第36話
「・・・不思議ね」
セシルは誰に言うでもなく、そう呟いた。
エドアルドを送りだした後、朝食を済ませたセシルは昨日の一件から外に出る気になれず、自室で過ごしていた。
セシルは窓の外を見つめながらここ数日で少しずつだが確実に変わってしまった自分自身と自分を取り巻く環境に思いを巡らせていた。
そうして呟いた。不思議だと。それは率直な感想だった。
セシルは自分が誰かから愛されることを想像したことが無かった。母や兄がセシルを地味でつまらないという度、セシル自身も自分をそういう人間だと潜在的に思い込んだ。
それが人見知りで引っ込み思案な性格を生み、セシルを異性から遠ざけた。
セシルは口にこそ出したことはないが、こんな自分を愛してくれるものなどいないとまで思っていた。
だが、現れたのだ。愛してくれる人が・・・。
エドアルドが自分をまるで聖女のように思っていることはセシルも感じていた。だから怖かった。自分の心の奥の兄への嫉妬と羨望を知られることが・・・。
知ってしまえば自分を嫌いになるかもしれないと恐れた。それを感じた時、セシルは気付いた。
自分もエドアルドを愛しているのだと・・・。
意を決して、全てを打ち明けたセシルをエドアルドは受け止めてくれた。そのことはセシルにとって大きな喜びとなった。
だから、エドアルドに身を委ねた。恐れよりも彼と一つになりたいという気持ちが勝った。
誰かから愛され、自分もその人を愛するという、セシルが叶わないと思っていた事が今、現実のものになっている。
愛し愛されることとはこんなに幸せなことだったのかとセシルは思う。
求めて努力しても得られなかった愛がセシルにはある。それはセシルの心に傷をつけ、今でも苛んでいる。
エドアルドに愛されることでその傷が少しずつ癒えていくような予感がセシルにはあった。
ふと、セシルは父のことを思った。
母と兄と自分の間でずっと心労を掛けていた父。その父に伝えたいと思った。
自分は今、幸せであると・・・。
「・・・ニコラ」
「はい?なんでございましょう?」
ずっと何やら考え込んでいたセシルが不意に自分の名を呼んだのでニコラは少しだけ不思議に思いながら返事をした。
「明日の夜、王宮で舞踏会があるでしょ?」
「え?あぁ、確かそうでございましたね」
ニコラは答えながらセシルが何を考えているのか何となくだが察した。
「私、それに出ようと思うの。お父様と面会したいわ。ニコラ、手続きを頼めるかしら?」
「分かりました。ですがセシル様、ドレスはどうなさるおつもりですか?」
ニコラの問いにセシルは顔を顰めた。確かに、舞踏会に着て行けるほどの衣装は持ち合わせていない。
エドアルドがくれたドレスがあるにはあるが、前と同じドレスを着て行くわけにはいかない場だ。
セシルはそうは思わないのだが、同じドレスばかりを着て行くことが恥とされる慣習が貴族の間にはあるのだ。
「・・・ドレスは取りあえず手持ちの一番派手な物を着られますか?私が化粧と髪型で誤魔化します」
ニコラは仕方なくそう進言した。こんなことなら少しでも早く仕立て屋を呼んでドレスを仕立てればよかったとニコラは思った。
「・・・えぇ。そうね」
そう答えてセシルは今まで自分がどれだけ着るものや華やかな世界に無関心だったかを思い知った。