第73話
「世話になったな」
アロイスは友人にそう告げると馬車に乗り込んだ。アロイスは午前中には王宮を出たが、真っ直ぐ屋敷に帰る気になれるはずも無く、かといってエルナの家に行くわけもいかず、友人の屋敷を訪れた。友人はアロイスの憔悴しきった顔を見るなり、何も聞かずに屋敷の一室を貸し与え、人払いをし、気のすむまで居ても構わないと言ってくれた。アロイスはその言葉に甘えて、その部屋で様々なことを考えた。
男の言うとおり、行為が無理やりであったというなら何故エディタは打ち明けてはくれなかったのだろうかと。打ち明けてくれたならもっと何かしてやれたかもしれないのにと思った。だが、同時に当時の自分の行いも決して良かったとは思えなくなっていた。時が解決するだろうと楽観視し、エディタの様子を気にかけつつも何も聞こうとはしなかった。自分がもっと踏み込んでエディタと話をしていればもしかしたらエディタは真実を打ち明けたかもしれない。そんな考えが浮かんでは消えた。
エディタだけが悪いわけではないことはアロイスにも分かっている。崩壊していく家庭から逃げ出し、ディレクと向き合うこともせず、自らが置かれた状況を悲観して外に愛と安らぎを求めた自分も十分に悪いのだ。
何かがどこかで違っていたならとアロイスは思った。エディタがあの男に襲われなければ、あるいはディレクが自分の子であったなら、自分たちはどんな家族になっていたのだろうと考えると胸に切なさと憤りが押し寄せた。
やり直す機会はどこかにあったのだろう。だが、それを自分たちは見落してしまった。見落したまま走り続け、とうとう後戻りできないところまで来てしまった。アロイスはそう思った。
いつまでもこうしている訳にはいかないとアロイスが友人の屋敷を出たのは夕方の少し前だった。御者にゆっくりと馬車を走らせるように命じ、アロイスは自分を奮い立たせてる時間を稼いだ。
毅然とした態度で接しなければ競り負ける。そう考えた時、アロイスは自分を嘲るかのように小さく笑った。
「今、戻った」
アロイスは夕方近くになって屋敷へと戻ってきた。執事の出迎えに小さく頷くことで応え、重い口を開いた。
「エディタとディレクを書斎へ呼んでくれ。この男は合図するまで隣の部屋で見張っていろ」
アロイスが連れ帰った傷だらけの後ろ手に縛られた男を訝しげに見つめつつも執事はそれに従った。
書斎に入ったアロイスは窓辺に立ち、きつく拳を握りしめた。