第77話
「陛下、今宵はどうなさるのですか?」
執務室で執務に励んでいるエドアルドにエルンストが声を掛ける。
「・・・自室に戻る」
エドアルドは書類から目を逸らさずにそう答えた。
「・・・セシル様の元へは行かれないのですか?」
エルンストの問いかけにエドアルドは何も答えない。
「お気持ちはわかりますが、あまり時を置くと逆に逢いづらくなりませんか?」
その言葉にエドアルドは溜息をついた。
逢いたくない訳が無い。今すぐにでも駆け出した気分だ。だが、どこか後ろめたい気持ちがそれを制する。目的のために手段は選ばぬと決めてもそれを良しとするほど冷酷にはなりきれない。エドアルドはそんな自分にもう一度溜息をつく。
「・・・そうだな。逢いに行こう」
エルンストの言うことは尤もだと思った。それに逢いたい気持ちに勝てそうも無い。エドアルドはセシルの元へ行くことにした。
後宮へ向かう道中もエドアルドはどこか暗い気持ちを払拭出来ずにいた。セシルの部屋の前で中に自分が来たことが告げられる間、エドアルドは我知らず緊張していた。
「これは陛下、ようこそおいで下さいました」
ニコラに迎え入れられ、室内に入る。そこには笑顔で迎えてくれるセシルの姿があった。
「お待ちしておりました」
そう言って一礼するセシルを見つめた時、エドアルドの心がほんの少し軽くなる。
ニコラ達を下がらせ、ソファへとセシルを誘う。少し、話をしたい気分だった。
「エドアルド」
並んでソファに座るとセシルが名を呼ぶ。その響きの心地よさにエドアルドはフッと笑みを浮かべる。
「どうした?」
あやす様にその肩を抱きながら問いかける。躊躇うこと無く寄せられる体に愛おしさがこみ上げる。
「今日、お母様のところに行ったの」
セシルが告げた言葉にエドアルドはそれはいいことだと思った。クラリッサがセシルを自ら招くほど気に入っているということを示すのは周りを牽制する良い材料になる。
「母上は何の用だったんだ?」
エドアルドの問いかけにセシルは少しだけ俯いた。その様子が気になりつつもエドアルドはセシルの言葉を待った。
「王妃になることの心構えというか、会議で王妃の立ち回りは難しいとかそんなお話をしていただいたわ」
それを聞いてエドアルドは思わずセシルの肩を抱いている手に力を込める。細い肩だ。ここに一国を背負わせることになる。
先に愛したのは自分だ。自分の人生にセシルを巻き込んだ。それは本当に正しかったのだろうか。エドアルドは何度目になるか分からない問いを自分に投げかける。
エドアルドの手に急に力がこもったことを不思議に思ってセシルがエドアルドを見上げるとそこには悲痛な表情があった。その表情にセシルは何故か不安を覚えた。
「エドアルド、何を考えているの?」
気付けばそう問いかけていた。エドアルドはセシルを見つめ返す。その表情は相変わらず固く、セシルの不安をさらに煽る。
「俺がお前を愛したことでお前に掛ける負担は大きすぎるな」
エドアルドはいつも思っていたことをついに口にした。セシルはそれを受け止めるとそっと微笑んでエドアルドの顔を両手で包む。
「そんなの平気よ?愛し、愛される喜びを教えてくれたのは貴方だもの。だから、私はどんなことも平気」
弱気になった自分を包み込んでくれる優しさ。だからこそ自分はこの娘を愛したのだ。エドアルドは泣きそうになるのを必死で堪えた。
「お願い、私の手を離したりしないで。私はその方が辛い、耐えられない」
「・・・セシル」
エドアルドはセシルを腕の中に引き寄せ、骨が軋みそうなくらい強く抱きしめた。何度も迷い、自問を繰り返してきた自分と比べてセシルの強さが
眩しかった。エドアルドはこんなに自分が弱い人間であるとは知らなかった。セシルと出会い、新たな自分を知ることが多い。それは時に痛みも伴うが自分にとって良いことなのだろうと思った。
「お前の手を離して俺が生きていけるわけがない。それなのに迷いが消えなかった」
エドアルドの声は震えていた。セシルは痛い位の抱擁を受けながらそれを黙って聞いていた。
「お前は強くて優しいな。俺はそれに甘えてもいいか?」
エドアルドの言葉にセシルはそんなことは無いと思った。けれど、エドアルドがそう思うならそうありたいと願った。セシルが答えようと身を捩ったことでエドアルドは自分が随分と力を込めてセシルを抱きしめていたことに気づきそっと力を緩める。少しだけ自由になったセシルはエドアルドの首に手を回してにっこりと微笑み、しっかりと頷いて見せた。
その微笑みに吸い寄せられるようにエドアルドはそっとセシルに口付けた。