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第三依頼者 成長するのに大事な一事が大事に発展、大惨事


「いたたたたっ……」


 真葛はいつものところに座りながら鼻っ面にベタベタと張り付いている湿布を取っていた。


 やっとだわ……


 あれから一週間近く入院期間も入れて、それぐらい真葛はゴン爺のお世話

となっていた。行くたびに厄病神を見るような視線であったのが、少し心を傷付けられたのだが、ほぼ完治した今としてはどうでもよいことである。


 ホントにあの三人の連携技は素晴らしかったなぁ。あれは言うなれば〈トライ・ストライク〉だな、うんうん。


 変な命名をしながらシュッ、シュッと軽くジャブの練習をする。傍目から見てもうまいとは言えない代物だったが。


 同じ日に三人から依頼を頼まれ、紆余曲折の後に三人から同時に殴られ、病院に運ばれたのは先週のことであった。痛みは入院した二日間でほぼ引いていたのだが、ある部分、美香に殴られた鼻だけが最近までずっと痛かったのでその部分だけ湿布を貼っていた。


 他の二人が男だったのに、女性の美香さんに殴られたところだけ一番、痛みが長引くってどうゆうことだよ……ホントに末恐ろしい……


 今でも彼女の姿を思い出すと、身体が震えてしまう。


 でも、まぁ、怪我をするって言うのは存外、いいものかもしれないな。


 にへらと真葛の表情が嬉しそうに歪み、数日前からのことを思い出す。


 ゴン爺の病院で目を覚ました後、まずそこの看護師である早苗から献身的な看護を真葛は受け、ゴン爺が出張で検診に出掛けたりして、いないときにはいろいろと話をすることもできた。しかし、残念ながらそれ以上のことはできなかったが、結構楽しむことが出来、また二人の距離がさらに近くなったような気がしたので及第点であろう。


 それに加え、見舞いと称して深雪も尊大な態度ではあったが、やってきてくれもした。真葛としては何かまたぼったくられるのではないかと警戒したのだが「ありがとう」と一応の感謝の言葉をかけると、そっぽを向いて「大事な顧客がいなくなったら商売が上がったりだからね」と深雪らしい返答が返ってきた。おそらく顧客と言いながら実際はカモであろうが。顔を背ける一瞬に見えた赤く染まる頬に真葛は首を傾げたが、すぐにその言葉を聞いて、苦笑いを浮かべた。すると、深雪は機嫌を悪くしたのか、「早く治しなさいよ」と言うと、出ていってしまった。廊下から「もうちょっといたかったのに」という言葉が聞こえてきたのだが、残念ながら真葛には聞こえてこなかった。


 また、深雪だけでなく、いろいろと関わり合いのあった人たちもお見舞い

に来てくれたのだが、一番深雪の印象が強過ぎて忘れてしまった。


 と、真葛は何かを思い出したのか、急に眉を顰める。


 ……いや、あの事は忘れよう。


 入院中に出会ったもう一人の悪魔の姿を思い出したが、即刻海馬領域に沈殿するその記憶を抹消することにした。


 そして、やっとのことで街頭に立つことが出来ると、今度は道行く人や周辺で店をやっている人たちから心配する言葉と退院できたことへの言葉などを頂いたが、時折「またかい」や「好きだね」というお言葉も頂けた。その中に夙も含まれていた。


 入院してから久しぶりに街頭に出た初日。


 夙はふらりと知らないうちに隣にやってくると、何も言わずにその場に座ってきた。真葛も相手が何も言わないので、終始互いに無言で座り続けること十時間ほど。合間に昼食や夕食などその場を動いたときも無言でついてきては一緒に食べた。そのときも注文時に声を出しただけで互いに何も言わない。途中からこれは何なんだと思い、声を掛けそうになったが、こちらからかけてしまうと負けな気がしてしまい、結局、無言のまま夜中過ぎになると疲れたので帰ることにした。すると、立ち去ろうとした真葛に夙が一言「大丈夫みたいだな」と言ってきたので、「大丈夫だよ」と真葛が返すと、夙はフッと安心したように笑い、そのまま帰ってしまった。どうやら結構、心配していたようである。なぜ、一日中、終始無言でいたのかはよくわからなかったが。


 結局、俺は意外と恵まれているんだなってことだな。


 パンと両手を叩き、モミモミと両手をこねる。


「ふふふっ……」


 自然と声が漏れてしまった。何をこねているのかは御想像にお任せするし

かないだろう。


 ん?


 突然目の前に三つの影が現れ、視界を奪った。と思うと、影たちがそれぞれ口を開いた。


「何ニヤついてるんですか、マカッさん」

「イヤらしいことでも考えてたんじゃないの?」

「それ正解でしょう。もしかしたら寂しくて妄想で済ませてるんじゃないですか?」


「「「ハハハハハッ」」」


「五月蠅いよ、イクジなしトリオ共が」


 やれやれと言った感じで真葛はパン、パン、パンと目の前に立つ学生服に身を包んだ男子三人の頭を叩いた。


『イクジなしトリオ』


 別に本当に意気地がないというわけではない。真葛が思うに、おそらくやるときにはやる奴らだと思う。では、イクジなしトリオの由来はどこから来ていると言えば、この三人の名字から来ている。


『一九十なしトリオ』


 無理矢理かもしれないが、これが本当の呼称である。この三人組もこの

前、退院した後に心配して見に来てくれた者の一人というか三人である。


「痛いから!」


 何とも基本的な感じでツッコむのが、『一九十なし』の『一』。名は(にのまえ)(はじめ)。パッと見、完全に冗談としか言いようがない名前で芸名かペンネームにしか思えないが、しっかりとした本名である。少し親の悪意を感じずにはいられないが、本人は特に気にはしておらず、逆にネタにしてクラスのみんなから笑いを取っているらしい。


 姿形はボサボサの頭に何の特徴もないパーツたちが普通に揃い、中肉中背のその姿はまず基本的と言われそうな見た目である。はっきり言って『普通人間』である。別称、最初の字が〈蔑〉の方かもしれないが、としてその呼び方もある。しかし、この三人の中ではリーダー格であった。元気があり、前向きで何でも言い、どんなことでも突っ込んでいくという絵に描いたような(?)リーダータイプであった。


「イッテぇ」


 と言いながらも全然痛そうにしていないのが、『一九十なし』の二番目

『九』。名は(いちじく)(はたて)。どうしてこんな名前にしたか、未だに謎だが、おそらく力の限り頑張る子という意味か? 無理があるか。


 この中で身長は真ん中ぐらいで、全体的にスラリとしている。小さな顔には鋭い瞳、その上には眼鏡、また小さな鼻と口が揃っており、そして肩までかかりそうな髪という見た目は何だか弱弱しい感じであるが、何だかそれが守ってあげたくなると女の子たちに人気があるらしい。しかし、実際は三人の中で一番力が強かった。運動も全般的にうまくこなすことが出来るらしく、また校内はもちろんのこと、校外にも果にケンカを売って勝った人はいないらしく、そこらの暴力専門関係の人たちが束になってかかっても勝てないらしい。三人の中では戦い専門である。


「痛いです」


 無表情でそう呟くのが、『一九十なし』の最後の『十』。名は(つなし)茲白(このしろ)。もう意味がわからない名前である。両親が釣り好きなのかあるいはますます白くなって欲しかった(?)のかわからないが、そうならば悲しくなってしまう。


 身長は一番高い。またガタイもよく、ゴツゴツとした顔に埋もれるように小さな瞳や鼻、唇などが点在していた。こんな姿なので果と並ぶとこちらの方が力持ちだと思われがちだが、残念ながら力は平均ラインを彷徨っているという感じらしい。しかし、その代わりと言っては何だが頭脳がよく、勉強は三人の中でも断トツで全国の模試でもトップテンに入るほどであるらしい。だが、いつも無表情で、言葉も何となく機械的な感じで近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。三人の中では参謀役のようである。


 この三人が巷で有名な『一九十なしトリオ』。


 特徴なし(・・)のリーダーに、勝てる気なし(・・)の戦闘屋、表情なし(・・)の頭脳派の三人なので、『一九十なし(・・)トリオ』と呼ばれる所以らしい。何ともうまく言っているようで、どこかぎこちないネーミングセンスであった。


 それよりももう簡単に『三バカラス』の方が合ってる気がするけどね……


 未だにそれぞれわざとらしく悶絶する一、真葛をなめるように睨む果、ただただ無表情に突っ立っている茲白たちのその痛みを訴える姿を見ていると、そう思ってしまう。


 まぁ、意気地無しでも三馬鹿でもどっちもどっちか。


 よくよく考えてみれば意気地なしも人を貶した言葉であることに真葛は気付く。


 アホらし。


「で、今日は何の用だ?」


 年も三、四つほどしか違わないので、真葛としてはこの三人組を弟感覚で見ており、対する三人も真葛のことを使える兄程度の感じで見ているので、いつも学校帰りに暇があればここにやってきてはその日のことや最近の出来事、時折、相談事などを話すのである。溜まり場の一つという認識であろう。しかし、持ち込まれる話のほとんどが面倒事であるが。


「何だよ、そんな嫌そうに言うなよ」


 一は眉間に皺を寄せる。同調するように「冷たい奴だわ」と果、「言うな」と茲白がそれぞれに言う。


「ああ、俺は冷たい奴さ。で、何だ?」


 真葛は軽くあしらう。


 いつもの如く、形骸化したようなこんなやり取りを終えると、真葛は本題に入るように再び促す。


 すると、急に喋り役の一が俯いてしまった。それを見て、果は呆れたように、茲白は少し視線を一からずらし、恥ずかしそうに溜め息をついた。


 何だ、こいつら?


 初めて見せる一の恥ずかしそうなそれにしては真剣な表情。いつもの五月蠅さが嘘のようであった。


 何かこっちの方が恥ずかしくなってくるぞ。


 何となく真葛は一から視線をそらしてしまった。


「あ、あのさ!」


 すると、一が急に顔を上げたので、慌てて真葛も顔をそちらに向ける。


「な、何だ?」


 一の緊張が伝染してしまったようである。言葉がほとんど棒読みになってしまった。


「頼みたいことがあるんだ」


 いつもなら真葛がそんなことをすると、おちょくってくるはずなのだが、今回は珍しくやらないので本気の話のようである。


「あぁ、何だ?」


 ごくりと真葛は咽喉を鳴らす。


 何を頼まれるんだ?


 いつもはおちゃらけている顔も今は眉間に皺をよせ、鼻息も少し荒い。


 ふふふっ……


 笑えてきてしまった。


 我慢しろ、真葛。我慢だ。


 ここで笑ってしまったならば三人のお兄さん役としては失格である。真葛はどうにか口を思いっきり引きしめ、我慢する。


「言い難いんだけど……でも、手伝って欲しいから!」

「ぷぷぷっ……」


 とうとう我慢できずに唇の端からそんな音が漏れてしまった。


「何で笑ってるんだよ!」


 真剣な表情そのままで怒られてしまった。


「ごめん、ごめん。いや、そんな真剣な表情が出来るんだなと感心しちゃって」


 一応、本音である。しかし、一には都合のよい言い訳にしか聞こえなかったようで、頬を膨らませる。


「笑うならいいや!」


 拗ねてしまった。


「ごめん、ごめん。本当にごめん。ちゃんと聞くから」


 手を合わせ、真葛は精一杯謝る。すると、果から「こんな奴でも使わない手はないから言っちまえよ」との援護射撃。


 いや、それ本音言い過ぎだからね、果君。


「あぁ、利用する手はない」


 茲白も同調。


 いや、だから普通に聞こえる音量でそんなこと言わないでくれるかな。結構、傷付くよ、それ。


「まぁ、そうか。使ってやるか」


 何だか上から目線、頂きました!


「もうどうぞ使ってください」


 こうなりゃ、自棄である。その言葉に乗っかってあげましょう、心の広い

この真葛さんが。


「あぁ、使ってやるよ」


 とあまり関係のなさそうな果が言う。


「で、何だい?」


 真葛は一に尋ねる。


「あれな……実は、その……」


 使ってやると言う割に一は内容を言うのを出し渋る。


 出し渋るということはそっち関係かあっち関係かな?


 どっち関係なのかわからないようなことを考えながら一が話すのを待つ。


 ここは先を促すより待つことの方が大事だよな。俺って大人だな。


 と途中、自画自賛。とやって口を開く決心がついたらしく、一は一つ深呼

吸をすると、話し始めた。


「うちの高校に塋名(はかな)淡雪(あわゆき)っていう同じクラスの奴がいる

んだけどさ」


 どこの事務所に所属している演歌歌手の方ですか? と、思わず聞きたくなるような名前であった。


 儚い淡雪って、もう完全にそろそろ旅立ちますよって感じじゃないの。どっかの海峡、冬景色にしちゃうんですか?


 最近のネーミングセンスに嘆き悲しみながら黙って話の続きを聞くことにする。


「そいつが何かこの前、学校に来る途中に大事なモン入れた封筒を落とした

っていうのをさ、ちょっと小耳に挟んだというか、ふわりと風に乗って俺の耳まで届いたというか、知らないうちに聞こえていたというか……」


 それを盗み聞きと言うんだよ、一。


「いや、聞こうと思って聞いたわけじゃないんだよ。うん、聞こえちゃったんだよね。ほら、俺って耳が良いじゃん!」


 自らの耳を指さして言うその必死さがなぜか悲しい。


「わかった、わかったから……それで?」


 勝手にヒート・アップする一を宥め、真葛は話の続きを促す。


「あ、あぁ、わ、わかればいいんだよ。だからさ、それを一緒に探して欲しいんだよね」


 あたふたとする一を見て、真葛はニヤッと笑う。


「淡雪さんって女の子でしょ?」


 聞かなくてもわかっていたのだが、心の中に存在する真葛悪魔バージョンが久々に目を覚ました。どんな反応するか、単純な好奇心であった。


「……」


 耳の先まで真っ赤にして無言。


 うん、これ本気だな。


 それを見て、真葛は上段にして笑いでも取ろうかなと思っていた自分を恥ずかしく思いながらこちらも本気で行かなければならないな、という気持ちになった。


「よしっ! じゃあ行くか」


 未だ顔を赤くしている一の肩を叩き、真葛は勢いよく立ち上がった。「ほら、お前らも来いよ」と促すように果と茲白の肩も叩く。


「あぁ、わかったよ」

「了解」


 二人も一の一大事だということで見た目からはやる気は見られないがしっかりと返事をした。


「じゃあ一。その場所とやらに連れて行ってくれよ」

「おぅ、ついてきなよ」


 真葛が協力してくれることに喜んでいるのか、声にいつもの調子が戻っていた。


               ♢


「それにしても一が熱を上げるほど淡雪っていう子は可愛いのかい?」


 真葛は先を歩く一を見ながら小声で隣を歩く果に尋ねる。


 一の恋愛話を聞くのは今日が初めてではなかったが、いつもは冗談みたいに「まぁ、アカンか」と言う感じで終わってしまうのが常だった。しかし、今回は真剣なようなので、その相手がどういった人なのか気になってしまった。


「あぁ、俺から見ても可愛いと思うね」

「そうなのか!?」


 果が認めるぐらいなら相当なものである。容姿がスラリとしていながら運動神経抜群という三拍子の内の二つまで持っているのだから果がモテない訳がない。


 のだが、果は好き嫌いが激しく、この世の女性のほとんどが許容範囲外なのだと言うのでなかなか果のお眼鏡にかかる女性と言った者を今まで一度も聞いたことがなかった。


 この欲張りめ!


 と、そのことを思い出すたびにそう思ってしまうが、逆に果が認めた女性というのは性格の姿形も素晴らしい分類に入ることとなる。したがって果が可愛いと認めた淡雪が可愛くないはずがないのである。


「意外と面食いなんだな、一って」

「いや、面で判断したんじゃなくて性格で好きになったってよ」


 まぁ、顔だけで判断するのは『普通人間はじめ』には似合わない設定だか

らな。


 と変な納得をしてしまった。


「そうなら叶って欲しいな」

「だから真葛さんも頑張ってくださいよ。期待してるんですから」

「ハイハイ」


 何かおかしな感じがしたが、真葛は素直に頷いた。


「おい! 何くっちゃべってるんだよ。早くしろよ!」


 随分先まで行ってしまった一が送れる二人に声をかけてくる。


「まぁ、付き合ってくれてありがとよ」


 と、恥ずかしそうにずいぶん殊勝なことを言うと、果は先に行く二人に追

いつくように走って行ってしまった。


 また慣れないことを言うね。

 ニヤつきながらも親友という言葉に何だか羨ましく思った真葛も急いで三人の後を追った。


               ♢


「ここだよ」


 一が指を指す。


「えっと、ここかい?」

「そうここだよ」

「もう一回聞くけど、本当にここ?」

「あぁ、本当にここだよ。間違いない!」


 自信ありげに頷かれても……


 真葛たちがいる場所は橋の上。そして、一が指し示すところはその下を滔々と流れる川であった。


神棚川(かんだながわ)


 万歳橋(まんせいばし)と書かれた欄干の石柱近くに立てられた看板に『一級河川』という文字と共にそう書いてあった。


 いや、川ですか……これって完全に……


「流れてないか?」


 率直に真葛は聞いてみる。


「流れてない! 絶対に」


 これまた自信ありげに言うが、どこからその自信が来るのかわからない。


 その自信を少しでもいいから分けて欲しいわ……


 真葛はガクッと項垂れる。


「さぁ、川を浚おう! おう!」


 これも愛の力っていうものですか。一さん。何とももったいない力だこと。


「「おう!」」


 果も茲白もやる気は十分らしく、威勢よく答えている。


「おう……」


 真葛はそれほどまでにはなれなかったが、もうここまで来てしまったのでやるしかなかった。


 早速、四人はズボンを膝まで、上着は肘までめくり上げると、まだ少し冷たいと感じる水の中へと入っていった。


「冷たっ!?」


 軽く飛び上がる。


「我慢しろよ、大人気ない」


 冷静に果からツッコまれてしまった。本当にどっちが大人かわからなくなってくる。


「この川の水よりもお前の態度の方が冷たかったわ」

「いや、うまくねぇから」


 果はこちらを見向きもせずに突っ込んできた。


 また冷静に……


「変な漫才してないで早くやろうぜ」


 川に入った早々、川底を浚い始めた一がこちらに向かって荒々しく手招きをしていた。


「あぁ、わかったよ」


 真葛も嫌々ながらやることにした。


               ♢


「ハァー、見つからんね」


 始めてから小一時間ほど経ち、真葛は川原で一休みをしていた。


 残念ながら真葛の言葉通り目的の物は見つかっておらず、今のところ見つけ出せたのは何十本ものペットボトルに弁当の容器、紙パックなどの食品関係のゴミばかりであった。時折、それ以外で見つかる物としてはあまり詳しくは言えない大人のおもちゃなども転がっていた。


 もう少し遊ぼうよ!


 と変なツッコミを入れそうになったが、学生たちがいるので、やっている途中で買ってきたごみ袋の中に突っ込んでおいた。


 結構、やっぱ疲れるな……


 周りでも一はもちろんのこと、体力自慢の果も精神的に疲れているようで

表情が辛そうであった。言わずもがな茲白は始まって十分ほどでリタイアし

ているので勘定には入れない。


「あれ?」


 不意に一がそんな素っ頓狂な声を出した。


「どうした、一?」


 また川底浚いに精を出していた真葛は休んだばかりなのに痛む腰を労わりながら一の方を向いた。


「何か人多くなってない?」

「何で増えるんだよ、疲れてるのか一」


 果が馬鹿にするようにそう言いながら腰を上げる。茲白もやっと体力が戻ったみたいで下に移そうとしていた視線を一の視線と同期させる。


「「「えっ!?」」」


 真葛と共に果、茲白も同時に驚いた声を出していた。


 何か凄いことになってる……


 真葛たちがいる川は特段広くはなく、ビルの合間を狭苦しく流れる一般的な川と同じ川幅である。


 そんな中に真葛たちを入れないでも老若男、残念ながら女性はいなかった、五十人近くの人たちが真葛たちと同じように腰を落として川を浚っていた。


 何ですか、これ?


 呆然と五十人近い人たちを見る。


「こいつら何?」


 唖然とした表情で果が呟く。


 率直な意見をありがとう、果。しかし、私にもわかりません。


「何してるの?」


 一が果の疑問にさらに被せるように問う。


 しかし、誰がその答えを知っていようか。狭い川の中に急に現れた人、人、人。真葛たち四人はその人の多さに呆然と驚くことしかできなかった。


 すると、そんな四人の耳に若い男たちの声で、


「あったか!?」

「いえ、ありません!」

「クソッ! どこにいったんだ」


 と言い合うのが聞こえてきた。


 何か探しているようである。


 同じ……なのか?


 真葛は首を傾げる。果も茲白も同様な態度を取っていたが、一人だけ違った。


「お前ら!」


 その声を聞いて、一がいきなり叫んだ。


 ちょっ!? 待ちなさい! 一!


 止める間もなく、一は若い男たちの集まる場所に一歩足を踏み出していた。


「探しているんか?」


 近付いてみると、結構強面の人たちばかりであったが、一はそんなことなど意に介さず堂々と聞く。


「何だぁ、てめぇ。……まさか!?」


 一のことを下から上へと睨め付けるように視線を動かそうとしていた若い男は途中でハッと顔色を変えた。


「お前たちも!?」


 驚いたようにその男は言った。


「ふざけるんじゃね! あれは渡さねぇぞ!」


 違う男が凄む。普通の人ならば問題に巻き込まれたくないと思い、すぐに逃げ出しそうなそんな形相であったが、今回、普通人・一は普通ではなかった。


「何ほざいてやがる! あれは俺が見つけるんだ。いや、俺が見つけないといけないんだ!」


 まるでどこかの熱血スポ根ドラマを見ているような台詞に真葛は恥ずかしく思えてしまったが、それ以上にその心意気に感動してしまった。後で考えると、このとき真葛自身、自分はどうにかしていたと思う。普通に考えればわかるおかしさに気付くことができなかったのだから。


「そうだ! お前が見つけなくてどうする!」


 感動した真葛も乗っかる。本当にどうかしていたのであろう。


「まぁ、そうだな。そうしなければならないんだろうな」


 果もボソッとそんなことを言う。後で聞くと、果も同感だと言っていた。


「いや、それはおそらく……」


 合間を縫うように茲白が何か言おうとしたが「邪魔すんじゃねぇぞ、ガキども!」という相手の男の声に掻き消されてしまった。ここで一番、正しかったのはただ一人、茲白だけであったのだが、残念ながら発言権がなかった。


「そっちこそ人の邪魔すんじゃねぇ!」


 対抗するように一は叫ぶ。


「てめぇー!」


 オイ! 子供相手に暴力は!?


 掴みかかろうと男が一歩前に出るが、その行く手を果が遮る。


「やるんか?」


 冷たくそう言い放つ果。その声と鋭い眼光に何かを感じ取ったのか、一に掴みかかろうとしていた男は踏み止まった。


「ふ、ふん! てめぇらより先に見つけりゃいいんだ」


 捨て台詞のように自分の仲間の中へと戻り、一喝。


「さっさと探せ! あいつら何かに先を越させるなや!」


『オスッ!』


 と、気合の一声。


「こっちだって負けてらんねぇよ」


 一が男たちに向けられていた視線を真葛たちの方へと移す。


「いや、しかし……」


 またもや茲白が何かを言おうとしている。


「何だ、茲白。何か文句でもあるのか?」


 いつもに増して恐ろしい形相の果に茲白は何も言えず、黙ってしまった。


「よしっ! じゃあ気合入れるぞ」


 真葛はそう言うと、四人で円陣を組んだ。皆、それぞれ隣の肩に手を乗せ、中腰になる。そして、真葛が気合い一発、第一声。


「勝つぞぉぉぉぉ!」

「「オオォォォォ!」」

「おう……」


 そうして両者の争奪戦の火蓋が切って落とされた。


               ♢


 一方、それを傍目から見ていた第三集団がいた。


「何じゃ、何じゃあやつらは」


 一人の老人が持っていた紙コップを震える手で地面に敷かれたブルーシートにおろす。今にも零れそうだったが、どうにか紙コップは軟着陸した。そして、その老人は視力の弱まった瞳を何度も凝らしながら一とどこかの若い衆との言い争いを眺めた。


「手伝いかの?」


 その隣で同い年ぐらいの老人が呟く。こちらもその光景をよく見ようとし

ているようで、身を乗り出して眺めていた。


「あんなに若いもんが来てくれるなんて驚きじゃ」


 感心したように他の老人が言う。


「あぁ、そうじゃな。しかし……どこのもんかの?」


 違う老人は首を傾げる。


『んんんっ……』


 皆も同じように傾げる。


「知らんのぉ……」


 誰かがそう言ったが、それを遮るように「そんなんはどうでもいいじゃ

ろ!」と叫んだ。


「それよりもあんな気合が入っとって何だかこちらも奮い立たされるじゃろうに! のう?」


 最初の老人が急に立ち上がる。と言っても、地面に手をついて、どうにか立ちあがったという感じではあったが。


「そうじゃな。あの中に入りとうなってきた」


 隣の老人も立ち上がる。こちらも同様。「よっこい正一」なんて冗談はかましていた。


 その二人に刺激された他の老人たちも瞳を輝かせる。


「そうじゃな」

「ええ感じじゃ」

「若いころを思い出すのぉ」

「はっはっは、あんな若いもんに負けはせんぞ」


 続々と立ち上がる老人たち。


 そして、二十人ほどの老人たちがその場に立った。


「よしっ、わしらもこんなのんびりしておられんぞ」

「おうさ、わかっとるわい」


 と言うや否や、真葛たちと同じように円陣を組む。しかし、やはり若いものよりは身体にガタが、特に腰は老朽化が激しいので、中腰はきついようで真っ直ぐ立ったままだった。


「よし、やるぞい」


 皆、一様に頷くと利き手を頭の横に掲げる。


「えいえい……」


 最初の老人が音頭を取る。それに合わせて掲げた腕を上下に二度、揺らす。


 そして、最後に天に突き上げるように腕をかざし、


『おー』


 と、老人とは思えない声量で同時に叫ぶ。


 その声は青い空によく響き渡り、通行人の人たちも驚きで視線をそちらに向けるほどであった。


               ♢


 こうして第三集団の出現により混乱の体を見せてきた争奪戦は三つ巴の戦いとなった。


 これが俗に言う、


『神棚川 万歳橋下の戦い』


 と後々、語られる激しい戦いの始まりであった。


 誰が言い出したか、何やら神棚川の万歳橋下で高校生からお年寄りまで何かを探すかのように必死で川を浚っている、という噂は急にこの世に現れると目を見張るほどの速さで瞬時に街中を駆け巡った。


 それに対し、その噂を聞いた者は何かを探すという部分を勝手に解釈し、ある者は「誰かが落とした年末ジャンボの一等当たり券を探している」と言い、またある者は「かつて徳川家に滅ぼされた何某かが埋めた埋蔵金がそこに埋まっている」と言い、またある者は「戦時中にアメリカのB29が落とした爆弾が不発でそこに放置されたままにある」と言い、さまざまな人にねじまがった内容で広がった。


 それのほとんどは何とも自由極まりなく、かつ発想が突拍子もないものばかりであったが、少数派の意見としては「というか結局、ただの川浚いでしょ」という意見もあった。


 悲しいことにそれが正解でそれに追随する人ばかりであったのだが、一部の人間、皆一様に暇なのか、あるいはこんな不況の時代なので切羽詰まっているのか、最初の意見に反応した人たちは一斉に神棚川に押し寄せてきてしまった。また幾人かは不発弾の意見に賛成したようで慌てて逃げ出す者もいたようであるが、それ以上の人が年末ジャンボの当たり券や何某かの埋蔵金説を支持したようで五十人ほどの人たちが川浚いを始めた。


「どこだ!?」

「どこにあるの!」


 という探す声。


「借金返せる……」

「これで慰謝料を……」


 という現実的な声。


「女を手に入れられる……」

「一生、遊んで暮らせる……」


 という妄想。


「券、券、券、券……」

「金、金、金、金……」


 という単純にそれを求める声。


 と、雑多な声が狭い川のそこら中から怨念のように聞こえてきた。


 何とも異様な光景であった。


 普通に見ても、街中の川で誰かが底を浚っている姿は何だかおかしい感じがするのだからそれを大人数で、そのうえ皆がそれぞれ呪詛を呟きながらでは悪魔の儀式ではないかと見紛うばかりである。橋や川沿いの道を通り過ぎる人たちからは悲鳴だけが聞こえきて、そのすぐ後には足早にその場を離れる足音だけであった。ときには悲鳴を上げて駆け出す者もいる始末である。


 しかし、当の本人たちは自分の世界に入っており、外界の騒ぎなど耳にも入らなかった。


 こうして第四勢力として、不特定多数の個人が三つ巴の中に割って入ってきて、『神棚川 万歳橋下の戦い』はさらなる混沌へと陥っていた。


 しかし、その中心人物たちはそんな人たちが集まってきたことすら気付かずに目的のものを探すのに没頭していた。


「ないなぁ……本当にどっこにいったんかね」


 真葛は冷える両手に息を吹きかける。


「ここに! ここに……あるはずなんだよ」


 一は自らを勇気づけるようにそう言うが、語尾は消え入るようであった。


「疲れてきたな……」


 果もやはり体力には限界があるらしく、疲労に顔を顰めていた。


 やっぱあいつも人の子か。


 と、何となく安心してしまったのは、意味もない真葛の感想である。


「私も……」

「お前は最初からだろ!」


 我慢し切れずに真葛はスパンと茲白の頭を叩く。しかし、誰も反応してくれず、また真葛としても期待はしていなかった。


「痛い」


 と静かに漏らすだけで、特に反撃するわけでもなく、再び茲白は作業を始めた。


 叩きがいのない奴だわ。


 叩いておいてこんな言い草はないだろうが、真葛は疲労感が先行してお

り、そんなことを気にする体力もなかった。


「それにしても……」


 ちらりと他の人たちの様子を見る。


「まだか!」

「ありやせん!」

「こっちもです!」


 前時代的な喋りで聞こえてくる言葉からすると、一に突っ掛かってきた若い衆も未だに目的のモノを見つけられないでいるようだった。


「どこなんだ……」


 若い衆の頭らしき男の声には焦燥がはっきりと感じられた。


 奴らも必死だな……


 そして、視線を移す。


 そこにはなぜかそこにいる老人たちがゆっくりとした動きながら確実に川底を浚っていた。


 そして、あの人たちは一体何なんだ?


 やり始めてからいる集団でよくはわからないのだが、こちら、特に一としてはその場にいるだけで競争相手という早計な考えでいるので、真葛は漠然とではあるが、そう認識しており、また若い衆も戸惑いを見せながらも一応は認めているようであった。しかし、老人たちの集団から見る我々に対する視線は真葛たちとは異なり、完全に競争相手として見ているようであった。時折、殺気すら感じるのだが、それは真葛の自意識過剰かもしれない。


 しかし、現に真葛たちが少し休憩していると、作業を続けながらジッとこちらを見ているときが何度もあったので、一概にそうは言い切れないところがある。


「あやつら情けないのぉ」

「わしらより体力が続かなんだ、弱っちょろいの」

「そうじゃな、そうじゃな」


 そのうえ、そのような言葉と共に小馬鹿にしたように笑っているのである。


 老人たちはそう言うが、こちらとしては老人たちよりも広範囲に作業をしているのだから疲れるのは当たり前だ、と思うのが、いかんせん若い衆は血の気が多いみたいで簡単に挑発に乗り、休まず作業を続けるし、こちらは高校生なので冷静に「年寄りがまた何か言っている」と口では言うのだが、休んだと思ったらすぐに「よし、やるか」と始めてしまう始末であった。


 完全に乗せられているな。


 最初は俄然やる気のあった真葛であったが、若い衆や老人たち以外に主婦や会社員などがやってきた辺りから何かおかしい気がし始め、今ではそのおかしさを確信してしまっている。とは言ってもこの状況がおかしいというのを認識しているだけで、何がどうおかしいのかはっきりとはわからなかった。


 こりゃ、一大事になってる気がするな……


 狭い川に群がる人の姿は何とも気持ち悪いものである。と、真葛は鳥瞰で想像してしまった。


 うわっ、ボラみたいだわ……


 以前、ニュースでどこかの街中の川にボラが大量発生したという特集を見た。映像では狭い川の中をひしめくように灰青色のボラたちが蠢いていた。それはまるでヒッチコックの映画のようであった。


 うげぇっ……


 その映像を思い出してしまい、嘔吐く。


 あれは本当に気持ち悪かったけど……でも実際に今のこの状態を橋の上から見たらあれ以上だろうな。


 ふと、視線を少し離れたところにかかる橋に移す。すると、ちょうど女子高生らしき姿が見えたが、橋の下を見た瞬間、すぐに欄干の陰に消えていってしまった。また、その隣にいる女性の腕の中にいた赤ちゃんなど大声で泣き出してしまっていた。当然のようにその女性はすぐに見えなくなってしまった。


 やっぱり……


 そして、その中にいる自分を想像してしまった。


 ……うっ。


 気持ち悪くなった。真葛の脳内で大勢の中で川を浚っている自分の姿がボ

ラと重なった。


 そろそろやめるか。


 アイスホッケーのパック代わりにしても壊れなさそうな腕時計を見る。


 あぁ、くそっ……


 ずっと川底を浚っていたので文字盤が泥で汚れてしまっていた。これでは時間が確認できないので川の水で洗い流そうと、腰を下ろしたときであった。



「見つけた!」



 完全に気を抜いていたので、その言葉を聞いても最初は何のことかわからなかった。おそらくすぐ隣りにいた果も休んでいた茲白も少し遠くにいた若い衆も、老人たちも、そして知らず知らずのうちに出現したその他多数もわからなかっただろう。そして、その声のした方を振り向いても一が天にかざす封筒が何を示しているのか、その場にいた全員が未だに理解できないようで、身じろぎもせずに視線だけ皆、一に向けていた。


「よっしゃ! やっと見つけた」


 喜びの第二声。


 一は何度もそれを天に突き上げて、大変な喜びようであった。


 その姿を見続け、徐々に脳が働き始め、同時に状況を理解し始めた。他の者たちも同じようで、微妙に瞬きする者、微かに指を動かす者、軽く唾を飲み込む者などさまざまな細かい動きが一斉に行われる。


 ざわざわ……


 そう、それはまるで春の訪れを感じた虫たちが自らの空腹を満たすために

動き出そうと〈蠢動〉するかのように。


 ざわざわ……!


 そして、それは一が封筒の中身を取り出そうと腕を動かし始めた瞬間に爆発した。



『あれだぁぁぁぁ!』



 誰が言ったのか、あるいはその場の全員がいったのかわからないが世界をつんざくようなその言葉は全員が動き出すための第二の起爆剤となった。


 危ない!


 と思った。しかし、それは遅過ぎた。真葛自身、そう思ったのはつんざくような叫びを聞いてからであり、理性を失った者たちが動き出した後であった。


「あれが! あれが!」

「あれを手に入れれば!」

「あれで私は!」

「あれに俺の!」


 あれ、あれ、有れ、在れ、アレ、ARE……


 さまざまな声がそう叫びながら一に向かって駆け出していた。その目はほ

とんどが赤く血走り、映し出していたモノは視線の先にある一の掲げる封筒

のみ。


 それはまるで餌に群がる猛獣のよう。


 普段は檻の中でおとなしくしているが、外から肉が吊るされようものならば我先にとそれに齧りつこうとしている肉食獣。


 肉は一。肉食獣はその他大勢。


 一は四方八方を囲まれているので完全に不利で、あとはもう食われるしか

ない状況であった。


「うわぁ!?」


 そして、やっとその状況に気付いた一は悲鳴を上げることしかできず、その表情は恐怖に引き攣っていた。


 しかし、そこに一筋の光明。果が一を守るように獣との間に立った。


「よしっ!」


 一を庇うように立つ果の勇敢な姿に少し安心したが、すぐにそれは不安に押し潰されてしまった。


 ……でも、ヤバいな。


 百人近い人々が一斉に一に群がったならば怪我こそすれ安全であるはずがない。それも理性を失った野獣と化した人たちならなおされである。あそこに辿り着いた瞬間、我先にと取り合いになるだろう。それに巻き込まれたならば喧嘩一番の果が守ったとしても一などひとたまりもないだろうし、最悪、果も巻き込まれるであろう。


 どうする! 考えろ!


 その状況を打開する策はないかと思案すると、茲白が隣にスッとやってきて耳に囁いた。


「よしっ、それでいこう!」


 なぜそんなことを思いつかなかったのだろうか。真葛は自分ではわからなかったが、相当慌てているようで、今更ながらにそれに気付いた。


「一! その封筒を捨てろ!」


 出せる限りの声を腹から一気に吐き出した。


 聞こえてくれ!


 そう心中で願うが、どうやらそれ以上に野獣たちの咆哮の方が大きかったようである。


「クソッ!」


 珍しく感情を表に出す真葛に茲白が身を引く。


 聞こえないのか!?


 しかし、しょうがないことであった。百人近い咆哮にたった一人で勝てる筈もない。


「クソ野郎!」


 自分の不甲斐なさに真葛は唇を噛む。


 そして、そうこうしているうちに野獣たちが一のいるところに到達する。


「この! 寄るな!」


 最初の数人は一でも避けられた。しかし、それが十秒後には倍になって襲いかかってくる。


「邪魔すんじゃねぇ!」


 だが、それも果の喧嘩殺法でどうにか凌ぐ。


 耐えてくれ!


 茲白と一緒に真葛は一たちのいる場所まで走る。しかし、野獣たちの多さになかなか辿り着けない。


 耐えてくれ!


 だが、そこに辿り着けたとしても何が出来ようか。


 おそらく何もできないだろう。


 だがしかし、そこに行くことが真葛としては大事であった。


 耐えてくれよ!


 祈る真葛。だが、理性を失った野獣たち百人は果でも捌ききれなかったようで、


「うっ!?」

「ぐっ!?」


 と、一と果の苦しそうな声が聞こえてきたかと思えば、その姿は一気に野獣たちの群れの中へと吸い込まれていってしまった。


「一! 果!」


 懸命に二人の名前を呼ぶが、返事はない。


 あと、あともう少しだった……


 真葛と一たちの距離は残り十数メートルであった。


「クッソォォォ!」


 そう叫び声を上げながら真葛は野獣たちの頭の上をひとっ飛び。二人のいる場所に駆け寄るもとい飛び寄った。


「大丈夫か!?」


 そこには川底に膝をつく二人がいた。真葛はその二人の肩を無事かどうか確認するように揺する。


「あ、あぁ、少し切っただけだよ」


 と、一。


「かすり傷だ」


 と、果。


 そして、当然のように一の手元にあったはずの封筒はなくなっていた。


「クソッ! 取られちまった!」


 バシャンと一が怒りに任せ、川の水を叩く。


「あぁ!」


 果も同じく拳を叩きつける。


「いや、お前らが無事ならいいんだ」


 安心したかのように真葛は息をつく。


「「でも!」」


 二人が同時に叫ぶ。


「ちゃんと取り返せば……」


 真葛はガシッと二人の肩を掴んでいた両手に力を入れる。


「よ、よしっ、とっ、取ったぞ」


 野獣たちの中から這い出るように若い衆の中でリーダー的な態度を取っていた奴が現れた。



「取ったどぉぉぉぉぉー!」



 一が見つけたときと同じくその男は天に封筒を掲げる。その顔は安堵を含んだ喜びの表情であった。


「くっ!」


 それを見て、一が唇を噛む。


 奴が取ったか……それなら。


 二人の肩から両手を離すと、真葛はその男の後ろからぶんどってやろうと立ち上がろうとした。そのときであった。


『あっ!?』


 皆が一斉に声を上げた。


 何と長時間水に濡れていたせいで封筒の底に穴が開いてしまっていたようで、そこから中身が落ちた。


 皆、一斉に落ちた中身を取ろうと飛び出したが、若い衆に取り押さえられてしまい、そのうちに男の近くにいた同じ若い衆の一襟がその中身を拾い上げた。



「あれ、これ違いますよ」



 それを見た若い衆はあっけらかんとそう言った。


「えっ?」


 先程の男は意味がわからないという風にそんな声を出した。


「これ違いますよ、兄貴」


 ピラピラと兄貴と呼ばれた男の目の前に封筒の中身を見せる。


「どういうことだ?」


 ガシッと目の前で風に揺れるそのモノを掴む。その表情は先程とは一変し、鬼のような形相になっていた。


「これは……これは……」


 遠くから見ても、その男の身体中から怒りが湧き上がっているのがわかった。


「これは……」


 グシャグシャと手に入れたばかりのそのモノを丸める。


「何なんだ!」


 湧き上がっている怒りと共に丸まったそのモノは真葛の方へと投げつけら

れてきた。


 どういうことだ?


 げしげしと周りにいる舎弟を蹴っているその男を横目で見ながら首を傾げる真葛は目の前にぷかぷかと浮かぶ球体を拾い上げると、広げようとした。


「駄目だ!」


 と一がいきなり邪魔をしてきたが、果が気の利いたように羽交い絞めにし

て押さえた。


 どうしたんだ?


 一の行動に訝しむ真葛であったが、それよりも紙きれの中身が気になるので破れないよう丁寧にその球を平面上に広げた。


「何だこれ?」


 それが中身を見た真葛の第一声であった。


「見るなぁ!」


 となぜか一が恥ずかしそうに叫ぶが、一が顔を赤く染める理由がわからなかった。


「これなのか?」


 真葛は目を必死に瞑ろうとしている一に無理矢理その紙を見せる。


「駄目だ! 駄目だ、駄目……だ?」


 一のポカンとした表情。そして、眉を顰める。


「何これ?」


 どうやら一の探しているものではなかったようである。


 そこには何だかわからない生き物が描かれていた。


 ピンク色の肌に丸々とした手足と身体。首には鈴をつけており、髭が数本、横に大きく広がる口元から生え、これまた真ん丸な鼻に瞳を有していた。簡単に言えば猫、のようであった。かなりデフォルメされてしまっているが。そして、その異様なデフォルメ猫は座布団にちょこんと座り、その両手を上に上げ、万歳したような格好をしていた。


 ここらで何となく真葛にはわかった気がした。急に疲労感が倍になった気がした。


 そして、一番上には強調するように太く括弧で囲まれて『万歳橋商店街(仮)のマスコットキャラ(仮稿) 招き万歳猫(仮)』と書いてあった。


 仮過ぎるでしょ! それに商店街の名前は決めようよ!?


 こんな状況なのだが、真葛はツッコんでしまう。


「おぉ!? 見つけてくれたのか」


 知らないうちに傍までやってきていた老人の一人は真葛たちが呆然と見遣る紙を覗きこむと、嬉しそうにそう言った。


「先に見つけられたかい……悔しいのぅ」

「まぁまぁ、見つけてくれたんじゃから感謝しなけりゃ」

「そうじゃ、そうじゃ」


 少し遠くで悔しそうにしている老人を他の老人たちが励ましていた。


「ホンにありがとうな」


 仏像に祈るように両手を合わせると、その老人は頭を下げた。すると、同時に後ろに控えていた老人たちからも感謝の言葉を頂いた。


 えっ? 何これ……


 真葛たちはもちろんのこと、他の人たちも何が起きたのかわからなかった。何だか今日は全事象が急過ぎるような気がした。


「えっと……あなたたちはもしかして万歳橋商店街の皆さま?」


 真葛が言葉に詰まりながらも尋ねてみた。中に出てきた固有名詞は先程の紙の中から拝借したものである。


「あぁ、そうじゃ」


 老人は頷く。


「で、どういうことなのですか?」


 重ねて尋ねる。


「どういうこと、どういうこととは何じゃ?」


 質問が漠然とし過ぎていたようである。


「えっと、どうしてこんな川浚いなんてことをしていたのですか?」


 真葛は先程の質問を丁寧かつ簡潔かつわかりやすく言い直した。


「あぁ、そういうことかい。うんうん」


 どうやら伝わったようだ。モグモグと口を動かしながら老人は頷くと、口

を開いた。


「最近のぉ、ウチの商店街の売り上げが芳しくなくての」


 事情を最初から聞かなくてはならないようである。しかし、真葛は嫌がらず耳を傾けた。


「どうすればいいか、と会議をしたんじゃよ。そしたらの〈ますこつときゃら〉とかいうのを作ればお客さんたちがまた来てくれるのではないかという意見が出ての。それでいくことにしたんじゃ。それなら〈いらすとれたー〉とかいう職の卵だとかいうわしの孫に描いてくれと頼んだんじゃよ」


 たぶん〈ますこつときゃら〉ってマスコットキャラだし、〈いらすとれたー〉っていうのはイラストレーターですよね。


 とは聞けるわけがなく、うんうんと頷きながら話を聞き続ける。


「それでつい二日前にできたと言うんで、わしはこれを預かって商工会議所に向かっている途中でここを通りかかったんじゃ。そしたら強い風が吹いきての、そのときにこいつを封筒ごと持ってかれてしまっての」


 それがこれってことですか……


「また頼むのも悪いと思って探していたんじゃけど、お主たちが見つけてくれたんで、ホンにありがとの」


 と再度、感謝の言葉を言うと、老人は仲間たちの方へと行ってしまった。



『何じゃ、それぇーーー!』



 ここが新喜劇の舞台だったならば皆が一様にコケていたであろう。それも大袈裟な音を立てて。しかし、残念ながらここは川であった。


 残念!


 真葛はガクッと肩を落とす。


「じゃあどこに……」


 一が疲れた声で呟いた。


「もう一度、探さんアカンか……」


 強面の男たちも目的の物じゃないとわかった途端、疲労が込み上げてきたのか深々と溜め息をついていた。


「はぁー……」

「はぁ……」

「はぁあ……」


 と、さまざまな溜め息がそこら中から聞こえ、その場にいた誰もが意気消沈といった感じであった。


 しかし、その中で少し離れたところにいた老人が未だに川を浚っていた。仲間たちが「終わったから帰るぞい」と声をかけているが、おそらく耳が遠いせいで聞こえておらず、懸命に水の中で両手を動かしていた。


 俺ももう少し頑張んないとだな。


 その姿を見て、真葛は奮起しようと思ったときであった。


「ん? 何か見つけたぞい」


 その老人がそう呟いたのが聞こえた。


『えっ?』


 いきなりの一筋の光。


 その声に皆、顔を上げ、走り出そうと構える。


 しかし、それでは遅かった。その中でいち早く反応した真葛が既に走り出

していた。


 いける!


 周囲の出遅れにチャンスと思った真葛は疲労でいうことを聞かない自らの

足に鞭をいれる。


 頑張れ、足!


 もう何を言っているのか自分でもわからなかったが、何をすべきかだけはしっかりとわかっていた。


「お爺さん! 俺にそれ頂戴!」


 徐々に目の前に近付く老人に大声でそう言うと、その老人は「お主か。わしらの探してたもんを見つけてくれたお主らにならくれてやるぞい」と出し渋りもせず差し出してくれた。


「サンキュー、お爺さん!」


 よしっ! ゲットォォォ!


 と思った矢先であった。視界の隅から何かが伸びてきた。


 ん?


 シュッ。


 という鋭い風切り音。


「えっ?」


 バゴン!


 という拳が肌にめり込む音。


「うごひで!?」


 バシャン。


 という人が水の中へと吸い込まれていく音。


 その三音が静かにリズムよく響いた。


「へっ! 恨むなや、兄ちゃんよ」


 真葛は手にあったモノを取られる感覚を得た。視線はもう動かせない。


 これはやられたね……


 すると、バシャバシャと誰かが近付いてくる音がした。


「あっ、リョウさん、おはようございます」


 リョウさん?


 どこかで聞いたような名前が耳元に響いてきた。


「やっと見つけやし……」


「てめぇ、娑婆の人間に手ぇ出すなっていつも言ってるだろうがよ!」


 喜ぶ男の声に被さるように怒鳴るどこかで聞いたような声も聞こえてき

た。


 つい最近、聞いたような気が……


 しかし、痛みで薄れゆく意識ではそれが誰なのか考えることができなかった。


 あぁ……オチるな……


「って、あれ? 〈頼まれ屋〉の兄ちゃんじゃないか!」


 と同時に黒い影が天から注ぐ光を遮るように視界に現れたが、残念ながらそれが誰なのか確認する前、その言葉を聞いたのを最後に真葛の意識は暗い闇の底へと落ちた。


               ♢


「って、こればかりじゃないか!」


 ガバッと真葛は起き上がった。


 天丼もいい加減にしろっていうの!


 中空にツッコむ。しかし、どこからも何の反応もない。


「…………はぁ」


 空しいわ。


「ていうか、またここか……」


 ぐるりと見覚えのある風景……ではなかった。


 あぁ、この前入院したときに例の彼女が散々、ぶっ壊していったからな……


 壁や天井は剥がれたままで、置き物は一つもなく、何とも侘びしい殺風景な部屋になっていた。


「おぅ、起きたのか」


 先日、見たばかりの顔がひょっこり入ってきた。


「えっと……リョウさん?」


 薄ら覚えの名前を呼んでみる。


「おぉ、覚えてくれてた? 久しぶりだな」


 リョウはかけている黒サングラスを少しずらしてこちらに視線を向けてきた。その視線はどこか嬉しそうであった。


 というか意識失う前に聞こえましたから。


 とは言わない。そんな野暮なことは言ってもしょうがない。


「えぇ、どうも」


 真葛は軽く会釈を返す。


「頭の怪我、そんなヒドくないってここの爺さんが言ってたからすぐに退院できるだろうよ」


 真葛が横になるベッドの傍に立つと、ポケットから煙草を取り出し、片手で火をつける。


 スゥー……と煙草が短くなっていく。


「ハァー……」


 紫煙が病室内で燻る。


「まぁ、大事がなくてよかった」


「はぁ……」


 ここ一応、病院なんだけどな……


 と、一般的な良識を内心で呟く。すると、それに気付いたのか、リョウは苦笑いを浮かべながら「悪い、悪い」と言うと、一気に根元まで吸い終えると、おもむろに指先一本で開いている窓の外へと吸殻を飛ばしてしまった。


 どっちにしろって感じだな……


 内心で溜め息。


「まぁ、そんなことより」


 ガシガシと一度、頭を掻く。何だか言い難そうにしている表情は何なんだろうか。


 何か悪いことでは言うのではないか、と真葛は身構える。


「すまんね、ウチのモンが」


 おずおずとだがリョウは頭を下げた。


「えっ!?」


 何これ?


 リョウが謝辞と共に頭を下げている。


 俺?


 その頭の先には真葛がベッドで上半身を上げた格好でいる以外に誰もいないので、確かに真葛に謝っているのであろう。


 俺に? リョウさんが? 頭を? 下げてる?


 全ての言葉が疑問文になってしまう。


「これは……どうゆうことで、こんなことになって、そうゆうことになるんですか?」


 いきなりのことで頭の中が混乱し、日本語がおかしくなってしまった。


「あのな……その……」


 強面の顔が恥ずかしそうに頬を染めている。リョウには悪いが、真葛は気持ち悪いと思ってしまった。


 何なんだ、これは……まさかのツンデレ特性をリョウさんはお持ちでしたか。それを俺の前で見せるということは、まさか!?


 もう一歩先の特性に考えがいきそうになろうとしたところでリョウは口を開いた。


「お前さんを殴った奴な、俺の下の奴なんだよ」


 ポリポリと頬を掻く。


 あぁ……


「そう言うことですか」


 よかった、と一安心。真葛は胸を撫で下ろす。


「あん? 驚かねぇのか?」


 そう意外そうな目で見られても……


「大体はわかりますよ。気失う前に俺を殴った人にリョウさん、何か言ってましたし、その言葉遣いから上下関係があるんだなってわかりましたから」


「あぁ、そうなのか」


 何だか残念そうに顔を俯けるリョウ。まるで新発見をしたと思って手近な人に言ったらそおれは意外と常識的なことであったと笑われ、しょんぼりとする小学生のようであった。


 こっちが本性なのかな?


 軽い失望とそれを上回る好感がその思いには含まれていた。


「でも、何であんなことしてたんですか?」


 ずっと心の奥に引っ掛かっていた疑問であった。まさか一たちが探そうと

していたモノであるはずがない。なら何を? 当然の疑問であった。


 一応、争った相手だし。いろいろと手違いはあったけどね。


「あぁ、それはな……」


 上げられた顔が再び下に向く。その反応に真葛は嫌な思いが脳裏をよぎった。


 まさか拳銃とか麻薬とか……


 そんな最悪の答えが脳内でグルグルと回り始める。


 聞かなけりゃよかったかも。


 今更ながらの後悔。


「いや、やっぱいいです」


 聞いておいて何だが真葛は拒否してみた。しかし、リョウは頭を振る。


「いや、こっちが殴った手前、教えねぇと悪いからな」


 先程とは打って変わって真剣な表情。


 やっぱり、これは……


 そして、次に流れるは最悪の結果。


 やっぱドラム缶に生きたままで生コン入れられてそのまま東京湾行き? あるいは身ぐるみ剥がされて富士の樹海へレッツゴー!?


 TVの見過ぎな真葛は有り余る妄想力で妄想の世界へと羽ばたく。


「あんなドブ浚いみたいなことしてでも俺たちが探してたモンはな……」


 いいです! いいですから言わないでください!!


 バタバタと両手でリョウが何かを言うのを必死で止めようとするが、明後日の方向に視線を向けているリョウには見えないのか、口を動かすのをやめない。


「オジキの」


 オジキの!?


 変に黒光りする物や注射器の横にある半紙みたいな紙の上にサラサラと落

とされる粉を想像する。


「大切な」


 大切な!?


 それらの物を大事そうに眺めている皺の深い着物を着た御爺さんの姿を想像する。


「……」


 何なの!?


 最後の一言を言う前にリョウは一瞬、間を空ける。言っていいかどうか迷っているようだ。それも結構長い。


「な、何なんですか?」


 小心者の真葛はそれが何なのか聞きたくなかったはずなのだが、ここまでもったいぶられてしまうと逆に気になってしまうしょうもない性も持ち合わせていた。


 どこか中空に向けられていた視線が真葛に戻る。その視線は「本当に聞きたいのか?」と問うているようであった。

 真葛はそれに対して頷く。



「それはな……オジキの大切なアイドルの生写真だ」



「……」


 一瞬の沈黙。病室内には部屋の外から聞こえる喧騒だけが響く。


「あぁ、そうだリョウさん。ここまで連れて来てもらってすいませんでした」


 うんうん、忘れてた、忘れてた。あんな遠くから意識を失った俺をわざわ

ざ連れて来てくれたのに感謝の言葉を一言も言ってないんじゃ〈頼まれ屋〉の名が廃っちゃうわ。


「あ、あぁ、おぅ、まぁ、こっちが悪いしな」


 戸惑った様子でリョウは返してくる。


「いやいや元はと言えばこっちが変に絡んでしまったから始まっちゃったこ

となんで、本当にすいません」


 ハハハッ、と笑いながら右手を左右に振る。


「そうか、いや、悪いな」


 何か言いたそうにリョウは返事してくるが、そうは問屋が卸さない。


「はい! 何か変なことしてしまって本当に本当にすいません。また今度何かお礼をします」

「いや、いい、いい」


 そう言いながらリョウは真葛の申し出に首を振る。


「そうですか。なら今度何か頼みごとがあったときにでも」

「あぁ、そうだな。そうしてくれ」


 何か言おうとするのをやめたようで、リョウは少しずれた黒のサングラスを元の位置に戻す。


「じゃあ、まぁ、また、その、今度な」


 と言うと、リョウは真葛に背を向けた。


「そうですね。わざわざありがとうございました」


 出て行くリョウの背にそう言葉をかけると、こちらを振り向かずに手をフラフラと揺らすと「じゃあな」と一言、そのまままだ少し納得のいかない様

子で病室から出て行った。


 はぁ、休むか。


 と思ったらその直後に廊下から「うおっ!?」「何であいつが?」「格好いい……」と三者三様の驚きを含んだ声が聞こえてきた。


 あいつらも大丈夫だったみたいだな。


 そして、病室内に雪崩れこむように『一九十なしトリオ』が入ってきた。


「おいおい、どうした?」


 入ってきた三人を真葛は見る。


「マカッさん、なんであいつがいるんすか?」


 眉間に皺を寄せた果が聞いてきた。おそらくリョウが突っかかってきた若い衆の兄貴分であることは三人共わかっているようで、一も茲白も同じように険しい表情を浮かべている。


「まぁ、あの人は大事な顧客の一人だよ」


 説明が面倒だったので、そういうことにしておく。


 一度でも依頼を受けた人ならみんな俺の大事な顧客だよな。


 と自分でも納得させておく。


「それよりも! 見つかったか?」


 二人の陰に隠れるように立っている一に尋ねる。


 どうやら真葛が最後にお爺さんから譲り受け、その後すぐに奪われてしまった物はリョウたちの側が探していたものだったようなので、まだ依頼をこなしていないこととなってしまう。それでは後味が悪いので、まだ見つかっていないとしたら真葛はすぐにでも探しに行こうと思っていた。


「……」


 しかし、一は何も答えようとはしない。


 うん?


 考えてみればおかしなことである。いつもならば三人の中でも先頭に立っているはずの一が今は一番後ろにおり、また口の速さでも一番なのだが、先程は果にお株を奪われてしまっていた。


 どうしたんだ?


 ジッと一のことを見つめながら真葛は首を傾げる。すると、違う方向から答えが返ってきた。


「あぁ、見つかった」


 黙ったままの一に代わりに果が答えた。何かを堪えているような表情であった。


「そうなのか!」


 疑問に思いながらも視線を果の方へと向ける。


「よかったな!」


 そして、再び一に戻す。


「あぁ、よかったな」


 果がボソッと言う。



お前の(・・・)大事なモンが見つかって」



「えっ?」



 お前の大事なモン……お前の?


 果がそう言い放った言葉に真葛は何が何だかさっぱりであった。


「どういうことだ?」


 確か同じクラスの女の子が落とした大事なものだって言ってたよな?


 真葛は口元をピクピクとさせる果と顔を赤らめる一を交互に見る。その間

には少し不満そうな表情の茲白がいた。


 少しの沈黙の後、


「失くしたっていうのは塋名のじゃなくて一だったんだよ」


 と、やはり果が言う。


「えっ! そうだったんかい」


 驚きの表情で真葛は一を見た。一段と顔は朱に染まっていた。


「嘘ついていた。一」


 茲白が怒気を含んでそう言った。それに対し、果が「そんなに怒るなよ」

と諫めていた。


「何、失くしたんだ、一?」


 無駄だと思ったが、一に聞いてみることにした。


「……」


 やはり黙ったまま。そして、やはり代わりに果が答える。


「くくくっ……こいつ……失くしたのってな……」


 とうとう堪え切れなくなり始めたのか、果は言葉の合間に笑い声を漏らす。


「や、やめろよ!」


 やっと一が口を開いた。


 一は果に飛びかかろうとするが、果が右手を一の頭に置くと止められてしまった。その図はあえて言うならギャグマンガの一コマであろうか。



「ラブレターだったんだよ!」



 と言うと、果は腹を抱えて笑いだした。一はその場で立ち尽くし、茲白はムスッとしている。


 失くしたのは一で、それはラブレターだったって……


 果の笑い声をBGMに真葛は溜め息をつく。


 数分後。


 果が笑い飽きるのを待ってからことの真相を聞いた。


 それによると、一は淡雪のことを同じクラスになったとき一目惚れをしたらしく、その後も元気で明るく、裏表のない性格を見てからさらにその想いは強まったらしい。しかし、普通人間・一。告白する勇気がなかった。果が告白しろと煽ってもダメだの一点張りで、直接言えないならば手紙でも送ればいいと茲白が助言してもその場では無理だと言った。しかし、家に帰ってから思いの外、淡雪への恋心が強いことに気付いた一は告白することにしたという。しかし、やはり言葉では伝える勇気がなく、茲白の助言通り手紙を書くことにした。そして、手紙を送る当日。緊張の面持ちで朝早く、学校へと向かう途中、誤ってあの川に手紙を落としてしまったと言うのである。


「何で落としたんだ?」


 真葛がそう尋ねると、一瞬だけ言葉に詰まるが、果から「もう何言ってもしょうがねぇからいいだろ」と言われると、ボソボソと言い始めた。


「練習をしてて……」


 まさに蚊の泣くような声であった。


「練習? 何で練習するんだ?」


 直接会う勇気がないのだからおそらく手紙は手渡しではなく、どこか淡雪

の目の届くところに置いておくのであろう。


 普通に入れるだけなんだから練習なんていらんだろ。


「その……鞄から塋名さんの靴箱に入れるまでの練習を……」


 笑いながらそう言うならば真葛としても冗談と思えるのだが、それを真剣な表情で言うのだから本気なのであろう。


 こいつ疲れているんだな。うん、恋煩いは結構、厳しいもんみたいだから

な。俺には分からないけど。


 残念ながら真葛は誰かに恋をしたことはあるが、煩うほどまで発展したことがなかった。


 好きなんだけど相手がこっちを振り向くわけがない。


 と勝手に想像してしまい、何もできずに終わってしまうのだが、今ここでは関係ないことである。


 それよりも一だ。


「お前な……まぁ、いいや。それでその手紙は今あるん?」


 その言葉を聞いて一はガバッと鞄を守るように両手で抱えた。


「いやいや、見ようとしてるんじゃないよ」


 実際は内容を見てみたいが、真葛はそれはやってはいけないと自ら律する。


 それじゃあ嫌な兄さん役になっちゃうからね。


 真葛は三人の良い兄さん役でいたかったので実行に移すことはしなかった。


「あるってことは手間が省けるな」


 どういうことか、と三人が首を傾げる。


「行ってこいよ」


 真葛は一言、一にそう言った。


「えっ?」


 呆けたような表情を浮かべる一。


「早く行ってこいよ。じゃないと他の奴らに取られるぞ」


 やっと意味が通じたようである。


 一は真葛に向けていた視線を鞄に移し、少ししてから真葛に戻す。


 いい感じかな?


 その瞳には先程とは違い、少し光が宿った気がした。


「置いてくる」


 決心したのか、そう言うと一は鞄を抱え、病室を飛び出て行った。


「おぅ、行ってこい」


 病室を出て行った背中の幻影を思いながら真葛は何だか嬉しい気分がした。


 でも、やっぱ直接じゃないんかい!?


 やはり一は普通人間だった。


「ていうか、お前たちも何してるんだよ」


 一の出て行った扉を眺めながらやれやれといった感じでいる果とただただ突っ立っているだけの茲白に真葛は言った。


「「えっ?」」


 二人でハモる。


「お前たち、親友を一人にしておくのか? お前たちってそんな関係だったかな?」


 おちゃらけた感じで真葛は言った。しかし、言葉は真剣である。


「「……」」


 一瞬、黙る二人であったが、すぐに互いの視線を交わすと、二人して「行ってくる」と言い、慌てて一の後を追っていった。


「ふぅ……」

「お主も大変じゃな」


 一たちが出て行った扉から今度はゴン爺が入ってきた。


「毎度、毎度、悪いですね」


 真葛は一応、頭を下げておく。


「ふん、そう思うなら怪我なんぞ最初からするな」


 と頭を叩かれた。


「痛いですよ。一応、怪我人ですよ」


 と文句を言ったら「直っとるじゃろ!」ともう一発食らう羽目になってしまった。


「ハイハイ」


 と、叩かれた場所を押さえながら面倒臭そうに答える真葛にゴン爺はこめかみに青筋を立て、


「はよう出て行け。今すぐ出て行け。瞬時に出て行け」


 と、出て行けの修飾語を三段活用で言いながら掛け布団を思いっきりはぎ取ろうとした。それに対し、真葛は「ちゃんと出て行きますよ」と言いながらゴン爺より先に掛け布団を掴んだ。


「少し休んでからですけど」


 ガバッと頭から布団をかぶった。


「オイ! ふざけるでないぞ!」


 ゴン爺は掛け布団を無理にでもはぎ取ろうとする。


 そう簡単にはやられないさ。


 しかし、それを真葛は中から阻止する。


「出て行け!」

「嫌です!」

「出て行けと言うとろうが!」

「嫌ですって言ってるでしょ!」


 掛け布団が上下に忙しなく動く。そのうち掛け布団の方が耐えきれなくなり、破けてしまいそうな勢いであった。


 そんな攻防を十分近くやり合っていると、廊下から看護師である早苗の可愛らしい声で「先生! 急患です!」と聞こえきた。すると、ゴン爺はこの場で力づくで出て行かせるのを諦めたのか「出て行かんとメスで刺すぞ」との恐ろしい捨て台詞を残して出て行った。


 布団の隙間から外を見てみる。


 大丈夫みたいだな。


 そこには目の端を怒らせながら掛け布団を引っ張っていた人の姿はなく、

誰もいなかった。


「ふぅ」


 やっと邪魔者が消えた。


 コキコキと首を鳴らす。


 これで心おきなく……


 うん、とベッドの中で伸びをする。


「寝れるわ」


 息が苦しいので顔だけ出すと、真葛は目を瞑った。すると、一気に疲労感が真葛を襲い、すぐに眠りに落ちてしまった。


 そして、最後に思ったことは一つだけ。


 今日も疲れた……



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