第40話
「では、行くぞ」
翌日、セシルはエドアルドに連れられて、クラリッサの住む離宮を目指していた。
「ねぇ、ドレスを下さるって言ってたけど、私の体に合うのかしら?」
セシルがそう言うとエドアルドは傍らのセシルをまじまじと見た。
「・・・お前と母上は背格好が似ているから大丈夫だと思うが、腰回りあたりに手直しが必要なら仕立て屋も呼んであるから、応急的な手直しはできるぞ」
エドアルドは微笑んでそう言った。それを聞いたセシルは準備のいいことだと思った。
思えばいつだってエドアルドは何かと準備を進めていてくれる。夜会に出ると言えばドレスが届けられた。至れり尽くせりで何だか恐縮してしまう。
「着いたぞ。母上、セシルを連れてきました」
エドアルドは扉を開けながら中にそう呼びかけた。すると奥から満面の笑みでクラリッサが現れた。
「まぁ!貴方がセシルね!陛下の言った通り、可愛らしい娘ねぇ」
言うなりクラリッサはセシルをギュッと抱きしめた。その温かさと柔らかさを全身で味わいながらセシルは母親に抱きしめられるのはこんな感じなのだろうかと思った。
ずっと、求めていた感覚。
セシルは思わず、クラリッサの背に手を回し、抱きついた。その縋るような様子にクラリッサは微かに眉を顰めた。
・・・ひょっとして、この娘・・・
クラリッサはちらりとエドアルドを見た。その視線を受けてエドアルドは小さく頷いた。それですべてを察したクラリッサはセシルを抱きしめる腕に力を込めた。
「さぁ、セシル。向こうにドレスを用意してあるわ。行きましょ」
クラリッサは何も気付いていないかのように明るく振る舞った。きっとセシルは知られたくないだろうと思ったからだ。
誰だって知られたくは無いはずだ。己が母から抱きしめられたことも無いなどと。
クラリッサはセシルの手を引き、奥へと誘った。母からも手を引かれたことの無いセシルは戸惑ったが、誰かに手を引かれるというのは何だか嬉しいような気もした。
奥に用意されていたドレスは五着程だった。クラリッサは楽しそうにこう言った。
「これは全部、貴方にあげるわ。そうね~、今夜の舞踏会にはコレなんかいいんじゃないかしら?陛下の隣に立つんだもの、これくらい着なきゃね~」
クラリッサはドレスの中から真っ白なドレスを手に取った。一見すると無地に見えるが生地に白の錦糸で全体的に刺繍の施してあり、胸元にはさりげなくレースがあしらわれていてセシルの好みにもぴったりだった。
「今の流行りは赤とか緑とか派手な色の物が多いみたいだけど、だからこそ返ってこういうドレスの方が目を引くのよ」
クラリッサは得意げにそう言った。そんな母の様子を見ながらエドアルドは苦笑いを浮かべた。本当にクラリッサは耳が早いと思う。セシルを壇上に上げることはまだ告げていないはずなのにもう知っているのだから・・・。
「・・・とっても素敵なドレスですね。有難うございます、王太后様。」
セシルがそう言って頭を下げるとクラリッサはにっこりと微笑んだ。
「・・・ねぇ、セシル」
呼び掛けられてセシルが顔を上げるとクラリッサが真剣な表情で見つめていた。
「何でございましょう?」
「・・・私のことをお母様って呼んでくれないかしら?」
「えっ?!」
クラリッサのいきなりの提案にセシルは驚いた。確かにエドアルドの妻となればクラリッサは義母となる。お母様と呼ぶのは不自然では無いかもしれないが、相手は王太后だ。気安くそう呼ぶことは憚れた。それ以前に自分はまだ、結婚式も戴冠式もすませていないのだ。そう呼ぶ立場にまだなっていないとセシルは思った。
「・・・セシル、私の子供はエドアルド一人だけなの。だから、娘という存在に憧れていたの。エドアルドの奥さんになる人と親子のように接したいと思っていたわ。もちろん、無理強いをする気は無いのよ?貴女さえよければの話」
クラリッサの言葉を黙って聞いていたエドアルドはそれは母の本心であると思った。
クラリッサはエドアルドを産んだ後も何度か懐妊したのだがいずれも流産した。それを繰り返す内、とうとう子供の産めない体になった。
クラリッサはエドアルドによく言ったものだ。お前だけでも産まれて来てくれて良かったと。
幼いころ、姉や妹を見るクラリッサの瞳はどこか悲しげだったとエドアルドは思い出す。あれはこの世に生を受けさせてやれなかった子供達と産まれるかも知れなかった娘に対してのものだったのだろう。
「セシル、俺からも頼む。お前さえ良ければ、母上をお母様と呼んでやってくれ」
エドアルドはこれはセシルのためにもいいことの様な気がした。母に愛されなかったと嘆くセシルに母の愛情を知ってもらういい機会にような気がしたからだ。
実の母と同じようにはいかないかもしれない。だが、それに近い愛情をクラリッサはセシルに注いでくれるはずだ。
お互いに渇望していたものが目の前にあるのだ。手を取り合って欲しかった。
「あの・・・私・・・」
セシルはエドアルドにまで乞われて益々戸惑った。先程、抱きしめられた時の温かさ、手を引かれた時の嬉しさは今まで感じたことのない物だった。だからと言って簡単にお母様と呼んでいいものなのだろうかと思っていた。
「・・・すぐでなくてもいいのよ?セシルが呼びたいと思った時で構わないわ」
クラリッサが優しくセシルの髪を撫でながらそう言った。母ならセシルがさっきのように言い淀めば愚図だと罵っただろう。その優しさに触れ、セシルは胸が熱くなった。
・・・母という存在は本当はこんな感じなのかしら
セシルは自分の母親が世間一般的な母親像から大きく外れていることは自覚していた。本来の母というものがどんなものかは良く分からないが、少なくとも我が子を愚図だ地味だと毛嫌いすることは無いのではないかと思っていた。
・・・王太后様はそれを私に教えてくれるかしら
セシルは何時か自分は母親になった時のことを考えた。愛された覚えのない自分がきちんと子供を愛せるだろうかと。そうして、母というものを知りたいと思った。
悪い面はすべてエディタが教えてくれた。ならば良い面をクラリッサから学べばいい。
セシルはにっこりと微笑んで見せた。その微笑みにクラリッサとエドアルドは目を瞠る。
「御気遣いありがとうございます。・・・お母様」
恥ずかしさからか、小声になってしまってはいたが、確かにセシルはお母様と口にした。その一言にクラリッサは嬉しそうに笑ってセシルを抱きしめた。
「こちらこそ有難う。私のわがままを聞いてくれて」
セシルはクラリッサの腕の中で小さく首を横に振った。
「さぁ、このドレスを着てみましょ?合わなかったら急いで手直しをしないと」
クラリッサは抱擁を解くとセシルを手を引いて奥の部屋へと歩きだした。
「エドは来ちゃダメよ!今夜の舞踏会まで見ちゃダメ!」
そう言って奥へ消えて行く二人をエドアルドは満面の笑みで見送ったのだ。