第3話
「またか」
急ぎだと渡された書簡は側室の夜会参加申請だった。この程度を急ぎだと言われて宰相エルンストは些か憤慨したが申請理由に目を通し、溜飲を下げた。家族との面会を希望しているのならしょうがないと思い直したからだ。
「陛下」
エルンストは席を立ち、目の前の机で政務に励んでいるエドアルドに声をかけた。
「何だ?」
書類から目を離さずにエドアルドが応える。その声は少々不機嫌な物であった。
「側室殿の夜会出席希望届にサインをお願いします。それと夜会の招待客の追加の許可を」
「招待客の追加?」
「この側室殿は家族との面会を希望されておりますので」
エドアルドはまたかと思いながら、エルンストから書類を受け取る。もう、これで何件目の出席申請だろうか?どうせなら一度に全部持ってくればいいのにとエドアルドは内心溜息をついた。だが、次の瞬間、書類に書かれた名前に目を見開く。
『セシル・ブルックナー』
セシルが此処へ来て1年。初めてその名を申請書の中に見た気がする。エドアルドは書類を見つめ思った。
漸く、時が来たというのか?
「陛下?」
申請書を見つめ、何やら考え込んだエドアルドをエルンストが不思議そうに呼ぶ。
「何でもない」
エドアルドは静かにそう応えると、書類にサインをし、エルンストに差し出した。エルンストは書類に目を通し、軽く頷いた。
「確かに、では、これを後宮へ返します。ブルックナー伯爵にも使いを出します。それでは」
「・・・エルンスト」
一礼して踵を返し退室しようとしたエルンストをエドアルドが呼びとめた。
「・・・何でございましょうか?」
何か用があるから呼びとめたはずなのに、エドアルドはなかなか口を開かない。
「陛下?」
エドアルドらしからぬ行動にエルンストは眉を顰める。いつもの彼は決断力に優れ、何事も即断、即決でその判断も的確だった。そんな彼がこんなに言い淀むこととは一体何なのだろうか?不審がりながらエルンストはエドアルドの言葉を待った。
「・・・随分前に作らせたドレスと装飾品はどこにある?」
「は?」
漸く告げられた言葉にエルンストは思わず間抜けな声を上げた。そんなエルンストをエドアルドが睨む。
「あ、・・・あぁ、あの送る宛ての無かったドレスのことでございますか?あれならきちんと保管してあ るにはありますが・・・」
睨まれながらエルンストは記憶を辿ってそう答えた。一年程前、急に仕立て屋を呼んでエドアルドがドレスと装飾品を作らせたことがあった。えらく拘って細部に亘り注文をつけて仕立てさせたというのに出来上がった其れをエドアルドは誰にも送ろうとはしなかった。気が変わったのか何なのか分からないが、捨てるわけにもいかず、一応保管してあった。
「アレは送る宛てが無かったのではない。贈る時期を待っていたのだ」
言いながらエドアルドは溜息をついた。まさか、一年かかるとは思っていなかったのが本音だが・・・。そんなエドアルドを納得がいかないような目でエルンストが見つめていた。
「何だ?その目は、まぁいい。あれをセシルの元へ届けさせよ。今宵の夜会にはそれを身につけて出席せ よと申し付けよ」
「・・・畏まりました。そのように手配いたします」
一礼し、退室しようと扉まで向かったところでエルンストはもう一度、エドアルドを振りかえる。既に政務に戻っているエドアルドはその視線に気づかない。
エドアルド・クリスティアン・アルコーン。
先王の早すぎる崩御により齢18で一国の主となった。
年若き王を侮り、征服しようとする近隣諸国を見事にうち破り、その戦に長ける様を見せつけ、古参の大臣連中や自分の子を王に据えようとする先王の側室たちを黙らせた。
その手腕は内政にもいかんなく発揮され、アルコーン国は先王の代より、格段に豊かにそして、安全になった。
目の覚めるような銀髪に戦場を駆け回ったとは思えぬほど透き通った白い肌。浅黄色の瞳にすっと通った鼻立ちに形の良い唇。
人々は憧れをこめて彼をこう呼ぶ。
『銀月の王』
王になって10年。28歳になったエドアルドに王妃を望む声は多い。だが、当の本人にまったくその気がないように見えることがエルンストは気がかりだった。
そのエドアルドが女性にドレスを贈るという。
エルンストはそれはよい兆候だと思った。だが・・・
疑問を口にしたところで答えは期待できまい。
エルンストは喉元まで出かかった質問を飲む込むと執務室を後にした。
何故、彼女なのだ?
記憶と記録を照らし合わせてもエドアルドがセシルの元を訪れたのは最初の一夜限りであることは明白だった。その一夜で一体何があったというのだろうか?『時期を待って居た』とエドアルドは言っていたが、其れはどういう意味なのだ?
湧きあがり続ける疑問を胸に抱えたまま、エルンストは準備に取り掛かった。