第2話
「失礼いたします」
来訪者を招き入れてから女官長はその表情にこそ出さなかったが、意外な人物が来たと思った。仕事柄、側室とその筆頭侍女の顔は全員把握している。この侍女はセシルの筆頭侍女だったはずだと女官長は記憶を辿って思い至る。セシルがここへきて一年。一度も訪ねてくることのなかった人物が目の前に現れ、女官長はその真意を測りかねていた。
「・・・セシル様の侍女殿ですね。いかがいたしました?」
「久しぶりにお会い致しましたのに、私がセシル様の侍女だとお分かりになるとは、流石は女官長様ですね」
嫌みともとれるその発言に女官長内心ムッとしながら先を促した。
「・・・用件は?」
女官長のそんな態度にニコラはわざとらしく肩を竦めてみせた。
「セシル様の今宵の夜会の参加申請に参りました。同時にセシル様のお父上、アロイス・ブルックナー伯 爵との面会を希望致します。陛下に御取次願います。」
言いながらニコラは流れるようにお辞儀をした。ニコラの用件に女官長は一瞬、目を見開いた。
あの、セシル様が夜会に出る・・・?
今まで、何度遠まわしに水をさし向けても頑なに夜会に出ることを拒んでいたセシルが夜会に出るという。一体、どういう心境の変化があったというのか・・・。
女官長は微かな疑惑を胸にニコラを訝しんで見た。その視線をニコラは気付いてないのか、気付いていないふりなのか眉一つ動かさずに受け止めた。
「セシル様ご自身が夜会への参加をお決めになったのですね?・・・貴方の独断ではなく」
「当然でございます。私が持ちかけたことではございますが、最終的に夜会に出るとお決めになったのはセシル様でございます。」
ニコラはさも心外であるという口調で女官長に応える。女官長は俄かには信じがたかったがそれ以上何も言わないことにした。
「分かりました。セシル様の希望は宰相を通して陛下に伝えられます。昼過ぎには返事が来るでしょうから、部屋で待機なさっていてください。」
「よろしくお願い致します」
女官長の言葉を受けて、ニコラは深々と頭を下げて、部屋を出て行こうとした。
「・・・一体、どうしたというのかしら?」
女官長の小さな呟きがニコラの耳に届く。ニコラは扉に掛けていた手を一旦離し、女官長を振りかえりこう言った。
「セシル様はお父上にお会いしたい一心で勇気をだされたのですよ」
女官長が勢いよくニコラのほうを振りかえる。ニコラはにっこりと笑って、もう一度お辞儀をすると今度こそ部屋を出て行った。
ニコラが去った後、女官長は必要な書類にセシルの希望を記し、急ぎだと前置きを加えた上で宰相への使いに持たせた。朝のうちに陛下の目に入らなければ面会希望の部分が叶わない可能性があるからだ。
夜会の招待客は既に決まっている。側室の誰かが家族との面会を希望した場合、その家族が初めから招待されていれば何の問題もないが、招待されていないとなると少々厄介だ。
セシルの父はそれなりに高い位の貴族ではあるが、王宮の夜会に招待されるかは微妙な位置にいる。日中の内に招待状が届かなければ夜会に来ることは叶わないだろう。ことは急を要するのだ。
女官長はニコラの言葉を全面的に信じたわけではないが、セシルが父に逢いたいから夜会に出る決心をしたという部分だけは納得がいった。あの大人しいセシルがそこまでして逢いたいなら叶えてやりたいと思った。
セシルが後宮に来た時、女官長はこう思ったのだ。
この娘は後宮には向かない。
伯爵令嬢として、蝶よ花よと育てられたはずなのに、大人しく控え目で野心のかけらも見えはしなかった。容姿も美しいというより愛らしい顔立ちに痩せすぎでも太りすぎでもない普通の体系。煌びやかに着飾るよりも自分の好きな物、似合う物を好んで身につけるらしく、見かける際のドレスはいつも質素な装いだった。それでは何人もいる側室の中に埋もれてしまう。
案の定、セシルはエドアルドからも他の側室からもまるで居ないかのように扱われている。
本人がそれを気に病んだ素振りを見せないことが女官長にとって唯一の救いであった。そのセシルが初めて己の願いを曝け出したのだ。出来れば叶えてやりたかった。