鎖覚
莫迦め、もっと近づいて来い。
そうだ、そうやって俺を見て微笑み、幸せな感情に浸るがいい。お前達がにこやかになんの苦悩も無く過ごしてきた時間を、俺が瞬く間に打ち壊してやる。そう、絶望を与えてやるよ。悲しみと苦痛に満ち満ちた絶望をな。
俺に触れようったってそう易々はいかない。
ハハハ、俺がこうやって、一見うれしそうにしているのがそんなに楽しいか? この屑共め!
早くあいつと話を付けろよ。俺のことは放っておいてくれ。いい加減うんざりなんだよ、こんな安っぽい芝居をするのは。
そうだ、それでいい。お前達は俺に決めたんだろう? 悪魔の使者だということも知らずにな。
しかし、なんなんだこいつらは。頭がイカレちまってるのか? 俺のことを見て、聞いたことも無い言葉で喋りかけてきやがるし、時には殴られることもある。だが、飯は食わせてくれるし、散髪や風呂にまで入れてくれる。訳がわからんが、下手に抵抗すると返り討ちに遭うのは目に見えている。まぁ俺よりも15倍ほどデカイからな。
両隣や上下には俺と同種族のやつが沢山居る。
右のやつは、ガリガリに痩せ細って腐ったような真っ黒い皮膚をし、小便と大便を体に擦り付けて遊んでいる。
左のやつは、真っ白いもふもふした毛で全身を包み、その中に埋もれてしまった目は完全にイッちまってやがる。こいつは大便を主食としている。
どいつもこいつも異常者だぜ、まったく。
この世界で正常なのは俺一人じゃないのかと思いたくなる。
逃げ出そうと何度も試みたが、それは不可能だった。管理体制は万全らしく、一分の隙も見当たらない。
だが、昨日右の異常者がこの収容所から連れ出されて行った。俺達を見物しているデカイやつが連れて行ったらしく、隙だらけの莫迦面をしてやがった。
今日俺もそうなれば、後はデカイやつが寝静まっている間に噛殺し、晴れて俺は自由の身になれる。その確信があった。というよりそろそろ俺もいい歳だ、この機会を逃したらもう先は無い。
おい! 何故だ!? 何故おまえなんだ!!
左の異常者が連れて行かれて、俺は絶望に打ちひしがれた。
放心状態のまま夜になった。俺達を管理しているやつが、玄関前でなにかブツブツいっている。
俺はもう何もかもを諦めて、深い眠りに付いた。
「もうこの子もこれ以上ここに置いておけないのよね……ごめんね、彼には名前すらないのに……こんな結末になるなんて想像すらしていなかったでしょうね……でも、仕方がないのよ……グッスリ眠っているみたいだし、今のうちに安楽死業者に預けてしまおう……ごめんね……ごめんね……」
そう言って彼女はケージの扉を開けると、眠りこけているヨボヨボの老犬をそっと連れ出した。
2007/1




