二つ目 俺、落ちます
俺は知らない人から貰ったお下がりの制服を身にまとい、ボロボロで穴の空いた鞄を掴むと、一年前から通う公立の鳴海高校へと向かう。
もちろん、歩いて通う。家から歩いて約二時間以上かかるのだ。まだ陽は登り始めたころ。
え? 自転車? ふっ、笑わせるなよ、そんなもん、あるわけないだろ。
もう忘れたのか? 俺は、貧乏だ……。
でも、歩いて学校もいいものだ。
自転車だとすぐに着いて、せっかくの通学路の景色を眺めることはできない。
意識しながら見渡せば、なかなかおもしろいものだ。
犬の散歩をしている人。朝刊を配っているアルバイト生。
あっ、自転車いいな……。
朝早く仕事に向かう社会人。犬の散歩をしている人。新聞を取りに外に出るおばさん。
いいな、新聞……。
朝帰りの大学生。犬の散歩をしている人……。
犬の散歩している人おおっ! なんでこんなに多いんだよ! 朝だから仕方ないけど、それ以外何もないのだがガッカリだ!
俺の通学路何もねー! ただ坦々と続く道路と歩道。周りは住宅街しかなく、変化がない!
ああ~、もうおもしろくない!
そうだ! こんなときだからこそ、俺の妄想……いや、想像力の出番だ!
俺はそっと目を閉じ、想像を膨らませた。
おっ、見えてきたぞ。これは……なるほど、犬の散歩をしている人がいる。それに、あれは最新式電動自転車! うわ~、喉から手が出るほど欲しい。あれ? その自転車に乗っているのは、雑誌でみたグラビアアイドルの……。あれ? 俺に手を振っている。それ、もらっていいの? やったー!
そのときだ。
「いっっっっってぇぇぇえええええええええええええええええええええええええ!」
目を閉じて歩いていたので、電柱に気づかず見事に頭突きをしてしまった。
周りの犬の散歩をしている人が哀れそうに見ている。
ふん! そんな目には慣れたわ! 俺の家での生活を見てみろ。毎日のように哀れに見てくるやつがいるから。それと比べたらどうってことない。
俺は額を抑えながら、学校へと向かう。
一つ言っておく、もう歩きながらの妄想は止める……。
二時間経過し、ようやく学校に着いた。
おそらく、一番早く目覚め、早くに家を出ていても、学校に着くのが一番遅いのは俺一人だろう。
いつも遅刻ギリギリで、校門の前に立っているジャージ姿の体育教師が怒鳴り散らしてくる。
「コラッ! 坂本! もっと早く来れんのか!」
いつしか名前まで覚えられた。でも、この一言だけは覚えてくれない。
「すみません、自転車も買えないくらいの貧乏で、家から二時間もかかるので……」
これは事実だ。この本を読んでいる読者もわかるだろ? 俺は真実を言っているだけだ。
でも、この人には通じない。
「そんな嘘が通じるか!」
俺は可哀想なやつだ……。
教室の中は今日も賑やかである。
皆友達と騒ぎ合って、昨日のテレビのことや、有名芸能人の話で持ち切りである。
言っておくが、俺の現状を知っているものはただ一人である。
そいつは本当にうるさいやつで、何かと俺に同情し、いろいろな物を貢いでくれる。
ありがたいのだが、少し男としてのプライドが……。
いや、プライドとか言っている場合ではないことはわかっている。でも……。
「おはよ、秀。はい、お弁当」
このちっこい背をした少女、いや幼女こそ、俺の現状を知っている天枷葵である。
ま、単純な話し、幼なじみなので、俺のことを知っているのだ。
小学校からの知り合いで、家が近く(前の家で、まだそれなりにお金があったとき)、何かとお世話になっている。
ふふっ、羨ましいだろ。俺にはこんなにも心優しい美女……ではないが、幼なじみがいるのだ。
ふふっ、もっと可愛かったらな……。はぁ……。
「どうしたの、秀? 何か元気ないね」
「ああ、お前がもう少し可愛かったらなって思って」
「え?」
おっと、つい本音が……。
「うっ……うっ……秀、そんなこと思ってたの? ひどい、ひどいよ……」
そういって目に涙を浮かべ始める葵。
こいつは昔から泣き虫なのだ。背が低く、ドジで、取り得が無く、泣き虫なのに、一部のマニアにはモテる。
俺はもっと美人で知的な人がいいのだが。
「ああ、悪かったな、葵。お前は良い子だよ。俺のために、わざわざ弁当を持って来てくれるんだもんな。うんうん、良い子だね」
俺はそう言って葵の頭を撫でる。それだけでこいつは幸せそうに、ニマ~としながら機嫌が良くなるのだ。
ほんと、お子ちゃまだ。
「それで、何でもう食べてるの?」
葵が俺に軽いツッコミをいれる。
今俺の目の前には栄養万点の弁当箱が開かれ、俺の手には箸が握られている。
「ああ~、俺は神に感謝する。太陽、大地、水、そして食料……。人類が最も幸福になるべき存在、食べ物。それを、俺のような不幸な少年にも与えてくれたことに、俺は多大なる感謝を送る。……アーメン」
「なんか祈ってる?」
そういって俺は早速弁当を口へと運ぶ。
朝飯はいつも無いんだ。登校中も、人の話を聞かないおっさんの説教中も、そして今でも鳴り続けている腹の虫を抑えるには、食べるしかない。
ものの数分で、さっきまであった食料は俺の腹の中へと消えてしまった。
「ああ~、食った食った。おいしかったよ。おばさんにお礼を言っておいてくれ」
「うん、それはいいんだけど……お昼はどうするの?」
「水」
真面目に答えた俺の言葉に、葵はまた感涙する。次の涙は同情の涙だ。
「うわ~ん、秀かわいそ過ぎるよ~。どうしてこんなに貧乏なの~。神様は不公平すぎるよ~」
葵は周りの目を気にせず泣き続ける。
俺は他人のフリをしてその場から立ち去った。自分が貧乏だと知られたら何を言われるかわからない。
絶対にバカにされる。もしくは同情される。
……どっちも嫌だな……。
そしてお昼は本当に水だけで、授業は睡眠に使って少しでも栄養不足を補っている。
うん、俺は意外にも頭がいい。俺はコアラのような日々を飽きもせず過ごしているのだ。
時が過ぎ、放課後になると、俺はバイト先へと向かう。
これでも働いているのだ。けっこう偉いだろ? 見直したか?
バイト先はコンビニである。
週に6回くらいで、売れ残りの弁当をくれるので、大助かりだ。
自給八百円。夕方6時から夜の2時くらいまで。夕飯はいつもそれ。
バイトを終え、家に帰ると、俺の一日は終わる。
家の中にはまだ親父は帰っていなかった。
ま、居たら怒鳴り散らしているな。子供より先に帰る親がいるか! ってな。
まぁ、深夜だから居てもおかしくないが。
さて、今日もコンビニ弁当を食べますか。
俺は朝でも言ったあの言葉を唱え、食べ始める。
ああ~、静かだな。本当に静かだ。
あっ、ここで俺の家の説明をするか。
ふふっ、人を家に上がらせるのは初めてだな。ちょっとドキドキするな。
こほんっ。さて、説明しよう。俺の家は……公園の滑り台の上。
ああ~、言っちゃった。言っちゃったよ、俺。ははっ、なに暴露してんだろうな。
ま、はっきり言えば、住み家までないのだ。自由にどこでも住めるのだ。
そこで思うだろ。え? じゃ、なんで学校に近いところに住まないのって。
もちろん、それは考えたさ。でもな、俺はこう見えて心優しい少年なのだ。
ま、ぶっちゃけ、ここの方が、親父の会社に近いから。
親父はああ見えて、れっきとした社会人だ。今の状況で一回でも遅刻をしてみろ、即クビだ。
そんなことにならないよう、そして少しでも睡眠を取らせるために、あえてここを選んだのだ。
ふっ、優しい俺だ。感謝して欲しいな、親父。
そのとき、ふらふらになりながら、げっそりとした表情で、我が父のご帰宅だ。
「あっ、親父。お疲れ、今日の仕事はどうだった?」
俺は元気良く、且つ爽やかに訊く。親父はへらへや笑いながら、衝撃的な発言をした。
「会社……クビになった……」
俺はニコニコと笑顔を作っていたが、だんだんと表情が揺らぎ始め、外にいるのに汗をかき始めていた。
そして最後にはずるずると滑り台を滑り、砂場へと着地する。
ああ~、俺の人生も、滑り台のように落ちるとこまで落ちたんだな。
秀の目の前には満点の星空が輝き、その中に一際目立つ月の光が照らしだされていた。