第1話:世界に、僕の銅像が建っていた
「……いや、それはさすがに非論理的だろ」
久遠シンは、目前の光景を見上げ、無意識に指先で眉間を揉んだ。
そこにあるのは、高さ十メートルに及ぶ巨大な石像。街の中央広場に、守護神のごとく堂々と鎮座している。
問題は、その像の造形だ。
少し鋭い目つき、無機質なほど整った顔立ち。
「……なんで僕なんだよ」
石像の顔は、どう見ても――自分だった。
シンは深くため息をつき、脳内のメモリを整理し始める。
数時間前まで、自分は高校の屋上にいた。
AI制御ドローンの最終実験。自作の演算アルゴリズムが、実戦環境でどこまで通用するかを試していたはずだ。
シンは、若くしてAI研究者として名を馳せる天才だった。
だが、彼にとって研究は情熱の産物ではない。ただの「最適化作業」だ。
人間の判断は遅く、感情に左右され、非合理的。
だからこそ、人間より速く、正確に最適解を出すAIが必要なのだ。
あの瞬間、ドローンの映像モニターに走った不可解なノイズ。
現実のプログラムが書き換えられるような、世界そのものの違和感。
そして――視界が白く弾けた。
次に目を開けた時、シンはこの街にいた。
石造りの建物。中世を思わせる服装の人々。舗装されていない道。
そして、自分の顔をした巨大な像。
「……合理的な説明が見つからない」
シンは腕を組み、三つの事象をリストアップした。
①未知の座標への転移。
②低水準な文明レベル。
③過去に建立されたと思われる、自分の石像。
導き出される仮説は一つ。
「異世界転移……か。非科学的だが、観測事実としては肯定せざるを得ない」
その時だった。
「お、おい! 見ろよ!」
背後から震える声が聞こえた。振り返ると、数人の少年がこちらを指さしている。
「まさか……」「似てるなんてレベルじゃないぞ」「いや、でもそんなはず……」
嫌な予感が加速する。
一人の少年が、喉が張り裂けんばかりに叫んだ。
「神子様だ!!」
広場の空気が、一瞬で沸騰した。
「え?」
「神子様だ!」「神子様が帰ってきたぞ!」
人々が津波のように押し寄せてくる。
シンは反射的に手を上げ、制止を試みた。
「待ってくれ。落ち着いてほしい。僕は――」
言葉が止まる。
集まった人々の目に宿る色は、驚きや歓喜だけではなかった。
それは、盲目的なまでの――崇拝。
一人の老人が、涙を流しながら膝をついた。
「本当に……神子様なのですね」
「……違う。僕は久遠シンだ」
即答したが、老人は深く、深く頷いた。
「ええ、存じております。神子様のお名前は――久遠シン」
シンの思考が、一瞬停止した。
「……は?」
老人は震える手で、広場の中央、石像の足元を指差した。
そこには、苔むした古い石の台座がある。
刻まれているのは、この世界の言語ではない。
だが、シンにはその意味が、データが直接脳に書き込まれるように理解できた。
『救世の神子――久遠シン。ここに再来を約束する』
「……意味がわからない」
自分は今、ここに来たばかりだ。なのに、なぜ千年も前から建っているような石像に自分の名前がある?
混乱を断ち切るように、遠くから悲鳴が響いた。
「魔物だ!! 街の入り口に、黒い影が!」
広場の空気が凍りつく。
街の境界線に現れたのは、巨大な四つん這いの獣だった。
黒い皮膚、異様に長い腕、溢れ出す殺意。
人々がパニックに陥り、逃げ惑う。
だが、シンだけは動かなかった。
逃げなかったのではない。
「見えた」のだ。
視界が突如として青いグリッド線に覆われる。
脳内に、冷徹な機械音声が響いた。
《外部環境をスキャン……。対象:特異生物。戦闘演算を開始します》
世界が、数式で満たされた。
魔物の筋肉の収縮率、重心の移動ベクトル、大気の密度、そして――勝利への最短距離。
「なるほど。ここは安全な世界ではないらしい」
シンは静かに一歩を踏み出す。
「解析完了。……最適解を更新する」
次の瞬間。
シンの体は、彼自身の常識を凌駕する速度で加速した。
魔物が腕を振り上げるより速く、その懐に潜り込む。
「そこだ」
最短、最速。
放たれた一撃は、魔物の急所をミリ単位の狂いなく捉えた。
ドォォォォン!!
轟音と共に、巨大な影が地面に崩れ落ちる。
静寂。
呆然と立ち尽くす村人たち。
やがて、誰かが震える声で呟いた。
「やっぱり……神子様だ……」
シンは拳についた砂を払い、天を仰いだ。
知らない世界。自分の銅像。自分を知る人々。
そして、自分の中に宿った、AIのごとき超感覚。
「……本当に意味がわからない。誰か、論理的に説明してくれ」
久遠シンは独りごちる。
だが、その答えを知る者は、まだ誰もいない。
この世界を「作った」存在以外は。




