだがあえて外に出た。テレサの好きなもの探しの旅だ。子供用椅子もあるちゃんとしたレストランを選ぶ事にする。

 メニューを片っ端から頼んでテーブル一杯に並べてもらった。するとテレサは最初のレストランで出されたものを普通に食べ始めた。ヨーコは安心してにこにこと見ていたがよく見ていると口をつけてそのまま残すものとぱくぱくと食べるものがはっきりと分かれていた。ヨーコは試しにテレサがよく食べるものと食べないものを味わって比べてみた。結果は明白だった。辛いものがダメなのだ。ヨーコは眉間を摘んで頭を振った。ヨーコ自身も

小さい頃は辛いものが苦手だった。そんな事も忘れてしまっていたのだ。だからタコスは食べなくてトルティーリャは食べるのだ。これからはチリ抜きのものを頼む事にする。

「ごめんねテレサ、ママ失格だね」

 テレサは席をストンと降りるとヨーコの膝に顔を埋めた。そうしたテレサの1挙手1投足がヨーコの胸を軽く締め付けるのだった。


 テレサはヨーコの言葉ではなく表情や声色で意図を判断しているふしがあった。ヨーコがイラついていると心配そうに見詰め、楽しい気分だと柔らかい表情をした。どちらにしろヨーコにとってはテレサが精神安定剤だった。

 テレサは歌が好きだった。歌が得意なヨーコは童謡から流行りの歌までいろいろ歌って聞かせたが、特に気に入ったのはスペイン人歌手の歌うマカレナだった。

 ヨーコが歌に会わせて目を見開いたり怒った顔をしたり、割としっかりした眉毛を上下させ、表情を変えながら歌うと助手席のテレサは声を出して笑った。

 また一つテレサの事がわかった。


「おっと危ない」

 ヨーコは慌ててハンドルを戻した。少しカーブが多い山道。運転しているのは膝の上のテレサだ。運転を始めて30分。だいぶ慣れて来たがS字カーブはまだ無理だ。今度は深いカーブが来てヨーコが手を添えた。

「あぶない」

 急に聞こえた声にヨーコはギクっとしてテレサを見た。テレサが初めて言葉らしい言葉を発したのだ。そういえば運転をテレサに任せてから何度危ないと言っただろうか。ヨーコは胸が熱くなり、思わずテレサを抱きしめた。テレサの手がハンドルから離れた。

「あぶない」


 先ほどは本当に危なかった。思わぬテレサの言葉に、我を忘れて抱きしめてしまったヨーコは気を引き締め直した。テレサを危険に晒さないように。ルート45は山岳地帯を抜けて農地の中を南下する。5時間ほどでゴメスパラジオに着く予定だ。途中立ち寄ったヒメネスでSIMカードを買って携帯端末で連絡ページをチェックするとアロンゾとエルナンドのメッセージが溜まっていた。いずれも女の子をどうしたか、女の子をよこせ、金を払ってもいい。何を必死になっているのかはわからないがヨーコには応じる気がサラサラ無い。仕事が無いなら連絡を取る必要もない。連絡先が割れているSIMカードはしばらく封印だ。

 ヨーコは少しうとうとし始めたテレサの為になんとなくアメージンググレイスを歌って聞かせた。ぼうっと運転しながら歌っていたが、ヨーコの頭の中では次々と血の華が咲いていた。倒れていく男達。こちらを向いていた男の顔は大体覚えている。ヨーコはスナイパーとして変わっていた。一般的なスナイパーが石になるのを心がけるのに対して、ヨーコはリラックスするのだ。普通は息を止め、または吐ききった所で静止してトリガーを引く。しかしヨーコはいつの頃からかアメージンググレイスを歌いながら人を撃った。

 澄んだ声で歌いながら確実にターゲットを仕留める悪魔の所業でヨーコは部隊の中でこう呼ばれた。グラシア・ラ・カサドレス。グレイスの名を冠し、まるで鹿を撃つように人間を撃つ姿を、ハンターを意味するカサドールとなぞらえたのだ。

 歌いきってヨーコはふと助手席を見た。するとテレサが何か複雑な表情でこちらを見ている。おかしな反応だ。すっかり目が覚めたようだし歌が不味かっただろうかとヨーコは少し自信を無くした。


「まだ見つからんのか」

 殺風景な白い土壁の一室、二つ置かれたデスクの片方の電気スタンドだけがついていて、デスクでは若い男がノートパソコンを操作している。

 アロンゾはうろうろと歩きながら口の周りに四角く蓄えた髭が間延びするほど口を空けて怒鳴った。

「そうイラつくな、今特定してる所だ、連絡ページにアクセスがあった」

 インディオの血が濃く、目も口も左右に横広くてガマガエルのようなエルナンドが団子鼻をいじりながらニヤついた。

「セニョール」

 エルナンドの横でノートパソコンを叩いていた男がパソコンをぐるりと回転させてエルナンドに見せた。エルナンドはアロンゾに言った。

「ホセ・マリアノの基地局だ」

「南に向かってるのか、何時間前だ」

「6時間だ」

 アロンゾは太い眉毛を寄せて髭を撫でた。

「ゴメスには誰がいる」

「この手の仕事ができるやつならソロモン」

「あいつはダメだ、仕事が雑すぎてヨーコを怒らせかねない」

「ドゥランゴからだれか向かわせるか?追いつけなきゃメキシコシティあたりで売られちまうかもしれないぜ、心当たりがあるって言ってたからな」

 アロンゾは椅子にドカっと腰掛けて背もたれにどっぷり寄りかかった。

「ふぅー」

 深く溜息をつきながらエルナンドを見詰めた。

 エルナンドは口をへの字に曲げて眉根を上げながら首をかしげた。

 

 ヨーコはいつものようにモーテルでテレサの髪をとかしていたが、ノックの音に手を止めた。ここに自分がいる事は誰も知らない。管理人が今頃用事があるというのも変だ。ヨーコはテレサをベッドに座らせると、ベッドのサイドテーブルの上からベレッタを取ってゆっくりとスライドを引きながらドアに向かった。

「誰?」

「連邦警察です」

「警察が何の用?」

「人を探してまして、子供なんですが」

 ヨーコはギクリとした。緊張が走る。

 姿を確認したいが真新しいドアは何故か覗き穴が無い。壊れたドアを何かで代用したような感じだ。嫌な予感はしたが他に空きが無かった。

「ここにはいないよ、他をあたんな」

「そうですか」

 ヨーコが胸を撫で下ろしてドアを背にした時、かすかに金属音がした。

「ちくしょう!」

 ヨーコは血相を変えると跳ねるようにベッドに走り、テレサを突き飛ばしてベッドの奥に落とした。

 ドアの外から3回発砲音がしてドアに穴が空いた。ベッドを転がるようにして奥に隠れたヨーコがベッド越しにドアを5発撃つ。また外から発砲音。賊は射線から外れた所でドアノブを撃っているようだ。やがて内側のドアノブが少し緩んで傾いた。破壊されたようだがそこで相手の気配が消えた。ヨーコはトランクから大口径のマグナム銃を取り出してスライドを引くと、両手でしっかり構え、照門を覗かずに首をかしげて勘で3発、ドアの横の壁を撃った。薬莢がヨーコの頬をかすめて後ろへ飛んでいく。ガサッと物音が聞こえてそれっきり静寂が訪れた。ヨーコは中腰でスタンスを取り、左足を進めては同じ分だけ右足を進める動作で斜めから玄関に近づいた。

 しかしヨーコは玄関に向かう足を途中で止めた。頭の中にホテルの外観が浮かぶ。寝所は前もってつぶさに調べている。ホテルの玄関の植え込みから左に回り、竜舌蘭の向こうに

小窓が見える。窓を覗くには身を低くして竜舌蘭を迂回し、反対側の壁に張り付く。ヨーコは部屋の中央で銃を構えたまますーっと体を90度回転させ、首をかしげてトリガーを引き絞った。静寂を破る破裂音が響いた。テレサは床にぺたんと座ったまま両耳を押さえている。2発、3発、弾丸が木製の壁を叩く音がして小窓の横に縦一列の穴があく。薬莢の転がる金属音が収まった。今構えているデザートイーグルの弾は残り1発で、予備のマガジンは無い。ヨーコは再びベレッタを手に取ってマガジンを交換し、最初のマガジンをジーンズの尻ポケットに挿した。ヨーコは玄関横の穴の空いた壁に張り付いて、ドアノブを素早く回すと同時に強く引いて再び銃を構えながら様子を伺う。引いた慣性力でドアがすーっと開く。

「う、うう」

 呻き声が聞こえる。

 左足を軸に体を回転するようにステップして外に銃を向ける。玄関横で警官が倒れている。銃を向けたまま周りをきょろきょろと見回しながら、すり足で近寄って近くに落ちている銃を蹴り飛ばした。ポケットから出したジャックナイフで身を屈めて警官の顎のラインに沿ってさっと切り裂いた。喉元から牛乳をグラスに注ぐような音が聞こえてくる。

「ちくしょう、ほんとに警官でやんの」

 相手が警官である以上、間違っても生き残ってもらっては困る。

 バターを塗るように制服の胸でぺたぺたとナイフを拭いてポケットに仕舞うとペンライトを取り出し、銃を構え、左手で銃床にペンライトを添える形で建物の左手に回る。

 竜舌蘭の向こう、窓の下に倒れた制服の上半身が見える。ライトで顔を照らすと、木の根が張ったような血痕の間から、空ろな男の目が見える。

 ふうと息を吐きながら屈めた体を起こしたヨーコはつぶやいた。

「あんな色物のガラクタでも役に立つ事もあるもんだね」

 ヨーコは銃を空に向けてもう一度溜息をついた。プレゼントだと言ってにこにこしながら箱を差し出すドゥランゴの長、ドン・セルバンテスの顔が思い浮かぶ。

 しかし同時にアロンゾの顔も浮かび、目を座らせてつぶやいた。

「野郎…」


 事件の後早々にモーテルを去って翌日、ヨーコはベンツを売っぱらってトヨタのSUVを買った。荷物の積み替えは大変だったが組織に愛車の車種が割れている以上仕方が無い。

 おそらくモーテルに止まっているベンツを探せと指示があったに違いない。

 ゴトゴトと音のする袋やケース、そして木箱を積み替えるのを斜め目線でチラチラと見ていたカーショップオーナーを尻目に、いい買い物をしたとご機嫌で出発した。

 鼻歌混じりに運転するヨーコを見て昨日購入したチャイルドシートの上のテレサも機嫌がいい。汚職警官の一斉射撃からCIAの工作員を守ったのもトヨタだった。

 さすがに防弾機能は無いが少なくとも故障は無いだろう。

 ヨーコは携帯端末で天気をチェックした。乾期だというのに最近は突然の雨が多い。テレサと二人でどこか風景のいい所でランチをしたかったのだ。せっかく走破性の高い車を手に入れたのだ。どこか草原にでも乗り入れて二人で辛くないランチを食べようと思っていた。ビークルに乗って家族で出かける。望んでも出来ない事はヨーコの憧れだった。かつて愛した男との間には子供は出来なかった。行楽で幸せそうな家族を見ると度々、パンツァーファウストを打ち込んだらどうなるだろうか、などと考えた。

 しかしもうその必要はない。ヨーコはついに家族を手に入れたのだ。しかし今日の天気を見てヨーコは唖然とした。

「なんだこれ」

 昨日の天気予報のグラフィックは太陽を少し雲が隠していた。その通りになったがしかし、今日の天気は真っ赤に焼けた空から火の玉が降り注いでいる。

 大地を炎が覆い、気温は999度。

「舐めてんのか?えーと、今日はマヤ暦の回文の日、大災害で世界は終わるでしょう、ちっ真面目にやれよ」

 ヨーコは別の天気予報を見たが、ここは見事に快晴だった。ヨーコはにっこり笑ってブックマークを変更した。


「おいしい?」

「おいしい」

「おいしい?」

「おいしい」

 また一つワードを喋るようになったテレサに目尻を下げたヨーコが執拗に質問をする。農地と丘陵地帯の間にある草原ではロバが2,3頭いて草を食んでいる。

 ぽつんと生えていた木の近くに車を停めて、木陰に二人で座っている。テレサは女の七つ道具を入れたポシェットを肌身離さずたすき掛けにしている。

 邪魔だろうと外してあげてもすぐにまた掛けるのだ。カチャカチャと鳴る軍用の食器に、普段狙撃の時等に使っている幌生地の無愛想なシート。

 銃座用の土嚢袋に軽く砂を詰めて重しにした。こんな事に慣れていないヨーコは死ぬほど自分を呪った。何故洒落た木製のテーブルと可愛い花柄のクロスを買わなかったのか。

何故アニメキャラクターの入った皿や、尖っていない小さいフォークを買わなかったのか、身悶えする思いで次回からは失敗しない事を誓う。今は苦肉の策としてそこらじゅうにぽつりぽつりと咲いている花を集めてシートの上に敷き詰めた。面倒くさい注文に渋い顔をする屋台のオヤジに一瞬バッグの中の銃を握り締めたが、ここは大人になって多めに金を払って辛くないタコスとアボカドサラダ、ポジョと呼ばれるチキンローストを作らせた。ぱくぱくとランチを食べてグアナバナの実の甘いジュースを飲んでおちついたテレサが敷き詰められている花を手に取った。

 不思議そうに花を見るテレサに花の名等を教えてやれればいいのだがヨーコに花の知識はない。ヨーコは鮮やかなオレンジの花を一つ手に取ってテレサの耳の上に挿した。

「これはテレサの花よ」

「テレサの…花」

 舌っ足らずのテレサに思わず笑みがこぼれる。

「そう、テレサの花」

 テレサが耳の上を気にして手で探っていると花がぽろりと落ちた。その花を手に取ってテレサは不思議そうに見詰める。買い物リストに植物図鑑が追加された。

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