第93話
「・・・早いものね」
セシルは窓の外を眺めながらそう呟いた。エディタとディレクの死から一月が経過していた。その間、セシルは表面上は穏やかに過ごしていたが、夜には悪夢にうなされることもあり、その度にエドアルドはセシルをしっかりと抱きしめた。部屋から殆ど出ずに刺繍や読書をして過ごすようになったセシルを周りの者達は心配しつつも何も言えずにいるのが現状だった。外に出れば他の側室の奇異の目に晒されるのではないかという思いが拭い切れないためである。
「セシル様、旦那様から文が届いております」
ニコラがそう言いながら一通の手紙をセシルに差し出す。セシルはそれを受け取ると既に検分のため封の切られた封筒から手紙を取り出し、ゆっくりと読み始めた。
[ セシルへ
あれから、早いもので一月が経とうとしている。お前はどうしているだろうか?体調は崩していないか?夜はよく眠れているか?心配は尽きない。
私の方は何とかやっている。事後処理も漸く終わり、少しは落ち着いたところだ。エディタとディレクがもう居ないという事実は日に日に実感が沸いて来ている。お前もそうだろうか?
私にはお前に話さなければならないことがある。このことについてお前がどう思うのかと考えると筆が重くなる。だが、この先のことを考えるとお前に告げないわけにはいかない。お前にも苦しい思いをさせると思う。すまないが聞いてくれ。
私にはディレクとお前以外にもう一人、息子が居る。長年、私と関係のあった女性との間に生まれた息子だ。名をアドルフォといい、今年で7歳になる。私はこの子を当家の跡取りとして引き取ることに決めた。遠縁から養子を取り、跡を継いで貰う事も、私の代で爵位を返上することも考えた。だが、血を分けた息子に跡を継いで貰いたいという気持ちが私の中に芽生えて消えなかった。使用人以外は私だけという空間に寂しさを覚えたことも大きな要因だったと言っていいだろう。ここにお前が居てくれたらと思うことがよくあった。だが、それは叶わぬ願いだ。だったらせめてアドルフォに傍に居てほしいと私は願ってしまった。アドルフォの母親は一緒には来ない。彼女はアドルフォの将来のため、身を引いてくれた。お前には何の気休めにもならないかもしれないが一応、付け加えておく。
これから私がしようとしていること、これまで私がしてきたことをお前に理解してほしいとも許して欲しいとも言わない。責めたければ責めてくれて構わない。エディタとディレクと向き合うことから逃げ、お前を守りきれて居ないことを悲観し、私は外に逃げた。そのことが今は悔やまれる。私さえきちんとしていたら別の未来があったかもしれないと思うことがよくある。しかし、そうすればアドルフォはこの世に存在しなかった。それはそれで悲しいと思うのだから私は本当に駄目だな。自分が情けなくなるよ。
こんなことを頼むのも気が引けるのだが、アドルフォは責めないでやって欲しい。あの子には何の罪も無い。私の都合で母親から引き離し、慣れぬ暮らしをさせることになる。アドルフォのことを弟だと思ってくれとは言えないが、どんな形であれ受け入れてくれたらと思っている。もちろん、すぐでなくて構わない。ゆっくりとあの子を家族として認めてやってくれ。
勝手なことばかり言ってすまない。私はお前を悩ませてばかりだな。お前は愚かな父だと私を思うかもしれないが、私はお前を愛しているし、お前の幸せを願っているよ]
「・・・お父様」
アロイスからの手紙を読み終え、セシルはそっとそう呟いた。父に隠し子がいたことはショックだった。優しい父が自分を家族を裏切っているなど考えたことも無かった。あの父がそこまでするほど家の中が荒み切っていた証のように思えてセシルは胸が痛んだ。そして、自分達は同じ家に居ながら全く違う方向を向いていたのだなと改めてセシルは実感した。外に逃げた父、自分達の世界に閉じこもっていた母と兄。そして、全てを諦め、目を背けていた自分。父は自分がしっかりしていればと後悔しているようだが、父一人の力でどうにかなっていたとは思えなかった。家族全員がしっかりと向き合う必要があったのだ。それをしなかった自分達の怠慢が全ての事柄の原因のような気がした。
隠し子であるアドルフォという少年をどう受け止めていいのかセシルは分からなかった。けれど、一人になってしまった父の傍らに誰か居てくれること。そして、その誰かが父の血を分けた子供あることはいいことのような気がした。幼い少年に父とブルックナー家を背負わせてしまうことは申し訳なく思うが、自分がそれが出来ない以上、彼に頼るしかなかった。
セシルはいつか気持ちの整理がついたらアドルフォに逢って見たいと思った。