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第80話

「行き先が決まるまでここで過ごせ」


アロイスは郊外の別荘にエディタとディレクを連れて来た。流刑先の選定を任されはしたがどこにすればいいのか決めかねていた。出来ることなら安全で豊かな国に送り出したいとの想いから慎重に調査をしている段階ですぐにはここと決められない現状だった。


「使用人はつけない。お前たちはこの国を出たら二人で生きて行かねばならんのだ。その練習も兼ねてここで過ごせ」


アロイスの言葉にエディタはクスッと笑った。


「私ね、料理も掃除もしたことがあるのよ?あぁ、掃除もやったことあるわ」


エディタの言葉にアロイスは目を見開いた。


「実家のいる頃にね、そういうことに興味を持って厨房に出入りしたり、メイドの真似事をしたりしたことがあるの。ブルックナー家に嫁いでからは体面を気にして一切そういうことはしなかったし、話したこともなかったわね」


実家にいる頃ですら、はしたないと咎められた行為だった。伯爵家の妻としてそれを口に出すことすら許されないと思っていた。


「そうだったのか」


アロイスはそう返すことしか出来なかった。思えば自分はエディタのことをほとんど知らないような気がする。


「私たちはもっといろんな話をすべきだったわね」


エディタが寂しそうにそう言った。それはアロイスも同じ想いだった。


「・・・ねぇ、貴方も私に話すべきことがあるんじゃないの?」


エディタが真剣な眼差しで問いかける。アロイスはその瞳を受け止め、小さく息を吐く。


「・・・そうだな。話すべきことはある」


アロイスはエディタが何を聞きたいのか分かっている。そして、それを告げぬことは卑怯であるとも思った。


「・・・私には恋人がいる。その恋人との間に子供もな」


アロイスはついに自らの秘密を口にした。エディタはそれを目を伏せて聞いた。


「・・・やっぱりね。外に女の人がいるのは何となく気付いていたわ」


アロイスの心が完全に離れてしまったと感じる様になったのは何時の頃だったか。恐らくはその頃からアロイスには外に恋人が出来たのだろう。攻める権利など持ち合わせていないと黙認を続けていたエディタだったが、流石に子供もいるという言葉には内心、衝撃を受けていた。


「・・・その子は本当に父さんの子なの?」


両親のやり取りを傍観していたディレクが堪りかねて問いかける。まるで縋るような瞳にアロイスの胸は痛む。だが、ここで嘘をつくのはディレクのためにならないような気がした。


「あぁ、私の子だ。男の子でな、あの子を養子に迎え、当家の跡取りにする」


アロイスが毅然と告げた言葉にディレクの顔が歪む。涙が溢れそうになるのを必死で堪え、片手で顔を覆った。


昨夜、告げられたばかりでまだ受け止めきれていない事実を再確認させられた気分だった。自分は父の子では無く、もはや伯爵家の跡取りではないのだという事実。その事実は未だディレクの中で消化しきれておらず、ディレクはその事実に押し潰されそうだった。


そんなディレクの肩をエディタがそっと撫でる。それくらいしかしてやれることが無かった。これ以上、この話を続けることはディレクにとっては酷なことだろう。それはエディタにも分かる。だが、もう一つだけ聞きたいことがあった。


「・・・ねぇ、その子の母親も一緒に迎えるの?」


エディタがそう問いかける。アロイスはそれにこう答えた。


「そのつもりだが、彼女がそれを望まないかもしれん。己の立場を弁えているというか、あくまでも日陰の身であろうとするところがあるんだ」


エルナはいつも控え目でアロイスに多くを望まなかった。その態度から後妻に入ることを望まないような気がしてアロイスは全てが終わった後、自分の手元にはアドルフォしか残らないのではないかと覚悟もしている。


「・・・そう」


エディタは完全に負けたと思った。アロイスの恋人はきっと自分よりアロイスのことを分かっているのだろう。アロイスもまた、エディタのことより恋人の事の方が分かっている。アロイスに自分の事を語らせた時、こんなにも相手のことを分かっているという受け答えを出来はしないだろう。


エディタが守りたかった秘密は自らに起こった出来事とそれによってディレクが生まれたという事実だけだ。そのことに囚われるあまり多くのものを失ってしまった。


エディタがディレクを囲い込んだために、アロイスとディレクは殆ど関わることが出来ずに親子の絆をきちんと築くことが出来なった。血が繋がっていなくても心が繋がることが出来ればもっと違った親子関係を築けたような気がするのに自らその可能性を潰してしまった。


あれほど望んで産んだセシルも自らの浅はかな行為のせいで、泣かせ、傷つけてしまった。兄妹の間で優劣をつけたりしなければ、兄妹仲はもっと良好なものになっていたかもしれない。そうなっていたならば、もしかしたらセシルを手放すことにはならなかったかもしれない。


アロイスとはもっといろんなことを話すべきだったのだ。結婚当初からエディタは自分を良く見せようとし過ぎていたように思う。格下の家から嫁いできたことを気にしていた。侮られないよう、嫌われぬよう必死だった。


何もかもが間違っていた。自分のしてきたことは全て望まぬ結果しか生まなかった。


今なら分かるのにとエディタは思う。今なら分かるのにあの時どうして分からなかったのかとエディタは自分が情けなくて仕方が無かった。


「・・・お前にはすまないと思う。私はお前と向き合おうとせずに、逃げ出してしまった。お前が一人で抱えてきた苦しみを思うと私は自分が情けない」


アロイスが心痛な面持ちでそう言ってエディタに頭を下げる。エディタはそれを見て、涙が溢れた。


「貴方が私に向き合おうとしてくれた時は確かにあったわ。それを拒んだのは私の方なの。ごめんなさい、アロイス」


頭を下げ合う両親。もう元には戻れないと知りながらも互いを許そう、知ろうと懸命に足掻く姿にディレクは自分が生まれたことで両親に及ぼした影響の大きさを知る。


自分が生まれてこなければ、もしくは父の子として生まれたならば両親はどんな夫婦になっていただろうかと考える。人も羨むほど仲睦まじい夫婦になっていたかもしれない。その可能性を潰したのは他ならぬ自分であると思い至ったディレクは居た堪れなくなり、その場を駆け出した。


「ディレク!」


アロイスが呼びとめる。ディレクは立ち止ったが振り返ることは出来なかった。


「事実はどうあれ、お前は今まで私の息子として生きて来た。それはこれからも変わらん」


自ら自分の子では無いと断じておきながら結局は自分のことを見捨てきれない父。その優しさを考えの甘い人間と見下してきた自分は何と料簡の狭い人間であったのだろうとディレクは思う。


父の様になりたくはないと思っていた。だが、父の様な人だからこそ領地を纏め上げ、領民から慕われているのだろうと今なら分かる。あれほど嫌っていることを隠そうともしなかった自分を許す心の大きさが人の上に立つには必要なことなのだろう。もし、自分が同じ立場であったならそれが出来るかと問われれば、ディレクは出来ないと即答する。


自分が領地を継げばさらに繁栄させて見せると言いきっていたが、実際に領地を継いだ時、自分はそれを繁栄させるどころか潰してしまったかもしれない。


自分が跡取りで無くなったことで自分を見つめ直すことが出来た。それは皮肉なことのような気がした。


「・・・有難う、父さん」


ディレクは震える声でそう告げるとその場を後にした。


「貴方、そろそろ・・・」


エディタはアロイスに帰宅を促した。アロイスはそれに応じて玄関へ歩き出す。


「エディタ、ここに居られるには最長二週間だ。その間に行き先を決め、お前たちを送り出さねばならん」


玄関で見送るエディタにアロイスはそう告げた。それにエディタは頷いて答えた。


「気をつけてね」


「あぁ。・・・また来る」


去りゆくアロイスの背中を見つめ、エディタはそっと呟く。


「・・・二週間もいらないわ」


その言葉は風にかき消され、アロイスの耳には届かなかった。


別荘を見上げるエディタの瞳には何か強い決意が宿っているように見えた。



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