第37話
「・・・またか」
アロイスは王宮から届いた招待状を見つめ呟いた。
ブルックナー家は爵位はあるが力はなく自力で王宮からの招待状は勝ち取れない。そのブルックナー家に招待状が届くということはセシルが家族との面会申請を出したからだとアロイスは悟った。
先日の面会の折、別れ際にまた呼んでくれと言ったのは自分だ。何か分かったら連絡を寄こせとも言った。だからセシルが面会を望むということは何か意味があることだとアロイスは思った。
本当なら王宮の舞踏会など行ける身分でもなければ行きたいとも思わない場所だ。それでも愛する娘のためにアロイスは足を運ぶ決意を固めている。
エディタに知られぬようにせねば・・・
アロイスがそう思っていた時、不意に招待状が横から掠め取られた。驚いてアロイスが振り返るとそこにはエディタがアロイスから奪った招待状を胸のあたりでひらひらと動かしながらニヤリと笑っていた。
「お前!」
アロイスがエディタを睨みつけるがエディタはそれを余裕の笑みで受け止める。
「これ、王宮からの舞踏会の招待状じゃない?」
「お前には関係ない!返せ」
アロイスが招待状を取り返そうとエディタに詰め寄るがエディタはひらりと身をかわして笑った。
「あははは。この間は出し抜かれたけど今回はそうはいかないわよ。私も絶対に舞踏会に行くわ」
「私はセシルに逢いに舞踏会に行くんだ。お前に付いてこられては迷惑だ」
アロイスがそう言い放つとエディタはうんざりしたような顔をした。
「セシルになんか興味無いわよ。貴方が一人で逢えばいいじゃない。その間、私は舞踏会を楽しんでるから」
そうはいかないことがどうして分からないのだろうとアロイスは頭を抱えた。
アロイスが妻を伴って舞踏会に赴けば、城の者は二人でセシルに逢いに来たと思うに決まっているではないか。二人一緒に面会のための別室に通されるのがオチだ。
だからアロイスは前回の夜会の折、一人で会場に赴いたのだ。夫婦同伴は決まりではなくても暗黙の了解であるあの場に妻帯者である自分が一人でいることの不自然さを承知でそうしたのだ。
エディタは昔から何故かセシルを毛嫌いし、寄りつかせなかった。そのことでセシルが泣く度にアロイスは胸が痛んだ。
そして、先日のセシルの言葉。あの二人から離れられてよかったという言葉にアロイスは打ちのめされていた。
その状況でセシルにエディタを逢わせる気になどなれるはずもなかった。
「俺も行きますよ」
睨みあっていた二人の均衡は突如その一言によって破られた。
「ディレク!」
エディタが嬉しそうにその名を呼ぶとディレクも微笑んで見せた。
「お前も?何のためにだ?」
アロイスの問いかけにディレクは嫌な物でも見るかのような視線をアロイスに送った。
「俺の代になったらこの家は常に王宮の夜会や舞踏会に呼ばれるようになるんだ。下見だよ」
「流石だわ!ディレク」
大きなことを言って見せるディレクとそれを手放しで褒めるエディタ。
この家の中でずっと当たり前のように繰り返されてきた光景。
それを見るとアロイスはいつも虫唾が走る思いだった。
「絶対に私たちも舞踏会に行きますからね!ディレク、おいで。準備しましょ」
「気が早いな。明日の夜だよ?」
「時間が足りないくらいだわ!なんでもっと早く手を回さないのかしら?本当にあの子は愚図だわ」
「愚図でも役に立ってるじゃない?王宮に行けるんだからさ」
「それはそうだけど・・・まぁいいわ」
エディタとディレクが話しながら出て行くのをアロイスは拳を握りしめて見つめていた。
いつもああだ。エディタはセシルを愚図だと言い、ディレクを流石だと褒める。
一人残された部屋でアロイスはどうしてこうなってしまったのだろうと思っていた。
アロイスとエディタは政略結婚だ。二人の間に始めから愛などなかった。
それでもうまくいくように見えたのだ。
エディタは昔から派手好きではあったが今ほど傲慢ではなく、アロイスはエディタを愛せると思った。エディタの方もそう思っている風に見えた。
だが、何かの歯車が狂ってしまった。
エディタがディレクを可愛がり、セシルを邪険に扱い、アロイスがセシルを可愛がり、ディレクを疎んじるという図式が生まれた。
家の中は真っ二つに割れ、使用人たちも主たちにどう接していいのか分からない有様だった。
何かの歯車が狂った、だが、何の歯車かは分からない・・・
アロイスは考えるのやめ、出かける準備を始めた。考えても答えなどでないことが本当は分かっているからだ。
エディタのあの態度は恐らく、エディタ自身の問題なのだろうとは思う。
だとすれば、解決できるのはエディタ本人しか居ないではないか。
アロイスの考えはいつもそこで行き止まりだ。その先の答えはエディタが握っている。
出かける準備を済ませ、使用人に出かけることを告げて、アロイスはふらりと屋敷を出た。
セシルは知らないが、アロイスには何年も関係を続けている愛人がいる。
家で安らぎを得られなかったアロイスは外にそれを求めたのだ。
彼女の名はエルナ。素朴な女性でエディタとは正反対の女性だ。
本当なら貴族の愛人などにならずに普通の男性と結婚して平凡な家庭を築いた方が似合うような女性。
アロイスは何度もその手を離そうとした。だが、出来なかった。
エルナを愛しているのはもちろんだが、一緒にいることで得られるやすらぎを手放すことがどうしてもできなかったのだ。
「おかえりなさいませ。アロイス様」
エルナの家にアロイスが着くと彼女は笑顔でそう言ってアロイスを出迎えた。その一言でアロイスの胸はいつも熱くなる。
エルナはいつもそう言ってくれるのだ。『お待ち居りました』でも『お会いしたかったです』でも『寂しかったです』でもなく、ただ一言、『おかえりなさいませ』と・・・。
待たせているのに、寂しい想いをさせているのに恨みごとも言わずに笑顔で出迎えてくれるのだ。
「あぁ。ただいま、エルナ」
だから、アロイスもそう返す。
セシルの居なくなったあの家よりもエルナの待つこの家の方がアロイスにとって今や我が家同然だった。