第101話
「お待ちしておりました。セシル様」
セシルが共を伴って、後宮から王宮へ繋がる回廊を抜けるとエルンストが待ち受けていた。セシルはそれに笑顔を浮かべて小さく頷いた。
「本日は王妃の庭とお使いいただく私室の視察と伺っております。どうぞ、こちらへ」
エルンストはそう告げると一同を先導して歩き出す。セシルはそれに期待に胸を膨らませながら続いた。
「こちらがセシル様にお使いいただくお部屋になります。さぁ、中へどうぞ」
エルンストが扉を開け、中へ誘う。セシルはそっとその部屋に足を踏み入れ、部屋を見渡した。白を基調とし金色の装飾が施された調度品、淡い茶色の絨毯が敷かれ、薄桃色のカーテンが風に揺れていた。その中にある若草色のソファは特に目を引いた。
「若草色は先王陛下のお好きな色でした。」
セシルの視線がソファで止まったことに気付いたエルンストがそう告げた。
「先王陛下の?」
「えぇ。王太后様は何か一つ、先王陛下の好きな色のものを部屋に取り入れたいとお考えになり、あの若草色のソファをご所望された聞いております」
それを聞いたセシルはじっとそのソファを見つめた。先王陛下と王太后様がどんな夫婦であられたのかは正直、分からない。ただ、不仲だという話しは聞いたことがなかった。このソファはそれを裏付ける証拠に見えた。
「部屋はこのままで構わないわ。・・・ただ、ソファだけ変えるかもしれない」
セシルがそう言うとエルンストは周りが気付かないくらい小さな笑みを顔に浮かべた。
「エドアルド陛下のお好きな色に?」
エルンストにそう問われてセシルは頬をほんのり赤く染めて頷いた。
「では、そのように手配いたします。ソファの色は決まりましたらまた、お申し付けください」
「えぇ、そうするわ」
セシルはニコっと微笑んだ。それにエルンストも笑みを返しながらこう言った。
「では、次に王妃の庭に方へご案内いたします」
王妃の居室は王宮の上の方にある。庭園に出るにはまず、下に降りなければならない。
「一々、階下に降りるのは不便に思われるかもしれませんが、防犯上、お使いいただく部屋を一階には設けられませんので、ご了承ください」
エルンストはそう言って頭を下げた。
「不便だなんて思わないわ。当然のことだもの」
セシルはキョトンとしてそう言った。一階に居室を設ければ、襲ってくださいと言っているようなものだ。自分が強襲などと無縁の生活を送ってきたとはいえ、それくらいはセシルにも分かっている。
「ご理解戴き有難うございます。では、一階に参りましょう」
エルンストが皆を先導して歩き出す。セシルはまだ見ぬ王妃の庭に想いを馳せながらそれに続いた。一階に着き暫く歩くと、エルンストがガラス張りの扉の前で立ち止まった。
「こちらから庭園に出ることができます。王妃の庭は此処を出て、すぐの一画です」
言いながらエルンストが扉を開く。セシルはそっとその扉の外に足を踏み出した。目の前に広がったのは大きな長方形の横向きな花壇が二つ。その向こうに小さな東屋が見える。東屋の側には大きな樫の木が生えていて、この葉が風に揺れていた。一画を区切るためか、セイヨウツゲがぐるりと植えられている。庭には何人かの人が居た。その者達はセシルに向けて、一斉に一礼した。
「お待ちしておりました」
「・・・顔を上げよ」
セシルはそれに対し、一瞬戸惑ったものの、何とかそう言った。そう言ったことを言う環境にいなかったため、どうしても戸惑いが混じる。けれど、庭師たちはそんなことは気にも留めない様に、スッと頭を上げた。
「お初にお目にかかります。我ら、王宮の庭園の管理、造園、整備を致して居ります庭師衆にございます。 私は庭師衆筆頭、オイゲン・アクスと申します。以後、お見知りおきを」
整列する庭師達の中から一歩前に出た壮年の男がそう言ってもう一度、頭を下げた。
「セシル・ブルックナーです。植物を育てたことは殆ど、ありません。色々頼ってしまうと思いますが、宜しくお願いします」
セシルをそう言って庭師たちに頭を下げた。セシルは人と人の間に線を引かない。それを知らない庭師達は大いに慌てた。
「セ、セシル様!我らにそのようなことなさらないで下さい!」
あぁ、まただ。と、セシルは思った。頭を下げると皆、そう言う。これから世話になるのだし、頭を下げるのは当然だと思っての行動なのだが、どうにも伝わらない。やはり、こういう行動は控えた方がいいのだろうかとも思うのだが、長年の習慣はそう簡単に変えられそうも無い。思案顔で黙り込むセシルを横目でちらりと見たエルンストが口を開く。
「セシル様はご自分のために働いてくれる者に誠意を込めて頭を下げられますが、そういった方は上流階級 の方々には少ない故、皆、戸惑うのでしょう。セシル様のお人柄が広く知れれば、皆の反応も変わるかと 思われます」
エルンストの言葉にセシルは目を瞠る。
「・・・では、私はこのままでいいの?」
セシルの問いにエルンストはしっかりと頷いた。
「もちろんでございます。そのままのセシル様でいらしてください」
エルンストとセシルのやり取りを見つめていたオイゲンは国王陛下は変わった方を王妃に選ばれたと思った。人と人の間に何一つ隔たりを作らずに接すること。それが素晴らしいと頭で思っていても何かしら優劣をつけてしまうものだ。それを極力しないようにしているセシルをオイゲンは面白いと思った。セシルと国王陛下の創る国が見てみたいと思った。
「セシル様、庭をご案内致します。どうぞ、こちらへ」
オイゲンはそうセシルに声を掛けた。セシルは小さく頷くと王妃の庭の奥へ足を踏み入れた。