奪還
オヒナガから北西に20㎞。エルラミレニョの国境付近の丘陵地。砂と岩ばかりの寂寥とした丘の上でとっくの昔に放棄された小屋に真新しいアンテナが立っている。すぐ側には黒いバン。
ヨーコは小屋の横まで来ると、クッキーモンスターのようなギリースーツを脱いで汗を拭った。骨組みに板を貼り付けただけの粗末な建物の壁に耳をつける。男二人ほどが話し合う声と時々無線通信が入る。ドアを見ると鍵のようなものはついていない。ヨーコはドアを蹴って一気に踏み込んだ。アメリカ側の窓に向かって椅子に座っていた男が慌てて無線のヘッドセットを取り、奥のベンチに座っていた男が壁に立てかけてあったアサルトライフルに手を伸ばそうとしたが、銃を向けたヨーコを見て動きを止めた。ヨーコは交互に銃を向けながら奥に進んでライフルを
取り上げた。
「膝をついて手を頭に、ほら、そっちも」
渋々従ったライフルの男の体を触りながら窓際の男に睨みを利かせている。ヨーコの身体検査で体を揺らせていた男が言った。
「もう遅いぜ」
ヨーコは作業しながらギラリと男をに目を移すと、銃床を水平に払って男の口を殴った。
呻きながら口を抑えた男の指の間から血が漏れる。そしてもう一人の方に歩いていって身体検査をすると、立ち上がって部屋を見回した。
テーブルの上に皿と牛乳が半分ほど入ったコップがある。皿の上にはタコスがあり、小さな歯型がついている。ヨーコは銃を構えたままタコスを手に取るとがぶりとかぶりついた。
もぐもぐと味わっているヨーコを二人は怪訝な目で見ていたが、口の中の物を飲み込んで口調を整えたヨーコが言った。
「これを用意したのはどっち」
窓際にいた男の方が愛想笑いをしながら言った。
「俺だよ、女の子が腹減ってると思ってさ…」
ヨーコは男が言い終わる前に銃を向けて6発撃ち込んだ。男がころりと転がって血の池が広がる。
不機嫌そうに歩み寄るヨーコに身を引きながらライフルの男が言った。
「お、女の子ならあそこだよ、窓ををみてくれ」
指差す窓の外を見ると、はるか向こうに集団の影が見える。既に国境の向こうだ。
テレサはアロンゾに手を引かれて歩いていた。周りを4人の男がライフルを持って歩いている。
「ママは?」
顔を見上げて背後の太陽に目を細めたテレサにアロンゾはにっこり笑ってなだめる。
「っはっはー心配するな、この向こうで待ってるぞ、ピニャータ作りながらな」
テレサは釈然としない顔をしながらも歩いた。その時アロンゾの胸の無線から声が聞こえた。
「アロンゾ、計画は中止だ、戻れ」
アロンゾは怪訝な顔で無線に手を伸ばしたが途中で手を止めた。そして目を左右に流して考えた後ニヤリとした。無線のスイッチを押して応える。
「そぉーか、ヨーコか、そこにいるんだろ」
無線からの応答は無い。
「残念だったな、一足遅かったようだぜ」
ようやく応答が聞こえて来たが、それはアロンゾに応えた物ではなかった。
「テレサ、お腹空いてない?」
テレサは腹を両手で押さえてうつむいた。
「後でおいしいものたくさん食べようね」
テレサが顔を上げて笑った。
「リボンはある?」
テレサがたすき掛けにしているポシェットのポケットからズルズルとリボンを引き出した。
「落として」
弱く風になびいていたリボンは。テレサの足元からやや流れて落ちた。
怪訝な顔で様子を見守っていたアロンゾは一瞬顔色が変わったがすぐに笑った。
「はっはーヨーコ、無理だ、そこからここまで2㎞近い、いくらお前でも不可能だ」
余裕の笑みを浮かべて返事を待っていると10秒ほどして帰ってきたのはまたもやアロンゾに向けたものではなかった。
「テレサ、すぐに雨が来るわ」
それを聞いたテレサがもぞもぞとポシェットを探ってポンチョを出した。不器用に頭を突っ込んでごそごそして顔がひょこっと出てきた。フードを引っ張って頭に被ると。
手を下ろした。
ヨーコがアメージンググレイスを歌い始めた。無線機は押しっぱなしにしているようだ。アロンゾが笑いながら何か言おうとボタンを押すとピーとエラー音が鳴る。
「ママが泣いてる」
テレサがそう言った瞬間無線から音が割れるほどの轟音が聞こえた。そして半拍置いて耳をつんざく風切り音と同時にサンドバックをバットで叩いたような音がした。
一瞬首を縮めたアロンゾが見たものは護衛の男の胸から上が消え去り、その後ろに立っていた男は左胸と腕が無くなって首がダラリと垂れていた。二人が倒れると同時に体のパーツと血しぶきが降って来た。テレサのポンチョが赤い斑点模様に染まる。
「うそだろ」
血しぶきを顔に浴びながら唖然としたアロンゾの胸元から声がした。
「あら、もう少し右だったかしら」
そう言って無線は切れた。アロンゾは焦った、周りに隠れるものはない。通じるようになった無線を押してヨーコに呼びかける。
「ヨーコ、そうだ二人で山分けにしよう」
「テレサ、花が咲いてるわ」
荒れた土地に所々低い草のコロニーがあってテレサの花が咲いている。テレサはとことこと数歩歩くとしゃがんで花を摘み始めた。
事態が飲み込めない護衛は目を丸めて死体を見ながら呆然としていた。また風切り音がして打撃音と共に護衛のうち、一人の下半身と上半身が分かれて転がった。
「わあああああ」
一人残った護衛は声を上げながらアメリカ方面に走り出した。ソニックブームを放ちながら飛んできた弾が走る男を追い越しながら次々と着弾し、4発目が命中した。
ぱっと赤い華が咲く。振り返ってその様子を見ていたアロンゾがメキシコ側を見て言葉を失った。
「この弾ってどこにでも売ってる物じゃないから50発も手に入れるの苦労したのよ?」
ヨーコはまだまだこの攻撃は続けられると言っているのだ。通常の銃器では攻撃は届かない。アロンゾも長距離ライフルの弾薬が手に入りにくいことは知っている。
弾切れがヨーコの詰みとなるが、少なくともあと40発は撃てると言っているのだ。アロンゾは忌々しそうな顔をするとテレサに駆け寄って抱えた。
「あらあら、あなたが金ズルを盾にするとはね」
「うるせぇ、こうなりゃヤケだ」
アロンゾが銃を取り出してテレサの頭につきつけた。
「今あたしはあなたの足を狙っている、足が無くなればそんな荒地の真ん中でどうすればいいのかしらね」
「撃てるもんか」
「どうかしら、自分の物にならないならいっそ…」
アロンゾはポンチョや自分に飛び散った血でズルズルと滑るテレサの体を左腕で何度も抱え直しながら小屋の方を睨みつけた。
「テレサ、両手を上げて」
テレサがヨーコに従って両手を上げるとアロンゾの手からズルリとポンチョが裏返る形で抜けて地面に転がった。
次の瞬間鋭い風切り音がアロンゾの首を刈り取った。
ヨーコとテレサは依頼人に成りすましてバンに乗った。
「テレサ、ここがどこだかわかる?」
テレサは心配そうな顔でヨーコを見ながら首を振った。
「テレサの祖国、自由の国よ」
「自由…」
「そう、あたし達は自由なのよ」
ヨーコはテレサを抱いて離さなかった。
バンは快調にエルパソを目指す。約4時間の旅だそうだ。後部座席からルームミラーを見ると運転手の額が見える。痩せていてニワトリのような運転手一人しか来なかったのは予想外だったが、かえって安心だった。
プランは大幅に変更になったが問題無い。適当な話をでっちあげて麻薬カルテルから逃げてきたと言えば永住の許可が下りるまでは待機という形で滞在が許される。
不法滞在でもいいのだがそれではテレサに教育を受けさせる事ができない。やる事が山積みだが、大昔に失った使命感が蘇ってきた。車に乗って2時間が経ち、日が少し傾いてきた頃、うとうとしていたヨーコは車が止まった気配に目を醒ました。
「ちょっと待っててくれないか」
小用なのだろう、男は気まずそうな顔で後ろを向いて笑うと車を降りた。しかしヨーコは胸騒ぎを覚えた。ここは何も無い山岳地帯。運転手の行き先を見ていると左手の斜面には向かわず右手の崖を降りていく。変わりにひょっこり現れたのはサブマシンガンを持った軍服の男。後ろを見ると同じような男が歩いて来る。
ヨーコはテレサを床に押し込めると運転席に飛び乗った。前方の崖下からも男が現れて銃を向けた。ドライブに入れてアクセルを床まで踏み込むと、慌てた男達が発砲し始めた。車中から金属音がしてガラスがバラバラと飛び散った。
「くそ、ミーシャの兄妹か」
アロンゾからテレサを無事救い出してドゥランゴの手の届かない所に来た事で生まれた油断をヨーコは呪った。右側のタイヤがパンクしてハンドルを取られるがそのまま強引に走ってカーブを曲がると対向車が来た。ヨーコはフルブレーキで車を流し、道路に立ちふさがった。後部座席に飛び移ってテレサを抱えると車を飛び出し
腕にひっかけたバッグから銃を抜いて止まった対向車の運転手に向けた。
「降りろ!」
慌てた男が車から降りると、ヨーコはテレサを乱暴に助手席に放り込んで自らも乗った。追跡車両がバンを跳ね飛ばして走って来た。ヨーコはギヤをバックに入れるとアクセルを床まで踏み込んだ。白煙を上げてバックする車に追跡車の助手席から顔を出した男が銃撃を加える。ハンドルを切ってスピンしながらギヤをドライブに入れ、前を向いた所で再びアクセルを踏み込んだ。わりとパワーのあるセダンは追跡のワゴン車を少し引き離した。ヨーコはギヤをニュートラルに入れるとテレサを運転席に立たせて
入れ替わりで助手席から後部座席へと移り、リアガラスに5,6発の弾を撃ち込んだ。寝転がるようにして足で3発ほど蹴るとガラスが外れ落ちて追跡車が踏み潰した。
スピードが落ちてきて追跡車が近づいてきた。ヨーコは一発だけ残っていた手榴弾のピンを抜いてレバー開放し、タイミングを計って後ろに放った。ボンネット付近で爆発した手榴弾に車はコントロールを失い、もんどりうって大破した。




