第61話
「あんなこと言うべきではなかったわ・・・」
セシルはそう呟いて窓の外を見つめた。後悔しているのは昨夜自分がエドアルドに言った言葉だ。
『お兄様に罰を与えないで』
あの時は気が動転していてあんなことを言ってしまったが、気が落ち着いてくると国を背負うものとして、あんなことは言うべきではなかったとセシルは激しく後悔していた。
実の兄とはいえ、王妃に内定した妹を殴ればそれは大きな罪になることをセシルは分かっている。分かっていたからこそ、昨夜ああ言ってしまったのだが、それは妹としては正しい行為でも、王妃候補としては正しくない行為であったこと漸く自覚した。
国を背負う覚悟がまだまだ足りていなかったようだとセシルは自分が恥ずかしくなった。
「・・・ニコラ、手紙を書く準備をして」
窓の外を見つめ、何事かを考えていたらしい主人に突然の申し出にもニコラは表情一つ変えずにそれに従った。
「どうぞ、セシル様」
ニコラに紙とペンを差し出されたセシルがニコラの方を向くとパタパタと動き回るイーナとモニカの姿が見えた。
昨夜に一件について二人とも何も聞いては来ないがきっと気になっていることだろう。それは騎士達も同じかもしれない。セシルは手紙を書き終えたら、皆に話をしようと決めた。あまり口外したい話でも無いが、皆、よくしてくれているし、信頼できる者たちだ。知ってほしいとセシルは思った。
手紙には昨夜の自分の願いは忘れて欲しいこと。国を背負う覚悟が足りなかったとを詫びる言葉。そして、兄の処遇はエドアルドに任すことを認めた。
「ニコラ、これを女官長の所へ。陛下への文だと伝えて」
手紙を差し出しながらセシルがそう言った。
「畏まりました」
ニコラは手紙を受け取り、部屋を出て行こうとした。
「ニコラ、戻ったら皆を集めて。・・・話をしたいの」
セシルの言葉に振り返ったニコラはその瞳に宿る強い決意を感じとった。
「・・・分かりました」
そう答えてニコラは女官長の元へ向かった。
女官長の元へ向かったニコラは手紙を差し出し、セシルから陛下への文だと伝えた。女官長はすぐに届けさせると言った。それに一礼してニコラは女官長の元を後にした。
女官長の元から戻ってからニコラはコンラート達の詰め所に立ち寄り、セシルから話があるので部屋に来るように伝えた。セシルの部屋の前で警護に当たっていたアルトゥルにも部屋に入るよう促した。部屋で仕事をしていたイーナとモニカにも手を休めるよう言った。
何事かと訝しがる面々をセシルの前に集め、ニコラはセシルにこう言った。
「皆、揃いました」
それに頷いて、セシルはゆっくりと話し出す。
「皆、仕事中にごめんなさいね。どうしても皆に話したいことがあるの」
皆の顔が一様に引き締まる。ニコラはセシルを黙って見つめている。
「・・・昨夜の一件。面会のために用意された部屋に通されたら、そこには私の家族が全員いたわ。普通なら驚くようなことじゃないんだけど、私は凄く驚いたの。・・・私とお兄様とお母様はうまくいってはいなかったから。お兄様とお母様が私に会いに来るなんて思っても居なかったのよ」
セシルから齎される情報は聞いていて悲しくなることだったが、皆はそれを表情に出さぬよう努めた。
「いつも通りの会話。お兄様が私を馬鹿にしたような態度を取るのもいつも通りだったのに、昨夜の私はそれが我慢ならなかったの。遠まわしに陛下のことまで侮辱されたような気がしたの。私だけなら構わないのだけど、陛下のことまでとなると我慢出来なかったわ」
これは冷静になって改めて気付いたことだった。
「口答えしたらどうなるのかなんて、考える余裕が無かったわ。気がついたら反論していた。そして、・・・激昂したお兄様に頬を叩かれたの」
セシルを叩いたのが彼女の家族の誰かだろうと薄々感づいてはいたが、事実として突き付けられるとそれは衝撃となった。
「・・・冷静になって、自分の仕出かしたことがどんな事態を招くのか思い知っわ。お兄様は命を奪われるかもしれないし、家もどうなるか分からない。私は王妃候補から外れるかもしれない」
セシルが紡ぎ出す言葉は皆の胸に大きな衝撃を与え続けている。それはセシルも感じているはいるが、言葉を止めることはしなかった。まだ、伝えたいことがセシルにはあった。
「そうなったら、きっとニコラ以外の者は私付きから外されると思うの。その時何も分からずにいきなり他の所に行かされたら皆は戸惑うと思う。だから、皆には話しておきたかったの」
皆はセシルが何故いつも他の側室の厭味や嫌がらせにじっと耐えていたのか漸く理解した。虐げられてきた者はその対処を知っている。言いたいだけ言わせれば満足して去っていくことを身を持って知っていたからあの反応をすんなりやってのけたのだ。同時にそうすることが出来るはずのセシルが兄に対し口答えをしたことの意味も理解した。セシルは強くなった。それは誰もが感じていることだ。だが、強くなったが故にじっと耐えることを良しとしなくなったのだろう。それがこの事態を引き起こしたことが皆は何とも皮肉に思えた。
「・・・たとえ」
じっとセシルの言葉に耳を傾けていたコンラートが静かに口を開く。
「たとえ、セシル様が王妃候補から外れ、私の配置換えが行われたとしても」
コンラートが言わんとしていることを他の者も感じ取っていた。皆、表情を引き締めてセシルを見つめる。
「我が忠誠は心の主は生涯、セシル様です」
コンラートがはっきりとそう言った一礼した。他の者も静かに頷き、それに続く。
「・・・皆」
セシルは胸が熱くなった。まだまだ未熟で王族になる覚悟すら足りない自分を皆は許してくれるというのか。セシルは先のことは分からないがもっともっと頑張ろうと思った。王妃候補から外れるかもしれないという不安は拭い切れないがそれでも覚悟をもっと高めようと誓った。皆の思いに応えるため、エドアルドの愛に応えるため、そして、自分のために・・・。
「・・・さぁ、仕事に戻りましょうか」
ニコラがそう言った。皆はそれぞれの仕事に戻って行った。先のことが不安なのは皆同じだが、それを嘆くばかりでは駄目だと皆分かっていた。どうなるか分からないからこそ一日一日を大切に過ごすことが大事だと皆が思っていた。