第62話
「陛下、後宮よりセシル様からの文が」
執務に追われていたエドアルドの元にエルンストがそう言いながら書簡を手にやってきたエドアルドはそれを受けとって文面に視線を走らせる。そうして全て読み終えた後大きな溜息をついた。
「陛下、セシル様は何と?」
エルンストが問いかける。エドアルドは片手で目元を覆い俯いた。
「王族になる覚悟が足りなかったと詫びて来た。それから昨夜、自分が言ったことは忘れて欲しいとな。・・・あの小さな肩に大きな物を背負わせてしまったな・・・」
自分が王という立場でなかったらこんな苦しみを与えることはなかった。それはセシルと思いを通わせ、セシルに危険が及ぶようになってからエドアルドがずっと考えていることだ。もちろん、考えても仕方が無いことは分かっている。ゲオルクの件でテオバルトが口にしたようにもしもの話をしても意味は無い。だが、考えずにはいられないような事態がここのところ多すぎる。
「・・・セシル様は昨夜、何と仰ったのですか?」
エルンストは敢えてそう問いかけた。本来なら聞かない方がいいとは思うが今のエドアルドはそれを聞いてほしいように見えた。
「・・・兄に罰を与えないで欲しいと」
エドアルドが告げたセシルの言葉にエルンストはあの方らしいと思った。だが、それは王族となるには未熟な考えであると云わざるをえない言葉だとも思った。一晩経って、セシル本人もそう思ったのだろう。それ故にエドアルドに文で詫びてきたのだろうとエルンストは思った。
「・・・そうですか。して、陛下はそれに何と答えたのですか?」
今のエルンストは宰相というより兄のような気持ちでエドアルドに接していた。エドアルドもそれを望んでいるように感じた。
「・・・命までは奪わないと。エルンスト、俺は嘘つきだな」
自嘲的な笑みを浮かべてエドアルドはそう言った。
「世の中には必要な嘘もございます。それに、陛下は表向き何もなさらないのですから表面上は約束を違えたことになりません」
きっぱりと言い切るエルンストにエドアルドはフッと鼻で笑った。
「裏で手を引いているのが俺だとバレなければ良いと言うのか?我ながら危ない橋を渡っているな。この件も、あの件も・・・」
何時になく弱気なエドアルドにエルンストは内心腹が立ってきた。
「陛下、すべての事柄において既に後戻りできない段階まで進行しております。やるとお決めたのは貴方です。お決めになったのなら、やり遂げる御覚悟をお持ちください」
エルンストは強い口調で言い放つ、その言葉を受けてエドアルドは顔を上げ鋭い視線をエルンストに向けた。
「セシル様が王族になる覚悟が足りなかったと詫びて来たと仰いましたが覚悟が足りないのは陛下も同じです。この期に及んでまだ迷っていらっしゃる。ゲオルク殿下の件もブルックナー家のことも」
エルンストの厳しい指摘にエドアルドは思わずエルンストから目を逸らす。
「真実が露見すれば確かにその代償は大きいでしょう。それを恐れる気持ちも分からなくはございません。ですが、もうやるしかないのです。あの者たちは性格に難はありますが腕は確かです。真実が露見することは無いでしょう。あの者たちを信じて前に進むしかないのです」
エルンストの言うあの者達とは今回の事案で暗躍している秘密部隊のことだ。エドアルドだって秘密部隊の力量を信用していない訳ではない。ただ、今回の事案は慎重になりすぎてしまうだけだ。それを覚悟足りないと断じられればそうかもしれないとエドアルドは思った。
「・・・覚悟が足りないのは俺も同じか。そうだな、少し弱気になっていたようだ」
どうして、こうもエルンストの言葉は素直に受け入れることが出来るのだろうとエドアルドは思っていた。両親やテオバルトの言葉とはまた違った響きというか力を持っているように感じる時がある。そして、それを感じる度に思うのだ。
「・・・お前が俺の本当の兄ならよかったのにな」
エドアルドがしみじみとそう言った。それを聞いたエルンストが顔を顰める。
「また、もしもの話をなさって」
不満そうにそう言うエルンストにエドアルドは苦笑いを浮かべた。
「もしもの話というより、率直な感想なんだがな。・・・もしもの話はもうしない。前に進む。自分で決めたんだからな。良く考えてみれば、これは最初の一山にすぎない。セシルを王妃に迎え、傍らに居てくれる人生を望むなら、これからだって何かしら乗り越えなくてならないだろうからな」
最初の一山が一番の難所であるような気もするが、エドアルドはそれに挑むと決めたのだ。弱気になっている暇も立ち止っている暇もないことを改めて再認識した。
「すまなかったな。もう、弱音は吐かん」
エドアルドが表情を引き締めてそう言った。エルンストはそれを受けて少しだけ微笑んだ。
「それでこそ、陛下です。私も微力ながらお手伝い致します」
エルンストの言葉受けて、エドアルドも少しだけ微笑んだ。