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終章 結局、ただの行き当たりばったり



 夕陰はナターシャと共に帰っていった。


 夕陰はまだ何かをやり足りないようであったが、ナターシャに引っ張られるように連れて行かれてしまった。


「じゃあねマッちゃん!」


 という台詞を最後に残して。どうやら真葛はマッちゃんになったようである。


 マッちゃんって……カを入れて欲しかった……


 真葛としてはマッちゃんでは漠然とし過ぎで、マが付けばどんな人に対しても使用できるという点が無視できなかったようである。ちゃん付けよりもそちらが気になるということは相当疲れていたのであろう。


 まぁ、でも今回はゴン爺のお世話にならなくてよかったわ。


 病院の常連というのは嫌なものである。このままのスパンで通い続けていればそのうち入院を通り越して、天に召されてしまうかもしれないという不安ですら湧き上がってきてしまうから御免被りたいのが本音である。


 もう今日は帰ろうかな……


 腕時計を見てみると、まだ五時を過ぎたあたりであった。都会ではまだまだ序の口といったところか。しかし、朝から密度が濃すぎた。疲労で眠気すら感じ始めてしまっていた。


 う~ん……どうするかな……


 いざ時間を見てしまうと早い気がして、今帰ってしまうと何とはなしにもったいない気がしてしまう。腕組みをして、少し考える。


 う~ん……キツイな。


「よっこらしょ」


 帰るか否かを決断するのは少し時間がかかりそうだったので、真葛はいつもの場所に腰を落ち着けることにした。


 活気づいてきたな。


 真葛は思う。


 都会は昼の顔よりも夜の顔の方が元気のあるように見える。


 昼はどこか気取った感じがして嫌だった。おのぼりさんや会社員、子供を連れた奥様方。その全員が何かを被って、気を張っている気がしてならないのである。


 仮面舞踏会。


 そんな感じであろう。


 それぞれがそれぞれの仮面を被って、そして社交ダンスか何かを気取って踊っている。それはまるで道化者のように。


 気持ちが入っていないのであろうか。


 全ての内面を内に秘め、外面だけ取り繕って歩いている。


 それに比べ、夜はどうであろうか。


 ネオン瞬く繁華街。


 無秩序に見えるその街風景はどこか開放的で、全ての仮面を、全てのカーテンを、全ての舞台装置を吹き飛ばしているように思える。


 人それぞれ内に秘めた欲望を一気に爆発させ、街中を踊り狂うさまは気取った感じなど微塵も感じさせず、ディスコで赴くままに腰を振っているよう

である。


 しかし、人は夜の街を欺瞞に満ちた暗黒街のように言う者もいる。


 酒と泪と男と女。


 そこに織り交ぜてくるのは裏切りや嘘。


 それは全て仮面を被っているではないかと。


 だが、それは違う。


 いや、被っているは被っているだろう。


 しかし、それは外面的に、である。自分に対しては被ってはいない。


 皆、それぞれの欲に対して突き進んでいる。


 それは金。


 それは地位。


 それは名誉。


 それは女。


 それは男。


 それら何かを求めて、息づいている。そう思う。


 しかし、ふと思う。


 自分は果してそうであろうか。


 今、自分の欲に基づいて動いているのであろうか。


 いや、そもそも自分の持つ欲とは一体何なんだろうか。


 そこがわからない。


 Greed……グリード……慾……欲……ヨク……よく……


 徐々に退化していく表現方法に首を傾げながら脳内を攫うように乱暴に引

っかき回す。


 思いついたことを脳内で羅列していく。


 金か? いや、金はそんなにいらない……気がする。


 わざとらしく首を縦に振る。


 地位? 名誉? あれば欲しいが、今のところ、得る確率が低いので欲し

い気が湧かない。


 軽く首を捻る。


 女? 欲しいっす! でも、いないっす! 無理みたいっす!


 天を見遣り、目頭から零れそうになるモノをどうにか食い止める。


 男……は論外ですね、うん。


 真っ直ぐ中空を見つめ、呟く。


 というか何で〈頼まれ屋〉なんてしようと思ったんだっけな?


 ポリポリと頭を掻く。どうやら完全に忘れてしまっているようであった。


 う~ん……何だっけな?


 考え込むように腕組みしながら指で肌を叩く。


「マッちゃん!」


 そこに聞き慣れた声が。というかつい先ほど聞いていた声と呼ばれ方。


 えっ! さっき連れて行かれてましたよね!?


 そこには護衛役であるナターシャと共に帰ったはずの夕陰がいた。


「今さっき帰ったんじゃないの?」


 まだ少し残った夕日の赤に目を眩ませながら真葛は言う。


「そうだけどまた帰ってきました!」


 細めた瞳で見ると、夕陰は満面の笑みを浮かべている。


「さいですか」


 また面倒事にでも巻き込まれそうな空気を感じてしまう真葛はぶっきらぼうにそう応える。それに対して、夕陰は少し不満そうに「あー、せっかく戻ってきたのにそんな態度取るんだぁ~」などと頬を膨らましている。


「せっかく戻ってきて何の用だ?」


 仕方なく聞いてあげることにする。何だか疲れてきているのでもう店仕舞いにすることにした真葛は最後の最後ぐらい夕陰の相手でもすることに決めた。


 もうどうせ会えないだろうし。


 なんてセンチメンタルな感情が出てきたのはたぶん疲労のせいだ。


「う~~んと、ね!」


 真葛が聞くと、夕陰は急にもじもじし始めた。その頬が赤らんでいるのはおそらく夕日のせいだ。それ以外にあるはずがない! 嬉し恥ずかし展開などあるわけがない! 落ち着け、自分!


「その……あのね」


 やめろ! どういう恋愛シュミレーションゲームだ。そんなモノ買った覚えはないぞ! いや、やっぱりお金を払おう! 今からちょいとATM行ってきます!


「ありがとっ」


 ちゅっ、とよくわからない擬音がその瞬間、真葛の耳の中に響き渡った。


「じゃあね!」


 たたたっ、と夕陰は駆け足で去っていく。少し離れたところから夕陰の名を叫びまくるナターシャの声も聞こえてくる。そして、周りでは帰宅の途につく人たちと今から始まる人たちの騒がしい声も響いてくる。しかし、そんな音たちも全て耳に届くだけで通り抜けていく。いま感じているのは頬に残る小さな温もりただ一つ。視界も全て目だけが認識しているのみでただ真っ白にしか映らない。


「え……えっ!? えぇぇえぇえええぇぇえええっ!」


 バッと腰を浮かせ、両手を広げた変な格好で周囲の目も気にせずに真葛は叫ぶ。通り過ぎていく人々は足を止めずに怪訝な表情だけを真葛に向けていく。


 何!? ナニっ!? なんなの!?


 まさかの恋愛シュミレーションゲームだった。何かフラグ立ったみたいだ。


 いや、待てよ。柔らかな感触だったが、もしかしたらく、く、唇じゃなかったかもしれない。こうヒュっと指で頬を撫でられただけかもしれない。いやいや、でも顔が近付いてきたよな。グイッと! グイッと、ね! いやいやいや、でも考えたらそこからの右人差し指のソフトタッチかもしれない。いやいやいやいや……


 一時間近い空白期間を経て、一気に意識が回復した真葛はすぐに脳内会議

を始めた。ただ何の解決にもならないようだが。


 そこからまた色んな葛藤が真葛を襲ったり引いたりしたが、同じような自

問自答のくり返しであった。それを追加で一時間。


「はぁ……」


 そして、どうにか正気に戻った頃には辺りはすっかり夜の街と化していた。


 てか何考えてたんだっけ?


 冷静になった脳でふと思い出すが、夕陰のおかげで吹っ飛んだ。もう脳内

メモリには夕陰にキスされたのか否かの自問自答しか残っていない。


 まぁ、いいか。


 夕陰に言われたありがとうという言葉が過ぎる。


「ふふふっ」


 思わず口元が綻ぶ。


「なに笑ってるんだよ」

「何か気持ち悪いな」

「気持ち悪い」


 そこに『一九十なしコンビ』がやって来た。


「うるせっ! 遅い時間まで遊んでるんじゃないぞ!」


 目の前に並ぶ三人を真葛は怒鳴りつける。


「遊びじゃないよ。塾だったんだよ」


 へっへーん、なんて得意そうな表情を浮かべて一が減らず口を叩く。


「じゃあさっさと帰れ」


 しっしっ、と虫でも払うかのような仕草で追い払う。「何だよ、あれ」

「冷たっ」「冷たい」などと口々に文句を垂れながらも三人は離れていっ

た。


 と、途中で一が立ち止まる。


「あぁ、それとこの前はあんがとねっ!」


 そう言うと、三人は雑踏の中に消えて行った。


 ふん、なんだあいつら。


 と思いながらも満更でもない表情を浮かべる真葛。


「嬉しそうだな」

「嬉しくないですよ」


 ゆらりと暗がりから夙が現れた。「ていうか急に現れないでください」と文句も言う。


「いや、急ではないぞ」

「えっ!?」


 その発言に少し動揺する。


「結構前からいたぞ」


 その言葉にさらに動揺が走る。


「ケッコウマエトハドレクライマエカ、トタズネタイノデスガ」


 ぎこちない日本語が口をついて出る。動揺が隠しきれない!?


「ふふふっ。さぁ、どれくらい前かな」


 そう言うと、夙は判断のつかない笑みを残し、再び闇へと消えた。


「ちょっ、待ってください夙さん!」


 と、足を踏み出した瞬間、ドンと誰かにぶつかりそうになる。


「何よ!」

「あぁあん?」


 ブン、と空気の壁をぶち破る右ストレートが二つ飛んできたので、瞬時に身体を後ろに折り、避ける。


 あ、危ねぇ……


 目の前を横切った殺人パンチは真葛の髪の毛を少し焦がして戻っていった。その先には見知った姉妹が見てはいけないような表情を浮かべている。


「あっ、お前この前の〈頼まれ屋〉じゃねぇか」

「お主はこの前おった小僧か」


 殺人姉妹の後ろには金髪のギャル男と歳のいったご老人。これまた見知った御二人さんだった。「どうもです」と一応挨拶しておく。しかし、そんなことをしている場合ではない。


「いやいや、本当にすいませんでした」


 ミサイルを発射させようとする姉妹に深々と頭を下げる。すると、二人とも「わかったのならいいわ」「今度やったらただじゃおかねぇぞ」と許してもらえた。ほっと胸を撫で下ろした真葛を余所に二人はさっさと行ってしまった。一人は男を引っ張りながら、一人は男を従えながら。


「や、やめてくれ~」

「お待ちくだされ御嬢!」


 また何かあったらよろしくお願いします、と何となく頭を下げておいた。


「何してるのよ」


 頭上から随分偉そうな声が聞こえてきた。


「深雪さんこそどうしたんですか」


 いい情報なんてないですよ、と顔を上げながら言う。「情報、情報って……」何か不満そうな声が聞こえてきた。


「どうしましたか」

「いえ、何でもないわ」


 と言いつつも眉間に皺が寄っているかのように見えた。


 どういうことだ?


 何が何だかわからない真葛は首を傾げるばかりだ。


「何でもないです!」


 ふん、とそっぽを向いてしまった。どうやら機嫌を損ねてしまったようだ。あらまぁ、どういうことだ。全然意味わからん。「どうしていつもいつも……」何か小声でぼそぼそ言っているのがわかるのだが、真葛には何を言っているのかわからない。


「あの……」


 恐る恐る声をかけると「もういいですっ!」と逆ギレされてどっかへ行ってしまった。


 静かに現れて嵐のように去っていった。何とも傍迷惑なものだったが、何か嬉しい。自然とまた顔が綻ぶ。


 夕日の影たちは去り、一瞬の逢魔ヶ時を経て、ネオンライトが街を煌めかせる。


 いつも通りの街の風景がそこには広がる。


「はぁ」


 今日も疲れた。



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