第57話
「セシル様、陛下が御越しです」
廊下から聞こえた声にセシルはベットに横たえていた体を起こし、頬にあてていた冷水に浸した布を外した。そして、ニコラに向かい小さく頷いた。それを受けてニコラがエドアルドを招き入れる。
「陛下、お待ちしておりました」
ニコラの出迎えに軽く頷きながらエドアルドは部屋の中に視線を走らせる。そしてベットに座っているセシルを見つけ、足早に近づいた。
「下がれ」
サッと手をかざし、ニコラ達にエドアルドはそう告げた。ニコラ達はそれに従い、一礼して侍女室に下がった。
エドアルドの瞳がセシルの掌に握られている布を捕らえた。
「頬を冷やしていたんだろ?構わないから続けろ」
エドアルドにそう言われても目の前でそうすることを何だか遠慮してしまい、セシルはそれをすることが中々出来なかった。渋るセシルに焦れてエドアルドがその掌から布を奪い、そっとセシルの頬に宛がった。
ひんやりとした感触が痛みと熱に心地よく、セシルは思わずホッと息をついた。
「・・・すまなかったな。何も知らなかったんだ。知っていればお前を面会に行かせなかったんだが・・・」
エドアルドがそう告げるとセシルは小さく首を振った。
「私だってお母様とお兄様が来るなんて思っていなかったもの。仕方ないわ」
そう言ってセシルは微笑もうとしたが頬が腫れているためうまくいかなかった。その様子がさらにエドアルドの胸を締め付ける。
「・・・エドアルド、お願いがあるの」
セシルが徐に口を開く。
「何だ?」
優しい声音でエドアルドが応えるとセシルは言いにくそうに俯いた。そして、そのまま姿勢でこう言った。
「・・・お兄様に罰を与えないで」
「え?」
エドアルドは一瞬驚いたがすぐにセシルらしいと思い直した。こんな目に合ってまでセシルは家族を思いやる気持ちを忘れないのだろう。
「私が口答えなんかしたからお兄様が怒ってしまったの。あんなことしなければ良かったわ。そうすれば・・・こんなことには・・・」
セシルが兄に口答えするなど今までのセシルでは考えられないことだっただろう。セシルは強くなった。それは誰しもが感じていることだ。だが、強くなったことで今回の事態が引き起こされてしまったということは何とも皮肉なことだとエドアルドは思った。
「・・・お前の気持ちは分かるが・・・」
「無理なお願いをしているのは分かっているわ。でも・・・」
エドアルドはセシルの願いを全面的に叶えることは出来ないと思った。戒口令を布いたとはいえこの件を知っている者はゼロではない。ディレクに何の処罰も与えないことはその者達に示しがつかない。
「・・・何の処罰も与えないということは約束できない」
エドアルドが苦しげな声でそう告げる。セシルはその言葉に落胆の表情を浮かべた。
「・・・だが、命までは奪わない。それは約束しよう」
エドアルドの言葉にセシルがパッと顔をあげる。そこには真剣な眼差しがあった。命までは奪わない。それがエドアルドの精一杯の譲歩であることはその眼差しと声でセシルにも分かった。だから、セシルはそれを受け入れるしかなかった。
「ありがとう。エドアルド」
礼を言われてエドアルドは何だか後ろめたい気持ちに囚われた。自分はセシルの母親と兄を排除しようとしている。しかも、その理由をセシルに伏せたまま事を運ぼうとしている。
・・・俺は卑怯なのかもしれんな・・・
だが、そうまでしてセシルが傍らにいる未来を望んでしまう自分がいることをエドアルドには分かっている。
初めて愛した人だからこそエドアルドは止まることが出来ない。
「セシル、もう休もう。」
エドアルドはそう言ってセシルをベットに横たえた。そして、その横に自分も寝転んだ。
「・・・お休みなさい、エドアルド」
セシルはエドアルドの提案に素直に従ってそう言った。
「あぁ、お休み」
エドアルドはそう答えてセシルを後ろから抱きしめた。セシルの顔が何だか見ることが出来なかった。