第17話
コンコン
エドアルドを送り出し、朝食を済ませ、今日は何をして過ごそうかとセシルが考えていた時、扉を叩く音が部屋に響いた。
「ニコラ、応対を」
促されたニコラが扉を開けるとそこには女官長が三人の騎士と二人の侍女を伴って立っていた。
「・・・どうぞ。お入りくださいませ」
一瞬、何事かと目を見開いたニコラは気を取り直して一行を迎え入れた。
「おはようございます。セシル様」
部屋に入った女官長はまず、セシルに挨拶をして一礼した。
「おはよう、女官長。・・・後ろの方々はどうしてこちらに?」
セシルは戸惑った表情で挨拶を返して問いかける。女官長はすぅっと息を吐くと、姿勢を正して口元に笑みを浮かべ答えた。
「こちらの騎士の方々は本日よりセシル様の護衛についてくださいます。そして、こちらの侍女たちは本 日よりニコラ殿と共にセシル様の身の回りの御世話をさせていただきます」
セシルはいきなり宛がわれた騎士と侍女に困惑した。今までセシルの侍女はニコラ一人だけだった。もちろん、専属の護衛などついた経験も無い。なんの変化もなく、ただ過ぎ去っていくばかりだったセシルの日常がゆっくりと確実に変わろうとしている。セシルはそれを感じ、ただただ戸惑うばかりだ。
「護衛兵務めることになりました。コンラートと申します」
栗色の巻き毛の短髪の男性がまず名乗った。
「同じく、アルトゥルと申します」
次に金髪の長めの髪の男性が名乗り
「同じく、エアハルトと申します」
赤毛の短髪の男性が続いた。
騎士たちは次々に名を名乗るとセシルに向かい頭を下げた。皆、歳はエドアルドと同じか、少し若いように見えた。慌ててセシルも頭を下げようとしたがコンラートの制される。
「セシル様、私共に頭を下げる必要はございません」
苦笑いを浮かべる栗色の巻き毛に垂れ目がちな翡翠色の瞳をした騎士にセシルは見覚えがあった。
「貴方、昨夜の・・・」
「覚えておいででしたか」
コンラートは少しだけ顔を綻ばせた。コンラートは昨夜、セシルを警護してくれた騎士の一人だった。
「これより先、我ら一命をとしてセシル様を誠心誠意御守り申し上げます」
コンラートはそう宣言してセシルにもう一度深々と頭を下げた。アルトゥルとエアハルトもそれに続いて頭を下げた。
「よ、よろしくお願いします」
セシルは礼を言うと同時に頭を下げた。
まったく、この方は・・・
先程、頭を下げる必要はないと進言したばかりなのに、早速自分達に向けて頭を下げているセシルにコンラートに再び浮かびそうになる苦笑いを噛み殺し、他の二人は驚いたような顔をしてセシルを見ていた。
「セシル様」
女官長の後ろに控えていた侍女がセシルに声を掛ける。セシルがそちらに向き直ると彼女たちはそれぞれ口を開いた。
「本日より、セシル様の御世話をさせていただくことになりました。イーナと申します」
彼女は胡桃色の髪を一つに纏め上げ、歳はニコラより若いように見えた。
「同じく、モニカと申します」
モニカは鈍色の髪を肩くらいで揃えた髪型で歳はセシルより少し、年上に見えた。彼女たちも名乗ると同時にセシルに頭を下げた。
「よ、よろしく」
またしてもセシルは彼女たちに頭を下げた。イーナとモニカはそんなセシルをやはり驚いたような顔で見るのだ。
何故、皆、驚くのかしら?
いつも皆同じ反応をするがセシルにはそれがどうしてなのか分からなかった。皆、頭を下げる必要はないと口々にいうがセシルはそうは思わない。自分より身分が上だろうが下だろうが頭を下げられれば下げ返すのが当然だとセシルは思っていた。
「それでは私は失礼致します」
皆が一通り挨拶を済ましたのを見届けると女官長は部屋を出ることにした。去り際、セシルに目をやると不思議そうな顔で一同を見るセシルの姿があった。それを横目に見ながら女官長は思った。
どういう育て方をすればここまで真っ直ぐに育つのだろう、と
地位を持った者はその地位に固執するものだ。そして、その地位を誇示する。力なき者を虐げ、見下し、優越に浸る。すべての者がそうであるとは言わない。だが、大抵がそうだ。
セシルは伯爵令嬢として生まれ、国王の側室なり、今や恐らく国王の寵室となった。セシルの地位は絶大な物になったと言っていいだろう。だが、セシルはその地位に驕ることなく、戸惑っているようにも見える。
このままでいてくださればいいけれど・・・
女官長は密かにそう願いながら、セシルの部屋を後にした。
女官長が去ったのを合図に皆が動き出す。
「それではセシル様、私は扉の前に控えております。」
最初に動いたのはコンラートだ。セシルは扉の外に向かう彼に問いかける。
「コンラート、他の二人はどうするの?」
「あぁ、セシル様の部屋の隣は空室でございましたでしょう?」
そういえばそうだとセシルは思い出した。セシルが後宮に来てから新たに側室が迎えられていないこともあって、後宮には少々空室が存在していた。セシルが住んでいる棟にもそれはあった。
「そこを詰め所として使用して構わないと許可を得ておりますので、そちらに控えていることになると思 います。我々は交代で扉の前の警備に付きますので」
そういうとコンラートはアルトゥルとエアハルトを引き連れて部屋を出て行った。
「さてと、貴女方には何をしてもらいましょうか」
ニコラがイーナとモニカに声を掛ける。すると、モニカがそっとニコラに近寄って来た。
「ニコラさん、これからセシル様の食事は全て私が取りに参ります」
モニカのその言葉にニコラは彼女の真の役目を悟り、表情を引き締めた。
「・・・そうですか?では、お願い致します。・・・本当にお任せしてよろしいのですね?」
ニコラの言葉の裏にある問いに気付いたモニカがしっかりと頷いて見せた。
「もちろんでございます。・・・私はそのための教育を受けております」
ニコラはモニカを見据え、小さく頷いて見せた。年若い彼女に課せらた役目にニコラの胸は微かに痛んだ。だが、それを表に出しはしなかった。恐らく、モニカは自分の役目に誇りをもっているだろう。彼女を憐れむことは失礼だとニコラは思った。
モニカの真の役目とは『毒見』である。しかし、その役目をセシルに悟られるなと厳命を受けていた。だから、先程名乗った際にその役目を口にはしなかった。出会って数分だが、モニカは何故そんな厳命が出たのか何となくだが気付いた。
この方は誰かを犠牲にするなどできそうにない・・・・
自分の役目が『毒見』だと知れば、励めと言わずにその任を降りろと言い出しそうだとモニカは思った。新たに自分の主となった少女は恐らくはそういう女性であろうと容易に想像できた。
だが、だからこそ自分の役目は絶対に必要だとも思った。
セシルのそういう優しい性格は彼女を狙う者からすれば隙以外にみえないだろう。
モニカはセシルに気付かれないように慎重に、それでいて精確に己の役目を全うしようと固く決意をした。