第60話
「・・・きたか・・・」
王宮からの使いだと執事に告げられたアロイスはそう呟くことしか出来なかった。先日のディレクの暴挙。それがこのまま何の咎めも無しに終わるなどと甘い考えをアロイスだって持っていたわけではない。最悪、ディレクは命を奪われかねない。それだけのことをしてしまったことは十分承知していた。
真横に居たのに、ディレクの体が怒りに震えたことにも気が付いていたのに、子供たちの間に入り、ディレクの暴挙を止めることが出来なかった自分の不甲斐なさに腹が立つ。咄嗟のことに反応しきれなかったことに自らの老いを思い知らされたような気がした。
自分はもう、若くは無い。そう遠くない未来、当主の座を降りなければならない。それなのに、ブルックナー家は跡取りを失おうとしている。アロイスは重い腰を上げて、王宮からの使者の元へ向かった。
王宮からの使者が来たことはエディタとディレクにも伝えられた。ディレクはそれを聞いて顔色を無くし、おろおろと室内を歩きまわった。
「・・・落ち着きなさい」
それをエディタが静かな声で窘める。あの一件以来、母の態度が少し変わったことに自分の身を案じることで精一杯なディレクは気付いていなかった。
「これが落ち着いていられるかよ!王宮からの使者だよ!」
ディレクが大声で怒鳴る。それを受けてもエディタの態度に変化は無かった。
「もう、なるようにしかならないわ。どうにもできないのよ」
どこか突き放したようなもの言いにディレクの苛立ちはさらに大きくなる。
「俺が死んでもいいっていうの?!そうだ!セシル!あいつが陛下にうまく取り成してくれるかもしれない!」
陛下の寵愛を受け、王妃になろうとしている妹。お人好しのセシルのことだ。自分を殴ったことを許し、陛下に兄を助けてくれと懇願してくれるかもしれない。ディレクはそう考え、ぱぁっと表情を明るくした。
「・・・たとえ、あの子が陛下に何か懇願しても、お前が処分されることは変わらないと思うわよ」
エディタがそれを否定する。その言葉にディレクは衝撃を受け、立ち尽くす。エディタがディレクの言うことを否定したことなど今まで無かった。いつも賛同したり、絶賛したりしてディレクを誉めてばかりだった。
母の態度が変わったことにディレクは漸く気付いた。
「・・・どうしたんだよ?母さんが俺の言うことを否定するなんて・・・」
ディレクが茫然として問いかけた時、部屋の扉が開かれ、アロイスが入ってきた。それを横目で見つめ、エディタが問いかける。
「・・・王宮からは何て?」
「・・・咎めについては何も・・・。ただ、明日の朝、王宮に来るようにと」
「・・・そう」
然して興味の無さそうなエディタの態度が気になりつつも、アロイスはディレクを見つめた。
「・・・今日一日は命が長らえたようだな」
アロイスがそう声を掛けるとディレクの体は恐怖に震え始めた。
「父さん!俺は!俺はどうなるんだよ?!」
アロイスに縋りつき、そう叫ぶディレクをアロイスは乱暴に振り払う。
「明日にならなければ何もわからん!」
アロイスはそう答えると部屋を出て行った。
「母さん!母さん!俺はどうなるんだ?!死にたくない!死にたくない!」
今度はエディタに縋りつき、ディレクはそう言いながら泣いた。その頭を優しく撫でながらエディタは口を開く。
「・・・必死になって守ってきたのに、可愛がってきたのにお前は全部台無しにしてしまったわね・・・」
口調は優しい、だが、声音は冷たかった。ディレクが驚いて顔をあげる。そして、ハッと息を呑んだ。口元は笑っているが目が笑っていない。エディタの口がゆっくりと動く。
「・・・やはり、お前を産むべきじゃなかったのね」
「えっ?」
告げられた言葉の衝撃にエディタに縋りついていたディレクの手が緩む。それを合図にしたかのようにエディタも部屋を出て行く。
後に残されたディレクは死への恐怖など忘れていた。ただ、最愛の母が放った言葉に打ちのめされ、茫然とその場に座り込むだけだった。